■近代文藝之研究|時評|今の文壇と…(7)
- カテゴリ: その他
- 2011/10/09 06:33:04
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (7)
禪家が三昧の境はどうであるか知らぬが、自然主義の三昧境は、この我意私心を削つた、弱い、優しい、謙遜な感じの奧に存するのではないか。此の時自然の事象は始めて鏡中の影の如く、朗かに其の全景を暴露して、我れと相感應するのではないか。我れは此の時始めて自...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (7)
禪家が三昧の境はどうであるか知らぬが、自然主義の三昧境は、この我意私心を削つた、弱い、優しい、謙遜な感じの奧に存するのではないか。此の時自然の事象は始めて鏡中の影の如く、朗かに其の全景を暴露して、我れと相感應するのではないか。我れは此の時始めて自...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (6)
吾人は假に之れを名づけて純粹なる自然主義と呼ばう。要するに寫實的なるものは、事象の結撰及び之れが表白に於いて常に現實らしくといふ一念を離れず、哲理的なるものは同じく常に箇中に理趣を深からしめんといふ一念を離れず、純自然的なるものは同じく微妙なる靈...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (5)
また文章上の情緒主義も同斷である。音調布置の爲めのみに綺葩を剪栽するといふのでなく、情味の濃厚に應ぜんため、專ら助けを傳來の情に富める語句に借らんとする。また動々もすれば誇大の語句を多く用ふる。皆事象を損じても豫定の情緒力を保たんとするからである...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (4)
而して是等はみなそれみづからにして一流を成すの藝術である。斯くの如くならぬものに比して孰れが高級であるかといふが如きは、吾人のこゝで論定せんとする問題では無い。併しながら技巧主義はまた一面に於いて情緒主義と聯なる。單に脚色の技巧、文章の技巧を技巧...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (3)
自然を忠實に描くといふ。しばらく其のいはゆる自然を單なる客觀の事象と解すれば、凡そ如何なる文學といふとも、如何なる方式に於いてか事象を具せぬものはない。之れを忠實に描くといひ不忠實に描くといふは、唯我が製作時の態度の相違である。今吾人は便宜のため...