ニコッとタウンにログインして、きせかえ仮想生活を楽しもう♪
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」 のんびり、適当につぶやくところです。 目指すは超遅延チャット♪ 話題は特にこだわりません。
http://www.wolframalpha.com/input/?i=%28a%2Bb%29%28a-b%29+%3D+b%28a-b%29&lk=4
イワノフ・ボスコノビッチ博士へ
0除算はいけません^^
わたしはその論文の内容に対する反証をもっておりますが、コメント欄では短かすぎて反証をここに書くことが出来ません。
なんつって^^。
SFではありませんが、
サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」は面白かったですね^^。
面白い新聞の紹介ありがとう^^
こんなのもありました。
ロシアのカラシニコフ通信によると、国立ヨハネスブルク大学教授のイワノフ・ボスコノビッチ博士が夢の中で見た式を枕もとのメモに書き残し、この式を少し変形させたところ2=1という結論を得たという論文を発表したとのこと。
博士は、論文を英数学誌「マスマティック・ロジスティック」1月号に投稿、反証できない場合は数学の根底にぐらつきが生じる可能性もある。
論文の内容は、下記。
a=bとする。aを乗じると、
a*a=a*b
ここからb*bを引くと、
a*a-b*b=a*b-b*b
因数分解により、
(a+b)(a-b)=b(a-b)
ここから共通因数を除くと、
a+b=b
a=bであることから、
2b=b
共通因数を除くことにより、
2=1
反証はいかに^^
粉末の酒というのは、確かまじでありましたね
世界初「粉末の水」完成、だそうですw
どうやって戻すんでしょうね?
→http://kyoko-np.net/2012061101.html
あの探査機「はやぶさ」が到達した小惑星「イトカワ」ですけど、
あのイトカワは、故糸川英夫氏の功績を記念して、氏の名前を付けたとか。
その糸川氏の像が、
鹿児島県内之浦のJAXAの射場に、建立されるそうです。
射場のある地元の肝付町が、募金を集めているそうです(↓)。
http://kimotsuki-town.jp/5239.htm
糸川英夫氏は、日本のロケット開発の父と呼ばれる先駆者で、
日本の宇宙開発の原点ともいう方です。
御関心のある方は、上記のサイトをご覧ください・・。
「なんだ曇ってるのか」
と思ったら、月明かりで星がかき消されていたというオチ。
それにしても、確かに明るい^^。
こちらは、明日も明後日も、月は雲の向こうのようです。残念><
ええっと、近年の非英語圏のSFというと、読んだのはドイツだけかな。
フランク・シェッツィン「深海のYrr」と、アンドレアス・エシュバッハ「イエスのビデオ」は、
どちらも、ハヤカワNVですが、面白かったです。
気になっているのが、ヴェルヌ「海底二万里」の続編として書かれたシリーズで、
フランスじゃなくてドイツの児童書、ヴォルフガング・ホールバイン「ノーチラス号の冒険」
SFというより、海洋冒険ファンタジーですが。
ローダン・シリーズ(最初の数巻しか読んでいません)を書き継いでいる作家さんたちの、
自分の作品があるだろし、SFパロディのTVドラマもつくられているし、ドイツSFって盛ん?
でも、ハード系のSFはあまりなさそうなイメージです。
どこまでをSFに括るのかの線引きによっても、違ってきますね。
海外のSF事情って分からないので、私もちょっと興味があります。
明日は月が大きく見えるそうですね^^
確かにカトリーヌさんが挙げた方以外には、
レムさんしか思い浮かびませんでした^^;
フランスの有名なSFコミック作家さんでメビウスさんって方もいましたから
まったく需要がないわけではないと思いますが、
SFの特性上、視覚に頼るコミックや映画に
比重がある国が多いのかもしれません。
以前、インドのロボット映画の予告を見たけど
めっちゃ面白そうだったww
あとは出版の都合かもしれません。
非英語圏の作品はよほど固定客のついている人でなければ
ベストセラーでもなかったら、翻訳の機会がほとんどないですからねぇ。
英語も怪しい語学力では、なかなか知る機会がないのが残念です。
ぐぐってみるとSFマガジンで中国SF特集を組んだこともあるようですが
一冊にまとまるほどではないようです。
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/720809.html
韓国では日本でいうラノベのようなライトな小説が
割と盛況だと聞いたこともありますので
そのうちSFっぽいものが翻訳されるかもしれませんね。
日本を含め、世界的な傾向としても
ハリポタ以来、SF<ファンタジーの流れが強く
読者層の薄い国では、
少数派のSFは流通が少ないことも考えられると思います。
個人的には「マハーバーラタ」の国のSFとか読んでみたいな~♪
せっかくの休日なのに雨がシトシト。
そこで、SF読書三昧をしてるけど、ふと疑問が・・・。
SFの作品って、日本を除くと、英米系の作家さんが多いですよね。
その他は、旧ソ連圏の作家さんの作品がチラホラ。
フランスやドイツ、南欧とか北欧の作品って、ほとんど知りません。
ペリー・ローダンのシリーズ物(ドイツ)
SF始祖ヴェルヌの諸作品(フランス)
知っているのは、そのくらいかしら・・・。
ヨーロッパはイギリスを除くと、あまりSFは盛んじゃないのかしら?
それにインドとか、中国とか、中南米のSFも聞いた事は無いわ。
外国のSF事情に詳しい方、教えて下さいませ。
昔、読んだ短編に、雪玉が転がっていくうちに、
ドンドン大きくなっていくように、立ち上げた組織が
政府を動かすほどに、あれよあれよという間に大きくなる話がありました。^^
私のお魚サークルなんて8人でこぢんまりですよ^^。
冬眠から目覚めるかもしれませんので・・・
ちはやさん、モモゾーさんのガーデンイベント実施中です。
僕も参加中^^
二度目の定員達成。
あわわわわwww
おさぼり管理人、大慌てでメンバーさんの確認をさせていただきました。
取り急ぎのステプ失礼。
前回同様、ニコッと退会者につきましては退会措置を取らせていただき
3名の空きを確保。
うむ。
わざわざ退会する人って少ないのですよね。
いわゆる放置状態。
前回から9ヶ月ほど経ってて、わたしの足跡が続いちゃってる人は
他の方との交流もないので、放置とみなして
ご遠慮いただいたほうがいいのかなぁ。
サークルが分散すると、お話しづらいしねぇ。
いろいろ悩んでおりますが、
次回、わたしの足跡が3個続くようだったら考えようと
得意の先送りだ~w
しかし、お庭に降り立ったとたんにモモゾーさんに囲まれるのは
最近の流行でしょうか?
気がつくと、メンバーさんが定員に達しておりました・・・
まずいまずい(゚Д゚;)
取り急ぎ、全員の巡回をさせていただき(ステプだけで失礼)
ニコッとを退会されている方については、
サークル脱退措置をとらせていただきました。
ただいま、5人ほど空きができましたが
さて、どうしたもんかのう・・・
ココまで大きくなると思っていなかったので
第二サークルとかいるのかしら~(´・ω・`)
作るんだったら、サークル名も考えたいよね。
そのまんまじゃ芸がないし。
・・・とか、悩んでおります。
またゆるゆる、相談に乗ってください^^←他力本願
理系女子としては、おしゃべりに参加せずにはいられないわ(微笑)。
有機体から次への段階、例えば機械のボディとかへの進化はあるか・・と、
考えると、技術的には可能かもしれないけど、
実行してもあまり幸せになれそうにないわ。
パーツを替えることで、永遠に生きられるけど、この”永遠に生きる、不死”と
いうのが曲者ね。
映画で「未来惑星ザルドス」というのがあったけど、その舞台は不死の人間の住む社会。
でも決して、そこは理想郷ではなかったわ。
ガリバー旅行記にも、その種の不幸なエピソードがあったし、私もそれに賛成。
更に、
”我々の脳内情報を完全に電気信号に置き換えて、銀河のかなたに送信・・。”
という情報だけの存在は生命なのか・・と考えるとビミョ~なところね。
フレッド・ホイル「アンドロメダのA」や映画「スピーシーズ」は、そういうアイデアを
取り扱っているけど、ボディを作る材料は現地調達しなければダメだから、こういうのは、
生命の前段階ということかしら。
でも情報なくして、生命もありえないということも言えそう・・かも。
それを示すのが、以下(↓)のwebsiteで紹介されてる研究。
http://www.sb.dis.titech.ac.jp/
やっぱり、自己保存や寿命などの情報が、
何かの物理的実態物と一体化した時、生命といえるのかしら。
う~む・・悩んじゃう。。。。
生命というモノについて考えるならば、おそらくソフトウェアは関係ない気もします。
確かに生命は物質的情報伝達サイクルとも考えられるものですが、そこに意識や意志が介在するかどうかは微妙です。
遺伝子という青写真を基に同じ物質組成を複製するという意味では、遺伝子という情報を個体から個体へ伝達していると言えますが、そのプロセスを自立的に行い世代交代して行くそれは生物と呼べるかもしれませんが、自身では自己増殖能力を持たず、他の細胞を使って自己増殖するウィルスは生物ではないという意見もあります。
また、いわゆる有機体と呼ばれる炭素系生物以外にも無機的な珪素系生物なる存在も生物の一形態として存在するのではないかという推論もあります。
外的要因の変化があるという点で考えにくいことですが極めて安定した情報系、もしくは完全な修復が可能な存在があるとすれば、それはおそらく不死であり、いかなる意志、思想を発信しようとも、それはもはや生命、すなわち生ケル命とは言わないのではないかと思われます。(限りなく不死に近い生物と呼ぶこともできるかもしれませんが)
そう考えますと生命と言うモノ、あるいはナマモノとは、
必ず死ぬ。(ハードウェア的に)
同種のハードウェアを自己増殖する機能、
そして、与えらられたフィールドに自ら適応し、そこで繁栄するよう行動する習性を有する。
基本的にはそのような存在かと思われます。
(地球型生命と言うだけで、もっと奇妙で想像に耐えない生命が存在するのかもしれませんが・・・またそれを我々が生命と呼ぶのかというのも非常に興味深い問題ですね)
したがって、人工的にそのような機械を作り出せたとすれば、それは例えタンパク質の塊や有機体でなくても、生物と呼べるかもしれません。
(世代交代せず、それは出来が悪くて絶滅したと考えれば、人工物は皆ある種の生物とみなせるので、その世代交代数を何世代以上と規定する必要はあるかもしれませんが・・・)
我々の脳内情報を完全に電気信号に置き換えて、銀河のかなたに送信しても、それが意志、思想を持っていたとしても、それは、人類という生物だとはいえない気がします。
何らかの意志を代弁しているという意味では、Nicottoのアバターだって生きている言えなくもないのですから
コメントをすっかり止めてしまいましたm(__)m
前回の話題の「有機体から次へ」について
いろいろと脳内遊びをやっていました
一応、結論?らしきものにたどりついたので、
勝手に長文コメントを載せますが、ご容赦ください<m(__)m>
「有機体から次ぎへ」の前に、まず、
人間が他の生物よりも優れている点を考えてみると、
①環境に対する身体の汎用性が高い
②環境変化に身体が対応できない部分を
知恵・知識をもって対応できる
の二つがあると思います。
(身体=ハード、知恵・知識=ソフト とします)
で、過酷な環境である宇宙に行くとすると、
当然、ハードは対応できず、
また、ソフトでハードのフォローをすることも難しい状況です。
(火星への有人飛行も「筋力が低下が著しいため難しい」と、
最近ニュースでみたような気がします)
宇宙という過酷な環境に対して、ハードの対応策として考えられる
一つが人間のサイボーグ化。(攻殻機動隊の世界?)
ただ、このサイボーグ化は人間の進化を考えるとマイナスになりそうです
例えば、みんな腕をサイボーグ化したら、
250世代後くらいには、有機体の腕としては退化するのでは・・・
有機体として腕が使われていないわけですから。
そうだとすると、有機体ハードとしては、汎用性が失われることになります。
だから、長い目で見れば×では
※SFの別のアイディアには遺伝子レベルの強化もありえますが、
話題がそれてしまうので略
別の方法としては、人間のハードを有機体でない、
もっと丈夫(カーボン等)なものに移すしてしまうことが考えられます
これだと、過酷な環境にも対応でき、「有機体の次」ってことにはなるでしょうけど、
そこが進化の頂上ということになってしまうのでは・・・。
そこからソフトは進歩していくけど、ハードを進化させることは難しい。
などと、脳内遊びをしてみましたが「有機体から次へ」は「進化」という点で課題が
多そうですね。
コメントが1000文字を超えそうなので、まとまりない文章となりましたが、終了します。
長文、失礼しました<m(__)m> ・・・誰も読む気にならないな(..)
いろいろフォローありがとうございます。
実は秋津丸には、
コメントを書くにあたって裏テーマがありまして、
「1時間以内に自分の意見を整理し、
誤字脱字を起こさない」ことを目標としていました。
で、意識してシュミレートと書いたのなら問題なかったのですが、
完全にノーマークだったのが×。
(しかも、今、変換したらATOKはちゃんと忠告までしている(>_<)
というわけで、(_ _ )/ハンセイ
先日の宿題は、また明日にでもチャレンジします。
いえいえ。談話室ですので話をふってみただけです。
>corraさん、秋津丸さん
発音ベースで行くか綴りベースで行くか、それが問題(笑)。日本語は包容力のありすぎる言語なのでどっちでも意味は通じるでしょう。それとルールは一応策定されてますね。学生と違って誰も教えてくれないので自分で学ばなければならないのはつらい・・・
文部省による学術用語のカタカナの確認
http://sciterm.nii.ac.jp/cgi-bin/reference.cgi
コンピュータ、コンピューターどっちもあるぞ!学術分野で分けろって?僕の分野はコンピュータだった。
お上の告示
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19910628002/k19910628002.html
そうか、コンピュータがコンピューターになるのか・・・
重力はネックになると思います。
>秋津丸さま 油断していると、シュミレートって言っちゃいますよね。
ワタシは「シムシティ」だから、、、と一々脳内確認しています。
・・・やってしまいました。>_<
コメントを入れる際、漢字の入力ミスなどには
気をつけていたのですが、カタカナミスとは・・・・。
修行が足りませんでした(;_;)
また、ありましたらご指摘ください。
>のめさま
うーん(..) また、難しいテーマを持ってこられましたね。
正直なところ「サムシング・グレート=神」を
結論として持ってきてしまうと、脳内遊びが出来ないんで、
考えないことにしています。
秋津丸の脳内遊びは、
「あるテーマについて無責任ながらも出来るだけ合理的な可能性を
追求すること」ですので、合理的な可能性とはいえない神というのは・・・。
(「神の御技」が一つの可能性あることは承知してます)
というわけで、あまり前向きな話にはなりませんでした。
申し訳ないm(__)m
「有機体から次ぎの遊び」というテーマの脳内遊びについては、
また次のコメントで書いてみたいと思います。(夜遅くなってしまったので)
こんなのはどうでしょう?
サムシング・グレートは、有機体から次の遊び(カーボンベースユニットを使って神という機械への夢の実現)を実行し始めたのかもしれません。どうやら人類は外宇宙には出ていけなさそうなので・・・有機体の動的平衡は重力下でしか実現できないのかも。
E・E(エターナル・エグジスタンス:原文のまま)は、物質文明から精神文明を発展させるために地球の生命と文明を操作し続けていた・・・自らが帰るべきところに戻るために。以上、僕の好きな女流漫画家の作品より。
それとも進化の最終形は滅びにいたるヘリオ・セス・ベータ型開発?
>corraさん
グレイトのほうは?
話し言葉は時間と共に風化。文字化した言葉は、トーン、アクセント等が消滅し欠損のある情報となる。文字化した情報は、時間と共に蓄積してフィードバックしながら新しい意味づけを獲得していくのでまあいいか。
ワタシは、月、火星、小惑星帯、木星、の配置に
「サムシング.グレート」を感じてしまいます。
付き合っていただきありがとうございます。
この話で脳内遊びをしていたら、更に楽しくなってしまいました。
申し訳ありませんが、もう少しお付き合い&ご教授くださいm(__)m
コメントにあった、その某先生、
「サムシング・グレートな存在」を"神"と呼ばなかったことは、
科学者としての矜持なんでしょうね。スゴイ(*_*)
で、考えみると、
「有機物のスープ」ができ、そこから生物が発生するにあたっては、
一つ以上の「サムシング・グレートな存在」が必要ですね。
①有機物が組み合わせによって、生物となること。
余談ですが、これは魂の存在の有無につながりそうですね
「鋼の錬金術師」みたいな
②生物になる組み合わせに、有機物が組み合わされること
①の問題がクリアされればある意味、確率の問題
でも、一回だけではなく、何万回も組み合わないとダメでしょうね
・・・それとも、海底火山などの特殊の条件下では組み合いやすい?
①の問題は、電脳空間でいうプログラムを走らせる環境を指すわけですから、
「サムシング・グレートな存在」を信じたくなります。
②は、何億年という時間があり、地球上にあらゆるところで、
一日に何回でもチャレンジすれば達成可能そうな気がします
(計算的な根拠はありませんが・・・)
逆にいえば、電脳空間では①の問題はクリアしかけている訳ですから、
②の確率の問題だけにチャレンジをしてみれば、
電脳空間に新たな生命の誕生する。
・・・・そしたら、(・〇・;) 人類は新たな生物の神となる?
・・・。
脳内遊びが妄想に発展してしまった。(--;)
ただ、現在のスパコンを使えば、②の問題はシュミレートできそう・・・、
というか解決しているのかな?
ご紹介いただいた、
「自己組織化と進化の論理」と「造物主の掟」、
ともに読んだことがないので、こんどチャレンジしてみます。
「自己組織化と進化の論理」は多分、20~25%くらいしか
理解できなさそうですが
生命の発生について、
私の師事した某先生は、講義中に、
”混沌とした有機物のスープの中から、複雑な仕組みを持った生命が
独りでに生まれ出てくる確率は、ゼロに近いだろう・・でも、地球には、
生命が溢れている。それはなぜなのかと考えると、何か生命を創造した
サムシング・グレートな存在を考えざるを得ない・・・云々。”
と、まあ、科学者にあるまじき見解を述べていたわ。
エヴァの主題のひとつ、生命の木のネタ(オープニングのバックにも出てくる・・)なら、
そういう展開でもいいけど(笑)。
そういう、一挙に、超科学的、神秘学的な展開にしなくても、
J・P・ホーガン「造物主の掟」では、
機械生命が発生し、進化する過程がしっかり描写してあるし、
これを有機物の反応に置き換えれば、
そのまま生命の発生と進化になるじゃないの、って思ったりして。
ああ、そうそう、前のコメントで書いた、
スチュワート・カウフマン「自己組織化と進化の論理」では、
そのあたりのアイデアが、もっと化学に則った展開で述べてありました。
硬いお話で、ごめんなさいね。
ただいま図書館で勉強中・・。
ちょっと検索してみたら、そもそも「マインドゲーム」がきっかけだったとか、
エンダーとジェインの最初の事件、みたいな短編があるとか、
ジェインはヨハネの女性名、云々。。。
マインドゲームには、バガーが干渉してましたよね?
その話ですが、
エンダーが死者の代弁者になって、さらに
どこかの星で暮らしはじめてからの話ですよね。
バガーの意識が実は・・・みたいな。
もう、すっかり忘れているし、
本は手元にはないし(実家に戻ればあるかな?)
ぜひ、記憶の補完に協力してください_(._.)_
>カトリーヌさま
「アンドロメダ病原体」(*_*)
なつかしい作品ですね。
・・・が、このエピソードは全く覚えてません。
もう一回、読み直してみないと
生命の定義ではもう一つ、
時間があると思います。
100年の寿命と、100万年の寿命では、
たぶん、お互い理解できないでしょうね
共有する意識についてですが、
ユングも似たような・・・と書こうと思って
”プネウマ”を調べると、
さすが、ギリシア人。哲学の祖ですね。
生命の素みたいな意味なんですね。
なるほど。勉強になりました。
でも、生命の発生は不思議ですね。
コーンスープ(←比喩です)を何億年か、
かき混ぜ続けると、人間につながるなんて・・・
正直、信じられません(--;)
マイクル・クライトンの初期の作品「アンドロメダ病原体」でも、
主題の”アンドロメダ菌株”を調べていた科学者たちが、
それがアミノ酸を持っておらず、
化学的には、フェノール類の一種のように見えることに困惑し、
これは本当に生命なのか・・と議論するエピソードがあったわ。
生命の定義って、難しいわね・・。
有機物で出来てなくとも良いし、
電脳空間内で、コードや情報だけで出来ていても良いしねぇ~。
もしかしたら、
人間が共有する心理空間っていうか、
集団心理の中で、生き続ける生命というのが居たりして・・。
古代ギリシアでは、そういう存在を”プネウマ”と呼んでいたって、
どこかで聞いたことあるわ。
うろ覚えなので、間違っていたらごめんなさいね。
発生の過程はウロっとしか覚えていませんが、
作中でははっきり「生命」として扱われていたと思います。
彼女はネットワークの遮断によって、生存の危機を
迎えていましたね。
>corraさんへ
確かにエンダーシリーズの影響を受けているかもしれません。
一時期、好きで良く読んでいたので。
ただ、あれはバガーの意識が関係していませんでしたっけ?
(読んだのが、あまりに昔過ぎて覚えていない(-_-;))
>萌☆もっこすさんへ
鋭いご指摘です。
この話が、個人の脳内遊びになるのが
それの定義をできなことにあります。
ただ、個人の脳内遊びでシュミレーションしてみると、
人類全体での定義への流れは以下のようになるのでは。
***
電脳空間で、生命が生まれたとしても、
人間はその存在をすぐに認識することはないでしょう。
単なるデータのエラーとして、処理していき、
ある日、それがエラーが自立的に作り出していることに気づく。
その発生理由を調べると原因がない(゜◇゜)。
そこから様々な議論が巻き起こる。
そして、生命として認めるかどうかの判定が・・・
***
こう考えると、電脳空間の生命は
すでに発生しているのかもしれません。
人間が、認識・定義をしていないだけで・・・Ψ(^▽^)。
>ちはやさんへ
利己的遺伝子がブームになったころの
竹内久美子さんを知ってそうですね。・・・年齢がバレますよ(^.^)
擬人化したがるのは、擬人化した方が理解しやすいというのが、
あるんでしょうね。
まぁ、このアバターも一つの象徴かも・・・
「ディアスポラ」という作品は、今度、探してみようかと思います。
無理やり「利己的遺伝子論」を押し込める様子を
ネタとして楽しんでいましたw
「電脳空間で人間とは独立した"生命"が発生するのでは」というお題で
グレッグ・イーガンの「ディアスポラ」の冒頭を思い出しました。
自然発生ではありませんが、電脳空間で生まれた個体を
きちんとした人格として認めて進む物語に、ちょっと感動w
ただし、きちんと理解できているのかに関して
自信がないのが・・・^^;
最近では、むやみやたらと擬人化が好きな人もいるようで
無生物に人格をつけたがる人たちもいますし、
ハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」に出てくるコンピューター、マイクも
先入観がなければ、人と変わりありません。
いろいろと考えると、「主観」と「客観」についても
所詮人間視点でしか語れないのかなぁ・・・とも思います。
最近私が思いましたのは、自律的な情報の変化、物質組成の変化などは、生命の定義づける上での客観的要素にすぎないのではないか、ということです。
定義の問題とは、逆転させれば、その定義を定義付ける者、観測者が主観的に生命だと認識しうる存在に対してしか適応されないのではないのではないでしょうか?
誰がその定義を与え、誰がそれを定義とするのか。
例えばガイアが一生命体であっても、それを認識する存在、人間が生命であるとみなさなければ、それは生命とは呼ばないのではないか、ということなのではないか。と思うのです。
自律的意志を持つかのような、高度に洗練されたプログラムであっても、それがコミュニケーションを取ろうとする対象が、その存在を、これはプログラムだ、と認識すれば、プログラムに過ぎず、逆に、これは人間だ、と判断すれば、人間になり得る、チューリングテストの様なものではないかと思ったりも。
もしかすると、そこには客観的、絶対的な判断基準は無く、個々による広い判断帯域があるだけなのかもしれません。
科学による証明にしても個々によって、その認識にはニュアンス的な違いがあるはずで、もしそれがなければ、おそらく意志などという自己と他者を隔てる個別情報解釈は成り立たないわけですから。
そう考えると、人間とは感覚から得られうる対象を無意識的に他者と判断する妄想を脳内で作り出しているだけなのかも。ヒトの姿かたちをしたものには親近感がわいたりしますしね。
他者が存在する空間を捉えられるのが現実だとすれば、人工の認知領域である電脳という存在は、人工的な直接的情報による感覚の拡張とも、思えます。
それは間違いなく、現実というものの認識に多大なる影響を与えるのではないかと思うところ。
この掲示板の様に、ある情報入力によって波及する情報の流れは何かしらの影響を与え、別の意志から情報を引き出しているとすれば、ネットはある種の情報のハブとして機能し、繋がる個々全体を集合的な生命とも捕らえられるかも。
自発的人類補完計画かな?
そんな生命が発生していたような。。
お脳の出来が宜しくないので、ネタ振りだけ。
難しいテーマですが、おもしろそうなので、
参加させてもらいます。
前に竹内久美子さんの本が流行った時期があり(20年位前?( ・_・;)
「利己的な遺伝子」もその時に読みました。
内容は、すでに頭から脱出されているのですが、
「著者が自分の話に酔いすぎていてるなぁ」と
思ったのは、覚えています。
アイデアはおもしろいですけどね。
利己的遺伝子もガイア理論もアイデアはおもしろいですけど、
著書を読んじゃうと、狂信的すぎて・・・(-_-;)
で、話題を変えて。
秋津丸が10年ほど脳内で遊んでいるテーマがあります。
タンパク質の塊である人間に意志があるのだから、
「電脳空間で人間とは独立した"生命"が発生するのでは」です。
具体的に、
・その生命が生きるための必要条件は?
・はじまりは、人間の作ったプログラムなのか、
電子信号の無秩序の中から組み合わされ誕生するのか
・その生命は進化するのか? 人間とコミュニケーションできる?
・その世界からだと、この宇宙はどのように見えるのか
これ攻殻機動隊じゃんと思うかもしれませんが、
あれは人間から独立していないし、
生命というより、人工知能の進化版という感じがするので、
「秋津丸の脳内定義」による生物とはちょっと違うような(..)
こんな脳内遊びをする人は、他にいないかな?
確かに小説に出てきた「イブ」は利己的でしたw
その利己的なところをSFでなく、ホラーの方に落としていたのが
なんとなく面白かった記憶があります。
ミトコンドリアも独自のDNAを持っていたり
母親のほうからだけ遺伝する事を利用した研究がなされていたり
生物の体内でも、異質の存在でなかなか面白い人ですw
生物の中で、共生体として生きつつ独自のDNAを持つミトコンドリア。
たくさんの生物を内包した地球全体を生命体として捉える「ガイア理論」。
ますます生命の定義が難しくなってきましたw
>ちはや様
ドーキンスの「利己的遺伝子」読みましたよ~、最近、毎日が暑いので、
涼みに行った図書館にて、見つけちゃって(笑)。
面白い考え方だなぁって思いました。
SFネタになりそう・・っていうか、
瀬名秀明「パラサイト・イブ」は、そういうアイデアを基にしていたような記憶が・・。
間違っていたら、ごめんなさいね。
>萌☆もっこす様
”生命とは物質に対するある種の秩序の生成現象の様ですねw”
こういう考えに従えば、
鉱物の結晶成長とか、台風とか海流とかマントル対流(笑)だって、
秩序の生成現象ですから、地球だって一種の生命、生きているわけね。
ラブロックが提唱した”ガイア”という思想も、そんな感じでした。
そういう疑問を持って、近所の図書館内を歩いたところ(実は涼みに・・笑)、
面白そうな本があったので、借りちゃいました(↓)。
スチュアート・カウフマン著
「自己組織化と進化の論理」日経新聞社刊
まだ、ざっと読んだだけ。でも面白いアイデア満載で、
いずれ、どこかのSF作家さんが、ネタにして作品を書きそうな感じね。
バージョンですか。
自分は未読です。今度探してみますw
「青の6号」的な感じなのかな?
マンガの分野ですが、攻殻機動隊の流れ(記憶という観点および自律的変化)で坂口尚さんの「VERSION」などはいかがでしょう。ご存知かも知れないので内容は割愛します。Amazonで今も売っていました。
遺伝子=情報。その複製ですか。
とすると、変化というよりは、生命とは物質に対するある種の秩序の生成現象の様ですねw
極論を言えば
「生物はDNAの乗り物に過ぎない」
生物がなぜ進化し、自分の種を増やそうとするのか?
こじつけっぽい理論にどこか真実があるような気がします。
生命というのは遺伝子が複製しようとする意思に
動かされているだけの存在かと
少し考えてしまいましたw
よろしかったら一読を。
「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス
無論、規則性や法則性とのすみ分けはあるかと思いますけれど。
あと、内在的変化や変化の客観的観測が可能であるかも重要な要素だとも思います。
「生命の」に限らず、抽象的な定義とは普遍的なものか恣意的なものか、主観か客観かによっても大きくかわるものなのかしらんw
やはり宇宙に飛び出していくのは人間ではなくマシーン化した創造物?
-------------------------------------------------------------------------
「それを言うならあなたたちのDNAもまた自己保存のためのプログラ
ムに過ぎない。生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。
種として生命は遺伝子という記憶システムを持ち、人はただ記憶によって
個人足りうる。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても人は記憶によっ
て生きるものだ。コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にしたとき
あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」
「詭弁だ。何を語ろうとお前が生命体である証拠は何一つない」
「それを証明することは不可能だ。現代の科学は未だに生命を定義するこ
とができないのだから」
--------------------------------------------------------------------------
下記のページにヒントがあるのでは?
http://d.hatena.ne.jp/k16/mobile?date=20080624
分子のゆりかご分子シャペロンのなかでタンパク質は今日も育っています・・・
宜しくお願い致します。
形而上的に答えるか、形而下的に答えるか。
物理学的に答えられないなら、哲学に持っていっちゃえ。
どうせならツッコミが入るような、ウケ狙いで。
簡単に分類するとこんなところかと。
ついでに、わたしがやったのは
わざと論点をずらす、定義をあいまいにする。
↑詭弁を弄するというヤツですw
わたくし的には、ひとつの言葉でこんなに楽しめるなんて
「やっぱりSF者は、理屈が好きだなぁwww」
こんなにもみんなに思われている「宇宙の中心」さんは
きっとどこかに存在するのでしょうね。
いつかお会いできるといいのですが・・・
それは傾向性とも捉えられるところ。
むしろ、私の興味は、皆さんの思考の傾向性のそれですねw
「宇宙の中心」という文字(呪文?)の魔力と申しますか、インスピレーション。
改めて、言葉というものの力を再認識しましたwwww
「宇宙の中心」という、記号(文字)が個々に認識され、どのように解釈するかによって問題の意味/解釈は変わってくるもので、その問題の提起の起源を推察しようとすれば哲学的な志向性が強まり、科学的かつ物理的(空間や時間)といった対象として捉えるのなら、それは記号の意味するところを捉えることになるのではないでしょうか?
したがって、その意味というのが記号が意味するところなのか、その解釈の根源を指すものかは、違うものになるのではないでしょうか?
デカルトの問題のそれは、おそらく観念論対実在論の存在と認識の対概念の問題ではないでしょうか?
対象があるから認識できるというのが、実在論的発想で、物があるから見えるのだ。
まあ、普通人間が物を見て認識するのはこれだとおもいます。
一方デカルト氏のそれは、
認識できるから、対象が存在するという観念論的発想に近いモノで、物を見るから存在するという、何とも自己中心的と申しますか、屁理屈的な言い回しな感じでなものでしゃないでしょうか。
イギリスの哲学者バークリーは、『存在するとは知覚されることである』と述べられたとか。
(そう言う意味では「宇宙の中心」が知覚されているかどうか、それが問題)
哲学者でも学術的でもなく、興味本位の哲学かぶれの私の解釈(そもそも誤りだらけ?)では、論点のそれが、個々の差から生じる相対的な相違によって、同一的な意味をなさないならば(むしろその意味こそが論点?)、それを同一なものとみなし、認識し解釈することは不可能である。という結論に帰結するのですが、どうでしょうか?(てか、それこそ論点からずれているのかもしれませんが・・・)
わたしの宇宙はそれで全部。
「我、思う」と我、思う。「故に我あり」と我、思う。
が正しいのだと、どなたかが言ってたような。。。
まずは定義の問題です。
宇宙の中心:これをどうしましょうか?どの宇宙論をとるかで変わるし・・・
私のペンが存在する。ゆえに私は存在する。:わたしとペンは同じもの?
存在がなくなるという前に存在とはなにか?
デカルトの「我思う」だけは疑いえないものとしたとき、「我」の存在様式は規定のないままに放置されたとハイデッガーは述べてますね。ハイデッガーは、人間の行為に関するいかなる分析も「我々は世界の中にいる」という事実から始めなければならない=人間の実存に関して最も根本的な事柄は我々の「世界=内=存在(In-der-Welt-sein)」であると主張したことにわたしは同感ですということです。
いろいろな考え方があってよいと思うのですが・・・
デカルトは、たとえば「ここに穴が存在する。穴の存在は疑えない。だから枠の存在も疑いえない」というわけですが、「穴が存在する」と言い切った時点で、すでに枠の存在は内包されています。
私たちは、「穴だけ」を認識することはできません。
穴を認識するということは、同時に枠も見ていることになるのです。
穴の存在と枠の存在は、全く同じことを言っているにすぎません。
穴がある、ゆえに、枠が存在する。
へんですね☆
私のペンが存在する。ゆえに私は存在する。
へんですね☆
「私の思考」は「私」が存在しはじめて「思考」となるという前提があって、その前提を逆から「証明」しているように見せているのが、デカルトのcogito、コギト・エルゴ・スム、我思う故に我ありの実体ではないでしょうか。
ちはやさん、宇宙の中心=わたし その答え大賛成です。
どなたかが申したとおり「我思う故に我あり」
ただし半身ですので、不足した半身の相手を探してしまいます・・・
結婚相手が不足した半身かどうかは???
わたし的には
宇宙のことを考える私がいなければ
宇宙は存在しないので
宇宙の中心はわたしなのです♪
そもそも、それが意味するのは、数学的観点からの空間の座標点についてなんだろうか?
もしビック・バン理論を支持するならば、それはビック・バンが起こったその点なのかもしれないが、宇宙の膨張速度が均一でないなら、その点は絶えず遷移することになるだろう。
また宇宙の構造概念が有限かつポアンカレ予想に合致するかしないかによっても、その様相は大きく変わることになるだろう。
もし、中心という概念が、観点の基準として概念であるとするならばそれは、間違いなく宇宙の中心は観測者たる個人の、引いては現在のところ唯一の人類圏である地球ないし、太陽系、天の川銀河ということになるだろう。
つまりはそのモデル領域においてもっとも理解しやすいモデルを用いるというだけにすぎず、本質的には天動説も地動説も基準点の相違であって、根本的に対象とするものは同じであるからである。
例を挙げるならば、地球を飛び立つ帰還型ロケットの軌道計算の座標基準は、今でも発進点たる地球を基とした天動説的なものに違いない。それはその方が計算しやすいから他ならない。それが観点においての基準となる中心だからだ。
それは時間的な概念についてもそれは同様のことが言えるだろう。
そもそも、時間というものは人類が文明的生産活動から生み出した概念であって、どちらかといえば歴史学的な要素が強いと考えられる。それが科学の発展に伴って、学術的観点から物体の運動ないし性質の法則を提起するとき基準として用いられる要素であって、いまだに全ての物理現象を内包できるとする大統一理論が完成していない点を見ても、それが完成された概念では無いと考える。
また、時間という基準もかの有名な相対性理論の提唱、証明によって、いまでは不変的なものではなくなってしまった。ある基準から物体が限りなく光速に近づくときその進行速度は相対的に延伸する。いわゆる「宇宙の双子」話や「うらしま効果」と呼ばれるものだ。
したがって、その基準となる中心なるものは、唯一の人類圏である地球の公転周期を基準としたグリニッジ標準時であり、それとの相対的関係性を我々は主に時間と呼んでいるのである。
しかしながら、この命題が我々の想像意欲かき立て、大いにSF文学の発展に貢献したことは間違いないと思うところである。
レポート:「宇宙ノ中心」萌☆もっこす。
いつもお世話になっております。お疲れ様です^^
確かに70人弱もいれば、巡回だけでも大変ですね;
ちはやさんに無理のない範囲で頑張って頂ければ幸いです✿
お友達67人はキビシーですよね。
こちらでのワタシの目標は、細く長く、です。
宜しく遊ばせてやって下さい。
メンバーさんが増えてきたので、
なかなか皆さんのところにお邪魔するのが難しくなっております^^;
本日、ニコッと退会者の確認をかねて、巡回させていただきました。
サークル発足すぐの頃は
メンバーさんにコチラからお友達申請させていただいていたのですが
サークルの人数が増えて管理しづらくなってきました・・・
ごめんなさい(´・ω・`)
申請を拒否なさってる方もいらっしゃるので
今後はわたしの方から申請するのは、遠慮させていただきます。
もし、わたしとお友達になってもよいという方がいらっしゃったら
申請していただけるとうれしいです♪
よろしくお願いいたします。
先日休日の午後にカフェに入って、ひとりだったので、いろんな椅子に座ったり演壇に立ったりしてたところ、来場者が・・・!
うっかり「緊張しますね~ ははは」みたいな、おバカカキコミをしそうだったところ、先に本のことを話題にしてくださったので、助かりました。
話したいことがいっぱいあっても短い文章にまとめられなくて、チャットはすごく苦手なんですが、一度やってしまうと度胸がつくようですよ。
私は生活が不規則というか宵っ張りなので、時間が合えばになりますが、参加したいと思ってます。
読書会もいいですよね。
学生の頃を思い出します。(遠い目……)
私もチャットは苦手(リアル聞く専)かつ、ウチの環境がチャットと相性が悪いらしく、
タウンでステプお礼を言おうと「あ」と入力したとたんフリーズ落ちいうことも多々…。
もしもカフェの隅に無言の私を見つけても、気にしないでください^^
というか、たったいま気づきました。管理者様でしたか(汗
訪問ありがとうございました。
そして本もわかってよかったです。
『火星の女王』で読んだ気がするので、多分あってます。
また、これが一番面白かったように覚えています。
ありがとうございました♪
http://www.princess.ne.jp/~erb/mars.htm
ヒロイック・ファンタジーの名作ですね。
有名どころでは一作目の「火星のプリンセス」あたりですが
リンク先でシリーズ一覧が見られますよ~。
皆様宜しくお願い致します。
どなたかご存知だとよいのですけども、
子供の頃、学校の図書室で『火星シリーズ』なるものを借りて読んでいました。
たしか、全てのタイトルに『火星』とついていました。
とても面白かったのですが、全てのタイトルが思い出せません(涙
どなたかご存知でしたら、作家さんを教えていただけませんか?
あと、この火星シリーズのなかでも一冊とても面白いものがあったのです。
これじゃないですか?というものがあったら、タイトルをお願い致します。
皆様、宜しくお願い致します。
でも、時間が許せば入ってみようと思います。
ご自由にお使いください。
何か問題があれば、こちらでよろしくです。
引き続きいろいろご意見をいただければうれしいです。
定例チャット、楽しそうですね~。
お休み前の日がいいのでしょうが、時間はどのくらいがよろしいでしょうか?
アルコール片手の大人タイムなどもなかなかよいものですw
個人的には読書会など開いてみるのが夢かな。
キーボードもチャットも慣れですよ~。
お話がしたい一心で、必死に打ち込んでたら
大阪のおばちゃんトーク炸裂になってしまい
他の人にドン引きされたのも良い思い出です^^;
隅っこでお話聞いてるのは楽しいかも。
ワタシが入っているのはこんな時間ですけど、
誰か居るか知らん。
出来れば、月1くらいの頻度で定例チャットなんかもあるとうれしいかも。
みなさんからいろいろな話を聞きたいので。
もっとも私が参加出来るのはかなり遅い時間帯になってしまいますが…。
雑談トピでなく、こっちで話そうかな~と勝手に住み分けを考えてみている。
そこでご相談ですが
サークルカフェの利用時間を24時間OKにしようかと思っています。
理由1. ここのサークルは大人の方が多くて、深夜起きていても困るようなお年の方が少ないため。
ただし、未成年の方もいらっしゃるので学生さんは勉学に支障のないご利用をお願いいたします。
理由2. 皆さんのおかげでこのサークルは、今までトラブルらしいトラブルも起こっていません。
24h解禁しても、問題が起こることはないと思っております^^
みんなでさらに交流を深めるために、
サークルカフェがうまく利用できればと思っています。
ご意見をお聞かせください。
また、掲示板でのトラブルは確認しやすいのですが
チャットでのトラブルは、現場にいなければ確認しづらいものです。
何かありましたら、こちらの談話室ででも相談いただけたらと思います。
********
さぼり&放置気味の管理人ですが、皆さんがいつも気持ちよく
マナーを守ってご利用いただいていること
本当に感謝に耐えません。
これからもどうかよろしくお願いいたします♪
マイページブログの自作小説のカテゴリにて「機心」と言う題で自作小説の連載を始めました。
一応SF(?)です。
まだまだSF初心者だと思うので、熟年の皆さまよかったら、こうしたら、というご意見や、こういう作品がある。などアドバイスしていただければと思います。
よろしくお願いします。
「死者の代弁者」までは、私も楽しいです。
ひたすら木目を追ってしまう辺りは、絵を浮かべると
ツボに嵌まるんですけど。
生命を四種類に分けたところがこのシリーズのキモだと思います。
「ゼノサイド」以降が苦手ですw
オースン・スコット・カードは結構好きです。
ちょっと前に「消えた少年たち」のラストでつい目から汗が・・・
たしかモルモン教徒さんでしたので
作品にもその価値観が見られるように思います。
エンダーのシリーズは、後半が
ちょっと苦手です。
まさか5000円のじゃないですよw
ここのサークルで背中押された感じですね♪
amazon 5000円!?
@いがいがさん
私が読んだのはちくま書房でした。
なるほど、情報ありがとうございます。
ちくま少年文学館に興味あるのですが、これ、1冊買うと
性格的に他のもコンプしたくなりそうで怖いんですよねw
と、ながつきさんのレスを見て思ってたら
そういや「夕ばえ作戦」って、
最初は「時をかける少女」や「なぞの転校生」なんかと
同じシリーズの本として出てなかったっけ?
なんかぼんやりと表紙のイメージが・・・
さっそく目の前の箱に聞いてみました。
SFベストセラーズというジュヴナイルSFのシリーズだったようです。
http://www.ta-kumi.com/harimaze/publication/gallery/turu.html
一部の表紙だけですが、ヤバイ、懐かしいwwwww
今見ると、作家さんも錚々たるメンバー。
復刊ドットコムでぽちっとしたくなりました^^
講談社青い鳥文庫は、ラノベなイラストになっているようですが、
ちくま少年文学館は、昔、図書館で借りた記憶では、児童書らしい夢が広がる表紙絵でした。
角川文庫はいかにも角川っぽいSFな表紙で、解説が柴野拓美氏です。
『青い宇宙の冒険』、評判いいみたいですね。
機会があったら読んでみます。
ちくま版と講談社版どっちがいいのだろうか?
まぁ、海外の翻訳ではないので、内容に
違いはないのだろうけど。
「百億の昼と千億の夜」はマンガから入りましたね。
宇宙塵版とSFマガジン版の「派遣軍還る」は別の作品のようでした。
ストーリーは面白いけど、ラストが消化不良ぎみな感じが残った。
がきデカも連載してましたね(自爆)。
中学校の図書室から1年中借りてた本があります。
独占してたわけですw
小松左京氏の「青い宇宙の冒険」
ジュブナイルですが、とてもよくできた深い本格SFでした。
その後成人して小松左京氏と萩尾望都さんの対談の場に居合わせることができ、
尊敬する二人の話を聞けてどきどきわくわくでした。
そしてエレベーターの中でお昼ご飯に行かれる小松氏と一緒になり、
「青い宇宙の冒険に夢中になりました。大好きな作品なんです!」
と、ぶしつけに声をかけた私に、氏は丁寧に
「ああ、あれは映画化の企画はあるんですよ」
って、言ってくださって
「ええええ!そうなんですかー ぜひぜひ期待したいです!」
握手をしていただいてエレベーターを降りましたが
うれしかったですねえ。
大好きな作品の原作者とその作品の話ができたんですもの。
で、結局 映画化されなかったみたいですがw
光瀬龍でしたっけね。
阿修羅王の悲しみが今も目に浮かびます。
ミクロとマクロの宇宙観には影響を受けました。
おお!同じです。萩尾望都の「ウは宇宙船のウ」
そこからブラットベリに手を出し、
その後、親戚の兄ちゃんの本棚で見かけてた
「わたしはロボット」なんかを
買い出したような気がします。
萩尾望都さんの「百億の昼と千億の夜」は
少年チャンピオン連載でしたよね
ドカベンとかマカロニホウレン荘とかと
一緒に載ってたのか…今思うと謎ですね~
マンガ畑から元ネタを探っていった揚句に
転げ落ちて来たんだと思います。
ウィンダム、ゼラズニィ、ニーブンあたりにゾクゾクします。
ジェインとかタチコマ。人間臭いAIがかなりツボです。
習った記憶が…。
そうすると、ほとんどの人が最初に触れたSFは『竹取物語(かぐや姫)』
かもしれませんねw
ERバローズの「火星のプリンセス」。
今も本棚にありますが、紙が変色しています。
月夜に黄色い薔薇に紅茶。
あのシーンが今も大好きです。
初めて買ったSF。。。
本ですよね。
うーんうーん
なんだっけか。。
アトムから始まったSF好きですが
SF映画見たとかなら小学二年になるけど 自分で買った本。。。。
うーんw
本棚探しておきます。
自分でサークル作っといて、ついていけないと悲しいな~
というわがままですね(´∀`)ゞ
ハルヒも齧ったけど、イヤじゃないです♪
ちょっと前に初心者トピかなんかで話題になってた時に
衝動的に 【ポーの一族】萩尾望都専用【マージナル】 で
トピを立てたくなりました。
そっちのバンパネラじゃダメかしらwww
キマイラは朝日ソノラマ文庫でしたけど
あれこそ、ラノベの走りですよね~。
キマイラもクラッシャージョウも持ってたぞヽ(*´∀`*)ノ
初めて読んだSFはたぶんこれ。
http://www.shinko-bunken.com/bunken/search/detail/detail.php?DN=4-580-81418-5_C8397
火星ネコの子ネコさんが大活躍する
小さな恐竜のすむ星でのお話です。
小学校に上がる前の頃ですから
きっとわたしのDNAにはなんかこういうのが入ってるような気がします。
出来る人間が少ないので、ここでいろんな人の話を聞けるのは
本当に楽しみです。
>我楽多煎兵衛さん
”初めて買ったSF本”だと、男だとケイブンシャとか講談社の
ポケットシリーズになってしまうような気がするので、あまり
記憶が定かではないのですが、”初めて自分買ったSF小説”で
あるならば、中1の時に買ったハインラインの『宇宙の戦士』
だと思います。当時流行りかけていたガンダムの設定に
研究されていると噂され、読んだ記憶があります。
それがきっかけで、なし崩し的にハインラインの作品を読み漁り、
レムやブラウン、ブラッドベリ、ヴェルヌなどの古典や
高千穂遥のクラッシャージョウ、ダーティペアシリーズ、
岬兄悟、火浦功、大原まり子などなど・・・。
その後、ホーガンやディック、クラーク、ハーバートなど
いろいろ読み漁りました。
しかしながら、ニューロマンサーがよく理解出来ず、
SF小説からちょっと遠ざかってしまいました(苦笑
マンガや映画のSFは依然として好きでしたが。
狙い通りのフィルタリング お見事です。
抗う術も無く 濾過されてしまいました。
「超遅延チャット」 SFサークルだけに
専門用語みたいでカッコ良いです。
「特にこだわらない話題」
”初めて買ったSF本” なんてのを軽く織り交ぜてみるのはいかがでしょう。
もちろん こだわらない範囲で。w
まだ探り探りですが、好いサークルに巡り会えたと
感謝しています。
キマイラも始まりはラノベみたいなジャンルでしたよね。
狙ったとおりですw
食いつきました>サークル名
最近はSF小説のみならず 本そのものを読まなくなったので
回顧録に近い書き込みとなりそうです。
ハルヒはついていけなくても
バンパネラなら、いかがですか?
勢いでよく趣旨のわからんトピを立てていますw
とりあえずはサークルの成り立ちなど・・・
サークル機能がテストで実装された時
何かやってみようかと、自分が一番興味のあるもので
サークルを作ってみたのが始まりです。
ただし、涼宮ハルヒなんかのラノベあたりで濃い話をされると
おばちゃんがついていけないので
若い方よけに、こんなサークル名をつけてみましたw
うん。
予想通りのメンバーが揃ってきてるような気がする♪
どれだけ人が集まるかと、心配していましたが
皆さんのおかげで、定員半分まで人が集まりました。
本当にありがとうございます~ヽ(*´∀`*)ノ