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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|情を盡くしたる批評(1)

■近代文藝之研究|時評|情を盡くしたる批評 (1)
     情を盡くしたる批評
吾人は甞て本紙に知識ある批評と題して、批評が當然理智を半面の根據とすべき所以を論じた。併しながら飜つて思ふに、當今多數の批評、殊に其短小な批評に對しては、是れよりも先きに希望すべきものがある。知識ある批評といふが如きは...

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■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢…(7)

■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (7)
我が思想界の今の水平線は、文學に於いて所謂自然主義、宗教に於いて梁川一家の見神論、哲學に於いて人間本位のプラグマチズム、此等に新しい自我の展開、乃至其の工風を見るところに存する。十を毀つて五とし三とし零とせんとした前期の思潮に對して、今は新た...

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■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢…(6)

■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (6)
振り返つて我が文壇の近事に思ひ會はすと、樗牛熱の時代が早く過ぎ去つて以來人は漸く一から數へ上る建設的態度を喜んで、そこに樣々な自己展開の工風をする。落ちついて來た、靜に深く考へて、新しい土臺を築かんとして來た、つまり眞面目になりかけたのである...

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■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢…(5)

■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (5)
併しながら、悲しいかなスツールム、ウント、ドラングは此所に至つて其の極限に達する。他者を破壞せんとするの自己と、破壊後に展開せんとするの自己とは、おのづから態度が違はざるを得ない。或は一歩を進めて、物自體が違ふかも知れぬ。スツールム、ウント、...

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■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢…(4)

■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (4)
梁川に比べれば、樗牛の追想は全く状態を異にする。樗牛の文藝も同じく色彩絢爛姿態横生は勿論であるが彼れは燃え上る〓[#「焔」の異字体]の如く、常に動いてゐた、從つて消えることも早かるべき運命を有してゐた。彼れは必ずしも一部の人のいふやうな思想の...

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