奴禰鳥居 ぬねとりい
- カテゴリ:日記
- 2009/12/19 11:04:33
確認ポイント <額束が合掌形状>
ベースは明神鳥居で、島木と貫の間にある額束に左右から扠首(さす)棹(ざお)をかけて合掌形となったもの。なお柱上に台輪が有る。別名、稲荷奴禰鳥居。
この風変わりな鳥居が京都の繁華街のど真ん中にある。それは新京極通にある錦天満宮境内左に建ち並ぶ社の一つ、日ノ出稲荷社の鳥居がこの形状で、昭和二年建立になる。京風に笠木、台輪、扠首上部の雨覆い(裏甲うらこう)が黒塗りで他が朱塗りだが石造である。現在は塗料の剥落が激しく、見た目が痛々しい。錦天満宮は錦市場の東の突き当たり、新京極通りとの交差点に位置する。
稲荷奴禰鳥居の別名があるのは、旧官幣大社・伏見稲荷大社のお山にある境内社・間ノ峰荷田社に同形のものがある為と思われる。こちらは大正六年の建立で、彩色は無い。
ちなみに笠木の上部に合掌状の扠首を突き上げた形のものを日吉鳥居という。日吉鳥居は合掌鳥居、山王鳥居、綜合鳥居などとも呼ばれ、その実例は滋賀県大津市の日吉大社(御祭神 大山咋命・大己貴命)などに見られる。日吉鳥居の詳細は記さないが、奴禰鳥居とペアで覚えるのが良いだろう。
所在
①京都・錦天満宮 日ノ出稲荷社
②京都・伏見稲荷大社 間ノ峰荷田社
錦天満宮 (錦天神・錦天満神社)
京都市中京区新京極通四条上ル中之町五三七
御祭神 菅原道真公
例祭 五月二十五日・十一月二十五日
神紋 梅鉢 末社 十社
錦天満宮は、菅公を祭神とし、もと京六条河原院に祭祀されていたが、豊臣秀吉の都市計画により天正十五年、都城鎮護の名のもとに洛中の社寺が東の京極へ移された時、現在地へ移り、その後四百年間、崇敬者によって祀られてきた。明治五年新京極ができ昔日の狐狸の棲家も一変したが、地元の守護神として知恵の神・文学の神・商売繁昌の神として周囲の信仰を集めている。繁華街の中央新京極通、錦通の交叉点にある神社。 (『全國神社名鑑』下巻)