路地裏のバー、氷の溶ける音だけが
唯一のまともな会話だった
カウンターの隅、琥珀色の液体の隣に
場違いな小さな壺が、街の灯を拒んでいる「それはなんですか?」
バーテンダーの問いに、俺は火を点けた
安物の煙草の煙が、記憶の輪郭をぼかす
「涙壺(ラクリマトリ)さ。古代の連中が、悲しみを貯めたっていう」俺...
路地裏のバー、氷の溶ける音だけが
唯一のまともな会話だった
カウンターの隅、琥珀色の液体の隣に
場違いな小さな壺が、街の灯を拒んでいる「それはなんですか?」
バーテンダーの問いに、俺は火を点けた
安物の煙草の煙が、記憶の輪郭をぼかす
「涙壺(ラクリマトリ)さ。古代の連中が、悲しみを貯めたっていう」俺...
再会なんて、安い映画の幻想だった。
平成の乾いた風が吹く街角で俺が聞いたのは
あいつが行き止まり路地裏で、
ひっそりと冷たくなったという報せだった。あいつは、あの日から一歩も外へ出ていなかった。
あいつの心は、取り壊された赤レンガの壁の下に、
あの一夜のまま、深く埋まったままだった。奴が最後に遺した...
昭和が終わる。
テレビの中では、誰かが崩御のニュースを繰り返していた。
だが、この赤レンガの檻に流れる時間は、
ひび割れた壁から漏れ出す、冷たい風の音だけだ。あいつは、いつも高い窓から
遠くて瞬く湾岸のクレーンを眺めていた。
「明日になれば、ここも砂利の山だ」
火をつけた安煙草の煙が、闇を白く汚して...
昭和六十三年。冬の湿った風が、
ひび割れた赤レンガの隙間を吹き抜ける。
あいつはいつも、高い窓から地上げ屋の黒い車
を眺めていた。「あの光に、俺たちの居場所はない」
あいつの呟きは、遠くで鳴る工事の音に掻き消された。
窓の外には、建設途中の高層ビルの群れ。
明日を急ぐクレーンの腕が、
時代遅れのこの...
深い霧に包まれた巨大なダムの堤頂。そこには、湿った夜気と静寂だけが支配する世界がある。コンクリートの巨大な壁は、まるで過去の記憶をすべて遮断するかのように立ちはだかっている。
午前三時。ダムの縁に一人の男が立っている。
視界を奪うほどの濃霧は、まるで銀色の幕。
男が指に挟んだ煙草の火だけが、この灰...