毒の壺・その弐
- 2025/10/02 20:49:49
わたしは毒の壺を見つけた。
辺り一面稲の穂が色づく秋の好日、紅を差すとき割ってしまった化粧鏡の代わりになるものはないか?と、
別棟の納屋の奥に入り見回していて偶然見つけたのだ。
うちのお屋敷は代々続く旧家だった。父は医師をしており辿れば先祖は蘭学を生んだ薬師(くすし)だと聞く。
その様なことからか?納屋には真鍮製の計量器具やら瓶などが厚い埃を被ったままチラホラ置かれていた。
棚に幾つか並んだ薬瓶に混じって、瑠璃色の壺が封をされたままそこにあった。わたしが目を引かれたのは
真っ赤な蓋の封がされていたからだ。この薄暗い納屋ではたいそう目立つ‥。少し気になり手に取った。
壺の胴にはラベルよろしく手書きの古紙が貼られていた‥「命短漿」(めいたんしょう?)
これは薬だろうか?それにしては命を短くする、とも読めるし‥‥興味がわいてきた。
封を取り蓋を開けると、中には半分位の高さまで液体が残っていた。どういう効能だろうか?
一度試してみたかった。村には野犬がいた。エサをやると食いついて取っていくが、村人にはなつかず
獰猛に唸る有様なので皆が難渋していたのだ。
わたしはこの野犬で試してみることにした。液を含ませた肉を放ってやると直ぐに林のすそまで持っていき
頬張っていた。わたしはどうなるか?暫く観察していた‥‥が、変化が無い。少々拍子抜けしてしまったが、
二~三日様子を見ることにした。
あくる朝、その野犬らしき犬を見つけた。らしき‥というのは昨日見た姿とは異なり、随分老いていたからだ。
わたしは驚愕し、さらに肉を与え観察を続けた。毎回奪っていくがその度に目に見えて老いていく‥
「命短漿」とは、字の如く命を縮める‥老化を早める薬なのではないか? その仮説が脳裏に浮かんだ。
わたしは肉に投与する量を変えながら変化を観察した。二週と四日、もう肉を奪いには来なかった。
林のすそでぐったりとした「それ」を見つけたが、最早ミイラと変わらぬ姿であった。
わたしには兄がいた。顔は細面でわたしと良く似ていた。幼い頃はどこへ行っても女子と見違えられる美男だった。
妖しい中性的な容姿とは裏腹に、芯のある実直な性格で周りの皆の信頼も厚く、才にも恵まれ両親の誉れであった。
わたしに対しては常に優しく、正しく、凛々しく、清々しく、わたしの想い描く異性の極みを体現していた。
今は父と同じ医術の道に進み修行している。一番身近にいる存在が、一番憧れてしまう対象となった。
‥これは不条理‥ そう、わたしはそんな兄が「好き」だった‥。
そこに居るのは天地が逆さまに反り返っても、寄り添うことの叶わぬ禁断の想い人‥‥。人生で血の繋がりを
これほど呪ったことは未だかつて無かった。幼い頃からわたしはずっと兄を見て来た。ずっと知って来た。
この地上の誰よりも、理解しているつもりだった。それほどに温かく、深く、兄はわたしに接してくれた。
わたしが知るほどに、兄もわたしを知っている筈だ。誰よりも‥そう、誰よりも。わたしの兄への想いを除いて‥。
‥業とは残酷だ‥‥その年頃を迎える前に、すでにわたしの心は魂の奥まで囚われてしまっていたのだ。
「え、妹さんに?」
「そうなんだ、会って仲良くしてやって欲しい。西洋医学を学んで分かったんだけど、妄想症状を伴う脳の
遺伝性疾患でね? ‥そんなに長くない。せめて僕たちの祝言までは‥ 安心させてやりたいんだよ‥」
「‥そう‥。わかったわ、大切な妹さんだものね。」
兄には親しい女性がいた。まだ婚約には至ってないが、兄の口から時々その話を聞くことがあった。
わたしはそれを聞くたびに上の空で返事を濁した。そのことについて兄は大した疑念も抱いてない様だった。
兄同様ポーカーフェイスの無表情な顔立ちが、わたしの怨念と嫉妬を美しさで覆い隠してくれていたのだろう。
その日、初めてその女がお屋敷を訪れた。家族への顔見世?という意味合いに違いない。
案の定、わたしも駆り出され、母屋の広間へと呼び出された。
「初めまして、古都ノ綾根と申します。」
この女が兄の‥。可愛げのあるお嬢さんという感じだった。‥‥しかし、わたしには納得がいかなかった。
兄は世界で無二の存在だ。容姿、天分、学業、運動、信望、家柄、全てに整った、わたしにとって至高の人だった。
その相手と言うのなら! わたしの方があらゆる意味で相応しい!こんな女に兄の相手がつとまるものかッ!!
もちろん言葉や態度には出さなかったが、心の中で禍々しい感情が沸き立つのを感じた。
「どうぞ‥またいらして下さいね。」
わたしは次からのお茶運び役を母に申し出た。
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