今日の言葉
- カテゴリ:日記
- 2009/01/07 00:31:43
お墓参りに行った。
父の夢を見たからだ。
父とは思春期に別れ、
次に会ったのは
霊安室だった。
活字中毒だったわたしが
ぱたりと本を読まなくなったのは
その死の答えを、書物の中に見つけることが
できなかったからだ。
というより、自分で見つけなければ
解決しないだろうと、わかっていたからかもしれない。
父の生き方は納得し難いものだったから
わたしは迷える人になった。
その後いろいろあって
思いの外、修復するのに時間が要った。
人はどうしようないところがあるものだ。
ということで、手打ちにしようかと思うようになった。
自分も含めて。
どうしようもなさは
痛くて、哀しくて、寂しくて
いろんな負が混じり合う。
そんな濁った酒も
上澄みだけは綺麗な色をしていると
思う。
それを愛でることができれば、
極上の味を、知ることができるはずだ。
恐る恐るのばした舌先は
舐めるだけで痺れて、苦いままだ。
そんなことをぼんやり思い描きながら
墓苑を出て駅に向かった。
冬の早い夕暮れが迫ってきて、
こんな気持ちを抱えたまま帰るためらいから
駅前の雑誌ばかりが目立つい小さな個人書店に入った。
文芸書も少ないなぁと、本棚を眺めていると
大きな書店に行かなければ、ないと思っていた季刊誌が
ファッション雑誌と並んで置かれていた。
「考える人」
書かれなかった須賀敦子の本が特集だ。
恩師といえる人はいないけれど、
懐かしい恩師に会った気分にさせてくれる。
待っていてくれたかのように思えた。
季刊誌を買うと、胸に抱え電車に乗り込んだ。
座席に座り、ページを開くと
夢中になる。
疑り深い私の心にするすると言葉が入り込む。
須賀さんの言葉、生きることを真摯に語りかけてくる。
繰り返し、味わいたくなる。
何度読んでも、あっ、と思い、ああ…と諭される。
「ユルスナールの靴」より 須賀敦子著
きっちりと足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも
歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、
完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、
私はこれまで生きてきたような気がする
そうですね^^
大惨事を目にすると、ごく普通のことが
愛おしく思えてきます。
ささやかな喜びの中に
ほんとうの幸せがあるような気がします。
いつも優しいコメントありがとうございます^^
何かをして欲しいと願った
若いころを過ぎると
自分も
何か、できたんじゃないだろうか
そういうところで
ちくちく痛むのです。
相手側が絶対的に悪くても、たとえば肉親の場合
痛みは自分に帰ってくるという宿命を
心理学的に持っているようです。
たとえ時間が戻ったとしても
同じ選択をしたと思うのです。
どうしようもない
そういう感情を父も持っていたのかもしれません。
何もわからない
その時間を埋める手立てはありません。
仕方のないというファイルに
きちんと整理して入れておくつもりです。
生きていくうえで
たぶん、幾つかどうしようもないものを
人は抱えていきていくのでしょう。
そのやるせなさの痛みは
たぶん愛であると
我儘なわたしはそう願います。
と、感傷的になりました。
でも大丈夫です^^
はい^^
歳はいってもまだまだ未熟者。
ただ、完璧な靴に出会えないことを思うより、小さな幸せに喜びを見つけ
ながら歩き続けていきたいと思っています。
雨天の水面は荒れて濁ってますが、晴天の水面は底が見えたり、時としては鏡になります^^
早く晴天になりますように <(_ _)>
って何か変な言い回しになってしまいましたが^^;
ちょっとずつちょっとずつ心を許して、受け入れたくないところは無理に受け入れていかなくてもいいのではないでしょうか^^
って何かおせっかいなコメントみたいですみません <(_ _)>
♥がついたのね( '∇^*)
完璧な靴を見つけられただけでも羨ましい^^
自分の履きたい靴がどんなタイプかもわからず
間に合わせで
肉刺←まめ、^^;ばっかりこさえてる。(ー。ー)フゥ
↑漢字にすると痛そう~~(・・;)
完璧な靴はショーウィンドーに飾ってありまだ手に入らない!
手に取ったみた事もあるが、何時も眺めてるだけなの。
他にも完璧な靴があるのではないか?と思う昼下がりです。
ぉ風邪早く治ります様に♪