10K勝利(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
いい感じだにゃ(≧∇≦)v イェェ~イ♪
B.C.49年、宣帝が崩御、劉奭(元帝)が即位。
儒教に傾倒していた元帝は太子時代、宣帝に儒教重視の政策を提言したが受け入れられなかった。
そのため即位後は貢禹などの儒家官僚を登用し儒教的政策を推進していく。
貢禹の建議により宮廷費用の削減・民間への減税、専売制の廃止(すぐに復活)などの政策が実施。...
やっぱ肉まんかなぁ(*´ー`) フッ
巫蠱の乱後、皇帝後継者は長期間空白が続いた。
武帝は崩御直前に8歳の劉弗陵(昭帝)を立太子し、幼帝の補佐として自らの側近であった霍光、桑弘羊、上官桀、金日テイに後見役を命じた。
B.C.87年、武帝が崩御すると昭帝が即位したが、翌年に金日テイが死去すると霍光、上官桀と桑弘羊との主導権争いが発生。
内...
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