高台のケヤキの大木。みあげると花芽たちが、背後の明るい日差しにてらされ、つぶ
つぶとしていた。まるで空があわだっているようだった。あるいは気泡たちが空
にのぼってゆくようだった。みているわたしの、どこかしらも浮遊してゆく。
日々のはざまについて、
地上でみた夢の記憶、
地中で見られた眠りのすきま、
絵画や小説、想像世界、花たちなどについて
静かに渡りを記述しています。
高台のケヤキの大木。みあげると花芽たちが、背後の明るい日差しにてらされ、つぶ
つぶとしていた。まるで空があわだっているようだった。あるいは気泡たちが空
にのぼってゆくようだった。みているわたしの、どこかしらも浮遊してゆく。
カルガモが飛ぶのを見ると未だに軽い驚きがある。
水面に浮かぶ姿になじんでいるから。
同様に浅瀬や畔道を歩く姿を見ても少し違和感がある。
今朝も三羽ほどかる鴨が飛んでいるのを見た。
けれど驚きの向こうで雁を思う自分もいた。
初雁、雁風呂、雁信…雁はガンの事だが、鴨も含んだ総称...
電車の中でうたたねでもして、そこで覗いていたのか?気が付くと江戸川乱歩みたいに覗きからくりについて真剣に考えていた。夢と現実のあわいで。見世物とかデパートの屋上とか。残念なことに乱歩と違って私はせいぜい附録とかでしか知らないのだけど。今もミュージアムショップとかで絵画を二つの穴から覗くと3Dになる...
藤が咲き出した。半袖になった。浅瀬のカルガモが首をめいいっぱい伸ばして水を飲んでいた。ツチノコみたいだ。深緑にまぎれた桜の木。今年はじめて蚊にくわれた。季節が急いで変わったみたい。GW、公園の小川(田圃のための用水路)でザリガニを取る親子、ベンチで弁当を広げる初老の夫婦。
描くことで孤独や不安を現せるのだとルネ・マグリットは画家を志したと知る。書くことでそれでも孤独が薄らぐ。少し温もる。
そう、ルネ・マグリットはキリコの絵を観て、絵で孤独が描けるのだと画家になることを決意したという。
マグリット《赤いモデル》、紐靴と足の抱擁というよりも結合。紐靴がつま先にかけて足にな...
|