Nicotto Town



三つ子の魂百までも②


父という人を諦めきれなかったのです。
だから、立ち直って欲しくて、普通になって欲しくて
抵抗し抗議しました。

強くキツイ言葉の奥に、切ない願い
たぶん、子であることの愛があったんです。
父はそれ気付いていたのだろうか。
それでも、堕ちていくことを止めることができなかったんだろうか。

今でもふと、そう思います。

数年後、母が父の暴力に耐えられず
戻らない覚悟で出て行きました。

父はいつものと同じの家出だと高をくくっていました。
ところが、母は戻りません。
連絡先をわたしに残して行くのが常だったので
教えろと迫り、
学校にも行かせてくれなくなりました。

未来が見えませんでした。
どうなっていくのだろう。

父が酔い潰れて眠っていることを確認した兄は
「出よう。一緒に暮らしていけるか」
そうわたしを促しました。

わたしたちは父を置いて家を出ました。
兄はリュックを下げ、わたしは小さなスポーツバックひとつでした。

わたしは戻るつもりでいました。
でも、戻れませんでした。
父の罵声と暴力のない、ごく普通の生活を知ったからです。
そのことで、後悔を背負ったとしても
やっぱり戻れませんでした。

何度も父に追いかけれられる夢を見ました。
家を出た直後は、ハッと目を覚まし
そして、ホッとするのです。
何もないアパートの一室に、裸電球が揺れていました。

ゆっくり寝ていいんだよ。
父はいないんだからね。
自分に言い聞かせ、眠りにつきました。

それから、学校も協力してくれて、父に隠れるようにして
卒業し、就職し、自分の力だけで生きてきました。
不条理な父と関係よりも
頑張れば、結果がついてくる仕事は
わたしには明解でした。

いろんな出会いがあり
米国に住んだり、ヨーロッパを横断したりという
人生が待っていました。

わたしが一番欲しかったのは、ごく普通の家庭と
幸せな普通の末っ子です。
末っ子だから、みんなに甘えていいんです。

それがかなわない分、神さまは代償を用意してくれたように
思っています。

父のことを忘れたことは一度もありません。
風の便りに、父は相変わらずというものばかりでした。

人は簡単に変わらないのです。
特に、悪い場合は。

夢を見ました。
老いた父がいました。
わたしは父の手を取り言いました。
「もう、いいの。許してあげる」

目が醒めて、涙がとまりませんでした。
幸せだったから、わたしの中に優しい感情が生まれていたんです。

その直後、裏切られるような事実を知ります。
これは、書けませんが。

そして、或る日、父の訃報が届きました。

父は見知らぬ穏やかな老人の顔になって、
病院の霊安室に横たわっていました。
「会いたい人は誰もいない」
そう言っていたそうです。

「会いたい」と言われれいたら
あの時のように駆け出していたのでしょうか。
それはわかりません。

父の死後、半年、わたしは泣きませんでした。
泣けないないのです。
異常なことでした。

半年後、独りの夜、泣き始めました。
ベッドで寝ていると、涙が止まりません。息ができなくなって
起き上がり、ソファに座りこんだまま
夜明けまで泣き続けました。

それから今に至っています。

わたしの中に小さな女の子が住んでいます。
その子は家族を守るために必死で走っていきました。
怖れを知らず、真っすぐで、気の強いその子が
泣くのです。

この子はとても愛おしく、とても厄介です。

わたしはこの子を見つけ出し
「あなたのお父さんを救ってあげられなくて、ごめんね」
と言いました。
その子は納得しないようです。

父もまた哀しい人でした。
わたしを産んだ母も哀しい人でした。

あの子を見つけたことで
父に抱いていた愛情を思い出しました。
思いのほか強い愛情でした。

どうしようもありませんね。
人とはどうしようもないところで泣くのです。

今、思うことは
父には父の人生があり
わたしにはわたしの人生がある
ということです。

それは、誰かを犠牲にして成り立ってはいけないのです。
父といれば、必ず、わたしの人生を奪ったでしょう。
そういう人なのです。
そして、不幸になった分、父を必ず憎んだでしょう。

わたしは自分の人生を誰かのせいにしたくありません。
自分の人生の責任は自分がとるものです。
言い訳をする生き方をしたくない。

父といれば、父のせいにしたでしょう。

とても難しい親や肉親を持つことは
試練です。厳しい選択を迫られる、というより
追いつめられるのです。

肉親を捨てて生きることは
自由になりますが、深い傷と罪悪感を抱えることになります。

でも、その選択をとってもなお、
人生は楽しいことがたくさんあります。

今、とても辛い想いされている貴女へ
貴女の中に昔のわたしの姿を見つけてしまいます。

人は幸せになる力と権利があります。
どうぞ、負けないで。

みなさま、ごめんなさい。コメントしずらいと思いますが
何か書いてくださいね。

わたし自身には終わったことですが
この辛い選択をしざる得ないお友だちがいます。
彼女のことを思うと
涙が止まらなくなるのです。

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2009/12/21 21:29
皆さま★コメント本当にありがとうございました。

それぞれ、とても深く考えさせられ、とても心に残りました。

本当に本当にありがとうございました。
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2009/12/21 21:26
瑠偉さん★コメントありがとうございました。

もし、お母さんやお父さんが瑠偉ちゃんが書いたこの文章を読むことがあるなら
必ず泣くだろう。
自分の娘の成長を愛おしく、誇らしく思うだろう
本当にそう感じました。

たぶん、少女と呼んでいい歳の瑠偉ちゃんが、それも、体も心も激しく揺れる思春期の最中で
両親を責めるでもなく、自分の存在を主張するでもなく、人の心の奥深いものに
優しく寄り添うような形で理解していることに
またまた感動してしまいました。

なかなかできるものではありませんよ。

自分らしく生きる、とは、美しい言葉です。が、厳しいことでもあります。
自分で決め、自分で責任をとる、ということができて成り立っていくからです。
今の自分から逃げないということで、ちゃんと前に進む道が見えてきます。
大人になっても、いえ、むしろ大人だからこそ、とても難しいと言えるかもしれません。
人生は、ままならぬことだらけですから。
特に、自分というものがね。

そのままならぬことに、お父さんもお母さんも苦しんでいるのです。
瑠偉ちゃんの為に離婚を留まっている、その一面もありますが
たぶんね、自分たちの為でもある気がします。

お母さんは魅力的な人ですね。
がんばったんですね。瑠偉ちゃんの心に届くように必死で。

瑠偉ちゃんが、将来、誰と恋した時、恋というものの求心力の強さと怖さを知るでしょう。
お母さんは苦しい中、ちゃんと大事なものを見逃さなかった
それに、とても共感を覚え、嬉しくなりました。

瑠偉ちゃん、できれば、自分の書いたものをプリントアウトして
大事にとっておきなさいね。
未来への二十年、三十年後の自分へのラブレターにしてください。
長い人生を歩んでいく過程で、
人は思わぬ出来事に迷い戸惑うこと、自分を見失いそうになる時が、必ずあります。
そんな時に、開封してごらんなさい。

自分の痛みを超えて、父と母の幸せを願った自分がいたことに
どんなにか励まされることでしょう。

瑠偉ちゃんが書いてくれたコメントは宝物のように輝いています。

瑠偉ちゃん、ありがとう。
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2009/12/20 18:13
手毬さんの過去に比べると、私の過去なんか全然小さいものですが、
このようなことがあり、少し自分というものが分かり、家族、夫婦というものが理解できた気がします。

ただいまだに、夫婦という名だけの微妙な関係が続いています。
私はそのことについて悩むことも涙を流すことも少なくりません。

でも過去のこと、またこの手毬さんのブログを読んでさらに思ったことがあります。
それは自分らしく生きること。
母と父がこの微妙な関係を続けているのはきっと私のためです。
離婚をするということがもし母や父にとっていい決断、道なのであればそうしてほしいなと思います。
もちろん嫌だなという気持ちは心のどこかで少しはありますが、それが徐々に薄れていっているのは確かです。

笑顔でいてほしいのです。父にも母にも。
残りの人生を自分らしく、生きてもらいたい。
私が勝手に思っていることであって今後どうなるかは分からないです。
でも本当に、笑顔でいてほしい。

もちろん私も今は心の底から笑顔で生活しています^^


長くなってごめんなさい
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2009/12/20 18:02
手毬さんこんばんは^^
昨日も、コメントしようと思っていたのですがなかなかね。

私のうちは、暴力などではありませんでしたが、母と父の仲があまり良くありませんでした。
うちは父はずっと単身赴任で始めは年に何度か帰ってきていたのですがだんだんと連絡もなくなりました。
誕生日やクリスマスになると、プレゼント何がいい?と聞いてくるだけ。

小学3年生くらいのときに、父が帰ってきました。その日はとても楽しく遊んで、遊び疲れてすぐ布団に入りました。
私はとっても寝坊すけなのでまず自分から朝早く起きることはないのに、なぜでしょうね。
その日は早く目が覚めたんです。リビングから父と母の話し声が聞こえ、その話は「離婚」の話でした。
私は幼かったですが、どういう意味なのかすぐわかりました。

母は多分不倫をしてたのだと思います。寂しさからなのか、それは分かりませんが
毎日男の人から電話があり、その人からの電話だけはなぜか、私のいないところで話すのです。
幼いからこそ、気づいてしまうのかな。大人の変化に。それは私が小学校を卒業するまで続きました。

私は中一になり、2学期から不登校になりました。いじめなどではありませんでしたが、なんでしょうね…
私が不登校になり、男の人からの電話はピタリとやみました。
母は私を放っておいてはくれませんでした。放っておいてと何度も言ったのに。
母の支え、愛情があり私は中二から別の学校に通いだしました。
母も私も笑顔が増え、その時初めて母の心の奥に触れた気がしました。
私が嫌いだったのではないのかなと、少し家族というものを理解できた時でした。

手毬さんだから言えますが、私はあまり年齢がいっていません。本当に。
まだまだ子どもといえる年齢なのです。
私は兄弟がいないので周りが大人ばかりという環境で過ごしています。
母と二人暮らしという環境からしっかりしなきゃ、いい子にしなきゃという考えが常に頭をめぐり、
その責任感から不登校にも繋がってしまったのではないかと言われたこともあります。
今は昔ほどそういう責任感はありませんが、やはりしっかりしなさいと言われると辛いです。
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2009/12/20 02:14
南の島のヒロさん★コメントありがとうございます。

おかえりなさい^^楽しかったですか^^

ふと、思ったのが、当時、奥様はヒロさんに何かお説教をしていたのではないか^^;
そんな光景が浮かびました^^;

わたしの実母になりますが、顔はおぼろげに記憶にありますが
一度も言葉を交わした記憶がありません。当時はいろんな事情があったのでしょう。
まだわたしが赤ちゃんの時に、父があんなだから、置いて逃げたんですね。身ひとつだったそうです。
「お前はいらんかった。施設に預けるつもりやった」口癖のように父に言われました。
まぁ、慣れるんです。ウルサイワイ。と。それでも父とは十何年か、やりとりがあったし、
大切ではなかったけれど、それなりに愛情はあったと思えるところがあります。

実母が亡くなったと聞いたのは、12歳くらいでしょうか。ちょっと曖昧←いい加減でしょ。
泣こうとしたけど泣けませんでした。記憶がないんでもの。
だからヒロさんも呼べないのは当たり前だと思います。

実母は生涯で6人の子どもを産みました。わたしは4人目、これも微妙な位置関係ですネ。
異父兄弟が4人いることになります。会ったことがない人は一人だけ。双子の妹もいるはずですが
今はどこにいるかわかりません。自分の子の一人も成人した姿を見たことがない人です。
哀れですね。情がなかったとは思えず、いわば、運命に流されて生きたという、結果です
他にもね、ドラマチックがいろいろあります。
父にも養母にもあって、人生様々であると、自分のことをその中に入れないで、外から見ると
しみじみと考えます。

今でも父よりも母のことをどう受け止めいいのか、分かりかねているんです。
基本は、何があっても幼い子供を手放したら終わりということです。
怒りがあったり、激突があっても、共に過ごした時間がある方が、何もないより、まし、ということ
なのかもしれませんね。記憶がない、空白というものは埋めがたいものです。

実母と同じ病になり、始めて入院しました。複雑な気分でした。記憶にない人と確かに繋がっているような
何なの、って感じでした。父を一人で逝かせてしまったし、それも、痛い心持でした。
父より、実母の方が、わたしには難しい問題かもしれませんね。

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2009/12/20 01:30
刹那さん

まず、体をいたわって、完全に治しましょうね。
元気になると、自然と前向きな心も戻ってくるものです。
これは不思議^^
ちゃんと食べて、ぐっすりと眠って
英気を養いましょう。
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2009/12/19 20:28
こんばんわ。

 ワテ、帰って来ましたでぇ。
 黒猫手毬さんが、経験されたことと同じとは言えまへんけども、家庭的な部分では、似たような体験をしていますわ。 ワテの場合は、父親の記憶が1つしか無い時に亡くし、母親にも捨てられたんですわ。
 そのワテを育ててくれたのは、父の母親、つまりお祖母さんですわ。 後年になって、ワテが結婚して2人目の子(娘)が生まれた時に、押しかけて来て面倒を見てくれましたけど、その期間中、ワテは「お母さん」とは呼びまへんでしたわ。
 ワテは、そんな辛い体験をしてもお父さんのために泣けるあなたが素晴らしいと思いますわ。
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2009/12/19 15:48
黒猫手毬さん

心配してくれる方がいて、幸せです。
体が自由に動ければ、本当に楽なのですが ^^;

はい、このチャンスを逃がさぬよう
自分でも努力していきたいと思います。

貴女の平安も続きますように。
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2009/12/18 23:59
刹那さん

健康は大事です。体の自由がきかないと
すべては思うようにいきません。

どうぞ、チャンスを逃さないで。
本当を言えば、わたしは心配でたまりません。

必ず光が見えますように。
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2009/12/18 23:54
ぷっちょ会長さん★コメントありがとうございました。

いえいえ、こちらこそ失礼しました。
父の抱える闇は、時代と大きくかかわったものであったのは
わたしが父と離れて、そして、本当に理解しつつある
今なのかもしれません。
それを少しだけ…と思いました。
ぶっちょさんはご健闘をお祈りしております。
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2009/12/18 23:42
黒猫手毬さん

同じ過ちは、繰り返したくありません。
悲しみも修羅も。

今ある可能性を信じて前に進みます。

助けられるような蟻地獄に、はまってしまいそうでした。
ですが、人なんて簡単に変わらないことをよく知っています。

私が今まで家を出れなかったのは、体がガタガタだったからです。
寝たきり状態も続きました。

ですが、今体も少し回復し、
何とか今の状況を抜け出そうと思っています。

入院したことによって、家がどんなにキツイ場所かが痛感します。
麻痺してたのか。入院するまでは、家にいようと思いました。

諦めていました。
自分一人でやってはいけないと。

ですが、色々な支援がある事や助けてくれる状況下に置かれた今。
私は、光が見えました。諦めかけた光。

その光に、手を伸ばしたいと思います。
進む私に、後ろから引っ張る手を退いてでも進んでいきます。

闇は、もう御免です。
未練もありません。

父は良き理解者なので、父には打ち明けますが。
母には、居場所を教えないつもりです。

兄妹とも、やっと離れられます。
私。暴力や暴言だけがDVだと思っていましたが、

私を否定したり、無視や嫌がらせもDVなのを知った時
嗚呼、私はずっとこの中にいたのか。

そして、それを知っておきながら、
其処に住まわせていた母が憎く思いました。

母は、私を手放したくないとハッキリ言いましたが。
私は、所有物ではありません。

そこから、振り払ってでも離れます。
これからは、自分の人生を生きたいです。

色々と後押しをして頂き、有難う御座います。
自分についた柵を振り払って、先を見詰めていきたいと思います。

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2009/12/18 22:55
西の魔女さん★コメントありがとうございました。

それは寂しいお言葉ですね。
きっと深い事情がおありなんでしょうね。
肉親の中に、心から優しい言葉を与えてくれる人が一人でもいれば
本当に幸せなことだと思います。
魔女さんが、心ささえという部分がおありなんでしょうね。
わたしも、もう少し寛容になって
優しい言葉をかけてやらなくてはなぁ。。難しいけど
いや、本当にそう思う日々です。
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2009/12/18 21:02
わざわざ私のブログにまで来ていただいて、ありがとうございます。
ぬるま湯の中でぬくぬくと育ってきた私には、想像を絶する世界です。

すいません。
書いては消し書いては消し…どうにも自分の気持ちが上手く表現できません。
気の利いたコメントも残せず申し訳ありません。
でもお父様のことを書かない…については重々理解しているつもりです。
なので黒猫手毬さんも気になさらないで下さい。
気にかけていただきありがとうございます。
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2009/12/18 16:26
兄がね、ちょいちょい言うんだ。
「自分は幸せになっちゃいけないって思う。」って・・・
兄の、あらゆる言葉が愛おしいけど
これだけは悲しくて聞きたくないなぁ・・・・
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2009/12/18 15:38
亀吉さん★コメントありがとうございます。

亀ちゃんが強いルーツだね。
親っていう奴も、生き延びていかねばならないから
手っ取り早く、利用しやすいものから、犠牲にしていく姿は
歴史的にみても、変わらないね。

亀ちゃん、よく、がんばって、今、ここに、わたしの前にいてくれて
ありがとう。

それで、思い出した。
父に通りすがりに近い友人に子どもがいないと言われ
わたしを「やる」とあっさり口約束したらしい。
いそいそとやってきたその人を
烈火のごとく追い返したが今の母なんだけど、養母ね。
でも、それを教えてくれることないやろう。
小さかったから知らなかった。
知らなくていいことも、教えてくれてなぁ。ウムム。。

亀ちゃんの元気は貴重な財産です。
南の島で、今は日本にいるけど
亀ちゃんが頑張っていると思うと、とても元気を貰います。
ありがとう。

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2009/12/18 15:30
タキさん

逆説なんですね。
あなたをとても大切に思っておられる方がいて
無謀なタキさんが、心配でたまらないのではないですか。

言葉は時に、逆の意味を含みますヨ。
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2009/12/18 15:28
❤cat❤さん★コメントありがとうございます。

初めまして^^

いえ、本当に、もう終わったことなんです。
わたし自身の整理として、心のキャパを広げる為に
違う場所で晒すという作業をしました。

晒すとは過去から逃げない、自分の立ち位置を確認するということでしょうか。
あるがままの現実を受け入れることで
記憶とは、意外なくらい、曖昧な部分が多いものです。

確かに辛い部分はあります。
貴重なコメントを戴いた皆さんも、前を向いているように思えます。

誰かの心に訴えかけたいと思えば
自分の経験を晒すのが一番インパクトがあります。
それは、時に
自己憐憫や、同情の強要
すれすれを行くことがあります。
受け手によって変わっていくことは、仕方がない部分があります。

今、泣くのは
明日に、未来に笑う為だと
とくに若い人は、そうあって欲しいと願ってやみません。

自分を助けるのは
最終、自分しかありません。
そして、自分と決着をつけるのも自分。

それでも現実は厳しく、間違いを犯し、悩み
迷うものです。
わたしもそうなんです。

ただ、少しばかりの経験で、先に待っているものが
多少なりとも分かれば、何かの足しになりはしないかと
これも、傲慢かもしれません。

このサイトに紛れ込んで、一年、濃いやりとりをするとは
思わず、つい、熱くなり、それでも
愚かにもいわずにはおれない自分がいて
それは多少、自嘲しても、おります。

そして、ちゃんと応えてくれる
大切な人々がいて、とても感謝しています。

どうぞ、いろいろと、思うままに書いてくださいましね。
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2009/12/18 15:11
yukinkoさん

いえいえ、いつもその元気に励まされています。
 
アリはかなりシャイなので^^;嘘
獲物を狙う為に隠れているような、ワルなんで
呼んでみてください。
呼んで来る機能って可愛い^^
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2009/12/18 14:13
親との縁を切らないでと、書かれておらる人もいて、きっと優しいお母さんなんでしょうね。
できるならば、そうしないで、生きていけるものなら、どんな楽でしょう。

でも、やっぱり、長期間、あるいはそれ以上、
家族と離れておかねばならない現実を抱えているように、わたしには思えます。

身体的危害、経済的搾取。この二つを侵された場合
自由を奪われ、精神をも失いかねません。

親から受ける愛、得られなかった愛といものは、常に麻薬のように目の前にぶら下がり続けます。

家を出て、一人で生きていく上でも、最初は平穏を得たと思えるのです。
みんなが幸せで、自分だけが取り残されたように思える時もあり
そんな時、自分の境遇を思い、
困難に出会って打ちのめされそうになった時
家族を捨ててきた報いだという罪悪感が湧いてきます。

この二つから、honeyさんの言われる「救済できたのではない」という呪縛から
逃れることはとてもとても、難しいものです。

それは、家族を捨てることではなく、痛みをそのうちに留めたまま生きていく
ということなのかもしれません。
痛みの中に家族への愛があるから、手放さず、手放すことができないのです。
それが、あなたの、あなたである証拠ともなり得る、と、
わたし自身に問いかけて、思ってみたりしています。

わたしは自己憐憫する人は、嫌いなんです。
辛かったら泣いていい。苦しかったら叫んでもいい。
でも、前に進む為に泣き叫びましょう。

「潔さ」という言葉が一番好きです。
そう、生きていきたいと、わたし自身はじたばたとあがいています。

たとえ、どんなに辛い旅立ちであっても
前を向いているならば、可能性は無限に広がっている
わたしはずっと、それを信じていたい人間です。

辛い経験や痛い傷は、泣く為にとっておくものではありません。
誰かを理解する為に、同じ思いをする人の為に、少しなりとも
役立つのであれば、消費させて、晒していいのだと。
決して、自分の為に泣くなと、同情を買う為に使うなと
そしていつか、自分の糧にしてやるのだという
弱い自分への闘いなのかもしれません。

あなたには力がある。
自分を信じて、自分を誰よりも大事な友として
道連れになるよう、心より祈っています。
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2009/12/18 13:45
あれから、高校は働きながら行く選択を余儀なくして、この家族から離れました。
15歳から、一人で生きてきてるわけです。
父親は、体を壊して、継母とも別れ、その後亡くなりました。
兄から連絡を受けましたが、お葬式には行きませんでした。今でも、お墓参りすらしたことがありません。
すぐ上の兄は、母親とお墓を一緒にして欲しいと、お願いされたそうですが、
墓の中まで苦労はさせたくないと、断ったそうです。
「○○(私の実父)のオヤジには、ぶん殴られてばっかりだったけれど、メシだけは食わせてくれた、
 感謝している。でも、幼い俺たちを捨てた実父は許さない」と、以前言ってました。

大人になってから、母方の叔母に、「私苦労したもんなぁ~」と、ふと言ったら
「なに? おまえは別に苦労なんかしていないわよ」と、即効で軽く言われました。
あ~~。今までのことがダダダァ~ンと、吹っ切れてしまいました。
そっかそっか。私のことなんて大したことないんだ。 ふふん。。。

母親が亡くなった直後は、私を不憫で迎えにきたような姿を、幽体離脱で見たり
兄に子供が生まれた時は、夜中に教えにきてくれました。嬉しかったんでしょうね。
その後はさっぱり。。 多分、孫の方が可愛いから、私は忘れられているみたいです♪
1度も墓参りさえしていない父親は、出てきませんね。

で、今に至るわけですね。
自分の人生を、私は楽しい人生だと、いつも思っています。
あれ、まとまらなくなってしまいましたね。。。
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2009/12/18 13:35
刹那さん★コメントありがとうございます。

少し考えました。

わたしのことは、本当にいいのです。実際に今は不幸でも何でもありませんから。
でも、確実に傷はあります。
そのことについて、同病相哀れむ、という感覚でなく、少しだけ話をしたいと思います。

わたしが刹那さんにとても惹かれるのは、
内に秘めた激しさかもしれません。前に行きたいという。
とても厳しい状況の中、他者への思いやりを失いたくないという、強い意思があります。
あなた自身が救われたいのではない、家族という不条理そのもの中で、家族を何とかしたいと。
そして、自分の無力さに絶望して傷ついているのです。

子どもは家族に守られなければなりません。
現実は廃人の手前まで追い詰めました。
これまであなたにおきたことは、客観的にみても、あまりにも痛ましいことです。
あなたはそれを吐露し始めた。
怒りですね。でも、それを、ものすごい力で抑制しようとしている。
背後にある家族への報われない愛が、そうさせるのでしょう。

お医者様をはじめ、周囲の人が動いているのは
あなたは自立でき、助けられると確信したからに違いありません。
チャンスを与えられたのです。

家を出るチャンスはそうそうあるものではありません。
それも良い支援があって。

母の、あるいは父の傍にいてあげたいと、優しい魂を持った子どもが
虐待によって、痛ましい結果になった事件をが後を絶ちません。

肉親というものは、恐ろしいところがあって、一度寄生し、利益を得ると分かると
どこまで、その権利を所有したがるものです。愛があったとしても、これは別物なのです。
ケースバイケースかもしれません。

下のhoneyさんの書かれているように、積極的に逃げなければならない、と
わたしも思います。
何故なら、家を出ても、刹那さん自身の生活は、自分自身を支えていくだけで、手いっぱいだと
思われるからです。親の何の支援もなく、生きていくことの基盤はとても脆いところがあるのです。

縁を切る、覚悟で、身を潜めねばならないかもしれませんね。
連絡をとれば、察知され、また、同じことになりかねません。
刹那さんは修羅を知っています。


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2009/12/18 13:33
私の母親は、2人の男の子を残して、夫が行方不明になりました。
まだ若く年下だった私の実父をたぶらかして、私が生まれました。
前の夫と離婚が済んでなかったので、私を前夫との子供として出生届けを出しました。
その後、離婚が成立して、自分は私の実父と再婚して、更に弟が生まれました。
2人の連れ子も一緒に住んでいましたが、かなり暴力や困窮な生活ではありました。
上の兄が、高校進学を、土下座してお願いした光景が残っています。

学校では、実父の生を名乗っていましたが、小学校の先生にクラス全員の前で、わざわざ指摘されたことがあります。その後、その女教諭が、養護学校に栄転しましたが、養護学校の生徒の気持ちがわかるまいと、冷ややかに考えていました。

その後、9歳で母親が亡くなって、しばらくして上の兄たちは親戚の家に引き取られました。
内縁の妻が来たのですが、それはもう、継母で、朝は私が1番に起きて、ごはんの支度、
家に帰れば、掃除、料理の支度、洗濯をやらなければいけません。殴られるのも日常のこと。
父親が帰ってくれば、私の失敗を告げ口されて、更に、殴る蹴るのお仕置きを、父に要求しました。
あれほど、可愛がられていた娘だったのに。
洋服も下着も、わざとまともに買って貰えませんでした。学校の身体検査が恥かしかったなぁ。。
中学校の夏服も買ってもらえませんでした。友だちに指摘されても、我慢していました
「中学出たら、女中奉公に行かす!」といっていました。 (何時の時代やねん?)
学校の時間と、休みの日に父親と弟、継母が3人だけで、車で遊びに行ってる時間が安らぎでした。

その後、中学3年生で、父方の祖父母の元へ行かされましたが、祖母がきつい人で
連れ子がいた母親が気に入らなかったらしくて、昔送った私の七五三の写真を取り出してきて、
従姉妹と私の目の前で、ビリビリ破かれたこともありました。(自分も婚前子がいたのにね。。)
弟は一人息子の更に一人息子なので、大切にされていました。
お正月に、父親と継母の所に遊びに行きましたが、ブラウスとセーターだけで、電車に乗って。
それを見た父親の妹が激怒して、「コートくらい買ってあげなさい!」って。
父親から、1万円貰って、従姉妹とコートを買いに行きました。それは、嬉しかったです。
アバター
2009/12/18 03:37
私の場合は・・・・・・・・・・・・・・
「破滅的自己犠牲精神」みたいです(苦笑
話は微妙に逸れますがアンパンマンの原作者が
何故あの作品を書こうと思ったかをこの前インタビュー受けてました。

彼曰く「自分の身を捨ててでも人を助ける心を子供達に教えたかった」そうです。

まぁ、同じ自己犠牲でも私の顔を食べたら腹を壊すと思います(汗
アバター
2009/12/18 00:11
じゅんさん★コメントありがとうございます。

おかえり。じゅんさん。
戻って来ると言われていたので、きっとまた現れてくれるだろうと
思っていました。

わたしがじゅんさんにご両親に会うように、常々言っていたのは
そう、書いたとおりなんです。
幾つかの要素があって、離れなければならない場合と、
たとえ多少傷つこうが修復していい場合があり、じゅんさんはね、絶対に後者なんです。
それが、じゅんさんの為になるから。

いろんなこと話してから、ずいぶんと時が経ったみたいですね。

わたしのような親子関係でも、会っておいた方が良かったのか
この問いに、たぶん、一生揺れ動いていくのだと思っています。

縁というものがあって、父とわたしは縁が薄かったともいえます。
そして、じゅんさんと縁があったのなら、そう、ご両親とね。
きっとそうだと思います。踏み出せば、自分の中で必ず何かが変わります。
そう思えてなりません。

じゅんさん、とても優しい言葉をありがとう。
寂しがり屋でシャイで心優しいじゅんさん
わたしはずっと年上なんです。
だから、姉のように、純さんを想わせてくださいね。
アバター
2009/12/17 23:49
タキさん★コメントありがとうございます。

ああ。。失礼しました。
かなり急いでいたので、つい、訪問して、行かなければならなかったのです。
足跡だけで、誤解を招いたのならお許しくださいね。

後ほど、ブログを幾つか読ませていただきました。
生きるのは過酷です。特に今の時代は。
たくさんの拒絶に遭うと、どうしも折れそうになってしまいますね。

自己犠牲は、心を揺さぶることができる要素の一つです。
ナカナカ持てるものではありませんよ。
優しい資質をお持ちなのですね。
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2009/12/17 23:40
カルカンさん★コメントありがとうございます。

それぞれの人生があり、親と子といえど、
本来は別の人間ですものね。

離れてみて分かることもあるし、
共にいることが不幸な結果を招くとすれば
哀しいかな、離れるという決断をせねばならない時もありますね。

水は堰止められると溢れだし、時に兇暴な力となって
何もかもを壊してしまうこともあります。
静かに一筋の流れになって、別の道を行けば
新しい何かに辿りつけることもある
いろんな可能性を捨てずに行きたいですね。

自分を大切にすることは、他者を大切に思うことへの
入口ですものね^^
カルカンさんも自分をいたわってね。
ちゃんと野菜も食べて^^;;
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2009/12/17 18:34
初めまして。
貴女様のお心綴られましたブログコメントより失礼させて頂きました。

本当は、そちらのコメントに心打ちますものがありましたもので
ステプだけでお暇させて頂きますつもりでしたが、こちらの2つのブログ・・・
胸が苦しく涙が溢れました・・・

きっとこちらに綴りきれません『想い』を もっともっとされていらしたのではないでしょうか?

私の想いは、言葉だけのこの世界で綴ります事は
精一杯の胸の内でありましても、薄っぺらな文字の配列のように思えてしまい
書き込みます事を 躊躇させました。

しかし、今も涙が止まりません・・・

自身には終わったことですが・・・と御座いますね。

終わりに致しますには、ご自身が行動致しませんと中々物事は幕をお引き下さいません。
自身で動く事でも 永遠に想いが駆け巡り
そのお色が強くなってしまう事も・・・


お恥かしいですが、今自分が何を申し上げたいのか
胸中理解出来ませんけれど、正直な気持ちを綴らせて頂きました。

私に何が出来ます訳でも御座いません・・・
ただ、貴女様のこれからと そのご友人様が
どうか笑顔でお過ごしになられます御時間が、増えます事を
心より願う自分がここにおります。

突然のコメント、大変失礼致しました。
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2009/12/16 23:55
私をいたわってくれて、ありがとう^^
最近、誰もいたわってくれなくて「ゆきって、いつも元気だよねー」だから、ま、それはそれでいいんだけど、なんだかヒーリングに来た気分です。
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2009/12/16 22:41
黒猫手毬さん。
貴女とは、私の事ですね。

すべて読ませて頂きました。
思い出すのも、それを載せるのも辛かったですよね。

有難う御座います。私の為に。
御免なさい。悲しみを思い出させてしまって。

私は、想像力と感性が過敏です。
貴女の文章が、映像となって頭に流れました。

幼く、無力で無垢な子供が、
こんなにも耐えてきたのですね。

そして、私みたいに、問題に直面して闘ってる他人をも、
気遣ってくれて、思ってくれているのですね。

憎しみが、愛に。
悲しみが、喜びに。
苦しみが、幸せへと、変わりますように。

私は、貴女と出会えて幸福です。
貴女の平安と幸せが一生続くことを、願います。

貴女は、アガペ
貴女は、愛です。

有難う御座います。
本当に、有難う御座います。






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2009/12/16 21:14
この時期に帰ってきたのは何かの意志なのでしょうか。
多分、それは私の勝手な思い込み。

「オレは好きで生まれてきたんじゃない。
 子どもは親を選べねーんだ。
 お前らが勝手に産んだんだろうが!」

と、かつて父親に向かって言ったことがあったので
同じようなくだりに思わずその光景がフラッシュバックしました。
言ってはいけない台詞だとは知りつつも
その時のコップからは水が溢れてしまっていたもので。

この記事を読んで
以前から気になっていた手毬さんの『シンの強さ』を
少しは理解できたように思います。

同情は求めてらっしゃらないことでしょう。
多分私ができることは
田舎の両親が生きているうちに
これまでのわだかまりを少しでも解消することなんでしょうね。
それが彼らにとって、また私にとって必要なことなんだろうと思います。
しかと心に刻んでおきます。

その器があるかどうかは別として
父のように、夫のように、恋人のように、子供のように
私はあなたを愛し、甘えられる場所になれるよう
光の向こうからあなたの幸せを願っています。

薄っぺらで、自分勝手な言葉とは知りつつも
そう言わずにはいられない私を
どうぞ暖かく見守りくださいますよう。
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2009/12/16 12:36
私は冥府魔道。
どうもこの道を選んで行く様です。

アンタが生きてるから皆が不幸になる。

何人に言われたか解らない位にね。

私の中には「破滅的自己犠牲精神」ってのがあるみたいでね。

ブログにあんな事書いてるのは私が悪く言われても
実際の世の中を皆に知らせられれば良いって考え方だから。

忌み嫌われて使い捨てにされるのは慣れてるんでね(苦笑
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2009/12/16 01:42
お邪魔します<(_ _)>

 きびしいことかもしれませんが
 離れるのがいいのかなっと思い
 ます。
 離れることによって、見つめな
 おせて変われるのであれば、そ
 の後も改善できるかと
 変われなくてもそれぞれが自分
 の道をいけ、相手に必要以上の
 加害を加えることがなくなるか
 なと思います。
 分かれ道と言うほど選択の余地
 がないですが、それでも決断し
 て前に進んでいくことがいいか
 なと。
 停滞することより流れることが
 必要かなと思います。
 いい方へ、悪い方へと進みます
 が、停滞することよりも進む道
 ができるかと思います。
 それと、人を守ることは大切な
 ことですが、それと同様に自分
 を守ることも大切なことだと思
 います。
 
 
  
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2009/12/15 22:42
たいさん★コメントありがとうございます。

答えはね、ないんですよ。

確かに収支が合う、とうこともあります。
わたしの場合は、手に入れたものも、思いのほかあるので
諦めるなと、どうしても人に言ってしまう癖があります。

でも、確実な保障は、どこにもありません。
わたしの経験した選択は、人によれば、心に大きなダメージを残してしまいます。
代償として他の物が手に入ったとしてもね。
それほど、肉親の問題は、ある意味不条理な部分が多んです。
人が生まれて初めて接する関係だから
深層心理に深く絡みつくんです。

父の代わりになるものはありません
が、わたしは、自分の居場所を手に入れたんだと思います。

それと、たいさんは自分で思っているよりも
マイナス思考ではないと、感じられるのですが。。
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2009/12/15 22:26
小チゲさん★コメントありがとうございます。

まぁ。本当に誰かと思ってしまったんです。だから、本当にありがとう。

わたしは一度も小チゲさんを頭が悪いなどと思ったことがありません。
むしろ、賢い人だと思っていましたヨ。
ひょうひょうとした明るさの向こうに、きっちり優しさが覗いていました。

わたしの両親も、といっても御存じのように複雑ですが^^;
人には相性があって、相互作用、その結果悪くなるか、良くなるか、これは賭けみたいなものです。父と母は似たもの同士で失敗でした。
それでも、子どもには父と母は対で考えてしまいますから、別れるとなると切ない思いをします。
大人になれば、父と母も辛かったであろうと、分かってくるものですね。

何ていうか、親というものは、いつも腹立たしいものですね^^;
わたしも長いこと母と二人で暮らしていました。今は違うんですが。
何度、家を出てやろうかと思ったことか。それでも、母にはわたしが必要だからと思い留まりました。
子どもみたいな人で、何もかもおんぶにだっこ状態なのに、偉そうに自分の価値観を押し付け
思い通りしようとしていました。もちろん、いうことは全くきかないんですけど。

米国へ向かうわたしが乗った飛行機を、30分、金網にしがみつき見つめていたそうです。
見送りに来ていた友人がその写真を送ってくれました。
泣きそうな顔で金網を握りしめている母の姿に涙しました。

わたしもね、母を一人にするか、どうか、かなり迷ったんです。
でも、かなり年上の友人が、今行かないと、お互いに重たくなって辛くなるよって背中を押してくれました。母自身も、子離れできない人なので辛かったと思いますが、承諾してくれました。

小チゲさん。もし、お父様の為に諦めていることがあったり、一人で行かなければいけないことがあれば
お父様が一人で暮らせて行ける状態であれば、自分の幸せを優先して。
↓下の歌穂さんも書いておられますが、一番の親孝行は子どもが幸せになることなんですよ。
時に辛い選択でも、ずっと先を考えれば納得がいくこともあります。

大きな幸せを得る為に小さな不幸を我慢する、とでもいいましょうか。。
それが、きっと、お父様の幸せでもあります。本当にありがとうね。
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2009/12/15 21:46
ルルさん★コメントありがとうございます。

ルルちゃんはいつも明るい。
いっぱいいろんなことを抱えているのにね。

お姉さんを守るために、傘を振り回し闘った暴れん坊少女のルルちゃんを想像すると
プッと笑いそうになりながら、ずっとそうやって、一生懸命に家族を守ろうとしてきたんだ
って、切なくなるのです。
今だって、最後の防波堤になってる。

家族は時に残酷で、誰かを防波堤か、人柱にしてしまうことがあります。
だいたい防げる力がある人に、年齢に関係なく選んでしまうものです。
本当にズルイことだネ。選ばれたくないもんね。何で末っ子が。。ってね。

父はとても難しい問題を抱えていた人で、わたしが生まれる前の
辛い経験や親しい人の裏切りから、立ち直れなかったんです。
お酒もあるけれど、最終的には自分の弱さに負けたんだと思っています。
だから、強くなりたい。いろんなことに負けたくない。
自然と全力で頑張ってしまう。
そうすると、案外、切り抜けることもできちゃうのね。
ルルちゃんもきっと同じだと思う。頑張り癖がついちゃうのね。
でも、いろんなところがオーバーヒートします。
ルルちゃんの無理も、体や心に来ないか、心配しています。

お母様ご自身もお辛いだろうし、ルルちゃんの肩に乗ってしまった介護も
わかっていても日常の、あれやこれや、切ない言葉など、チリのように積もって
疲弊の原因になっていきますよね。
無理しないでっていうけど、それも難しいだろうなぁ。
体に気配りをね。

小さい頃は、大変なことがてんこ盛りだったので、そういう場合は
個々、深く考えないで、重要事項に目を向け、それに集中して、乗り切っていました。
思えば今より、ずっと大人だったんです。オヨヨ。。。

まぁ、先送りにしてきたいろんな問題を、ゆっくりと考え、辿る時間が今ということなのだと
思っています。ずっと、ほっておきたいけれど、歳を経るごとに、心の整理が必要になって
きていました。自分の置いてきた過去をきっちりと収める場所を心のどこかに作ってあげるつもりで
ここ数年、もがいてきました。その間に入院したり、母の交通事故があったりで
大変な時もあったけれど、いつか、自分の糧にしたい、ね。ルルちゃん。。

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2009/12/15 21:08
honeyさん★コメントありがとうございます。

大変な時にコメントありがとうございます。

実をいえば、わたしにとって「逃げる」ということは、嫌いというか納得いかない行為の
一つなんです。
それでも、勘の良さでしょうか、自分が危ない場合逃げなければいけません。

正しい選択でした。今でもそれは変わりません。
その選択がなければ今のわたしがいません。

honeyさんの言われるように「呪縛」です。
そして、わたしは、何故か、イザとなると逆転ホームランを打つ経験を何度もしてきました。
だからこそ、厄介で、救えないことへの痛みから
これこそ、「傲慢」以外の何ものでもないのですが、逃げることができず
しばらく苦しんでいた時期がありました。
仕方なかったのだ。と頭と理屈では分かり過ぎるほど分かっていても
心がね、ずっと泣き続けるんだと思います。
不条理ですね。

でも、憎むよりも、罪悪感と道連れの愛が遺されるのなら
絶対に正解だったと思っています。

人は、特に悪い場合ほど、変わりませんね。
それでも、どこかで、願いを捨てきれない、それが、甘さであり
哀しさであり、綺麗な言葉でいえば、優しさでもあったりします。
でも、溺れると、共倒れで沈んでいきます。

honeyさんも辛い思いされているのですね。
きっと、先に、その苦労が少しでも軽くなることを
心より祈っています。
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2009/12/15 20:32
これは誰かのために書かれたのですね。
姉さんはすでに答えを持っているのでしょう。

伝言に書いた通りです。

人が両手に持てるモノは限りがあります。
新たに何かを持てば、何かを手放さなければなりません。
しかし、何かを手放したときは、多分すでに何かを持っています。
残念ながら選択肢はありません。

人は失ったモノばかりを考えてしまいます。
しかし、何を手に入れたかを考えてもいいと思います。

「もしそのとき辛い経験をしなかったら、今の私はどうなっていたのか?」

手に入れたモノは、いらないモノですか?
そのマイナスの表現をひっくり返せば、プラスの言葉に変わります。
・・・。
手にしたモノは「傷ついた心」ですか?
それとも「人の痛みを分かる心」ですか?
あるいは「人を傷つけたくない心」ですか?

私の経験なんて、知れていると思います。
しかし、今の自分は今の自分でないと困ります。
例え、自分が嫌いでも。

これでもマイナス思考の人間ですよ(^_^)v
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2009/12/15 19:41
krёvaさん★コメントありがとうございます。

あれ、krёvaさんって不真面目だったけ^^;
そう思ったことなかった。

幼い頃、父の生き方も実母も、納得いかなかったんです。
でも、遺伝子を受け継いでいる。同じようになる可能性がかなり高い。
それが嫌で嫌で、三分の一が父、三分の一が母、残りの三分の一がオリジナルだ。
そのオリジナルを年月と共に、半分に、それ以上にしていこう。
わたしはオリジナルになるのだ。親の轍は踏むまい。と固く誓ったのです。

だから、道に外れたことは決してしない。飲んだくれだった父だから
お酒まで飲めなくなって、飲むとじんましんができることもあるんです。
おかげで真面目です。
それから外れようとすると、自分を叱咤してきました。
多くは役立って、今のわたしがあります。

でも歳月を重ねた大人には不要です。
正しくないってことも、正しくあれないことも、人はあるから。
外そうとしても、かなり深くめり込んでいて、血肉が付いてくるのです。

欠点は長所をささえ、長所は弱点になる
それが苦しめる部分は、確かに多いです。

でも、たぶん、わたしに魅力というものがあるならば
それを失うと変わってしまうかもしれない、
人は、たぶん、ほとんど、そういうものだと思うのです。

でも、もう少し自由に生きたいの。
だから、父のことを整理して、赦してしまおうとしています。
赦すということは、大部分が自分を赦すことに繋がっています。
もう、そこそこね。

krёvaさんに不真面目を伝授してもらおうかしら。。
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2009/12/15 19:26
ヒルデさん★コメントありがとうございます。

初めまして^^
つまらないコメントではありません。ありがとうございます。

幸せはどれも似ているけれど、不幸はそれぞれ個性的だと言います。
わたしの幼い頃は不幸な一面もあったけれど、今はそうではありません。
たぶん、恵まれた生活をしている方だと思います。
とても落差のある人間なんです。内側に。

父のことを言えば、溺愛された人です。
何もかも特別だった幼少期を経て、大人になり、時代が横たわり
裏切りがあり、いろんな不幸から立ち直れない人でした。
わたしは父の晩年と呼べる歳に生まれた、いわば、父の人生に遅れてやってきた娘です。
孫と呼んでもおかしくない小さな娘は、自分で言うのもなんですが
とても利発でした。
いろんなことを小さな内から考えていました。
それでも、父の抱える心の闇を理解するには幼すぎたのです。
わたしは父をとても愛していたんですね。
だからこそ、父に強かったのかもしれません。
父は弱さゆえに自分をも裏切り続けた人生を歩み、一人で逝ってしまいました。

わたしにとって、父は重要な存在だったけれど
父にとってはそうでもなかったのだろうと思えます。仕方のないことです。


奪いたい人と、与えたい人とあるならば、わたしは与えたい人なのかもしれません。
どちらもバランスが重要で、過多になってしまうと厄介です。

わたしは幼い頃に親の役割を演じていたので、
親に認めて欲しいという感情は、あまりないんです。
むしろ、母や、死んだ父や、たぶん兄も、どこかでわたしに認めてもらいたがっているように
思えます。厄介な問題が持ち上がるたび、逃げ遅れたわたしがオーバーヒートしながら
問題を処理していたので、甘えるな!という、怒り似た感情があります。
寛容になれば、自分も周囲も、もっと楽になるのに、と、最近、思うようになっています。
負けてはいけないと思い続けてきたから、折れることができないんですね。

親子とは優しい関係ではなく、葛藤の連続かもしれませんね。
ヒルデさん。残念なが血を分けた親というものは、逃げられないものがあります。
どこかで意識されているんですね。将来、良い形で交われる時が来ることを祈っています。
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2009/12/15 02:18
3歳くらいの時のことです。両親が夜に大喧嘩していました。私は忘れっぽい方なのですがその時の記憶は今も鮮明に覚えています。その後両親は離婚し私は父方に引き取られました。子供ながらに気を遣い離婚のことや母のことは口にしてはいけないと思っていました。幸いにも私は金銭的な苦労などはなく、何不自由なく育ててもらいました。それでも両親がいる温かい家庭というものには憧れがあります。

今、父と二人で暮らしています。色々な不満だったりイライラすることも多々あります。しかし父が言ったある言葉が思い出されて気持ちを静めます。
『息子には私のせいで迷惑をかけてしまい申し訳ないと思ってる』
ある人にそう言っていました。今まで私に対して謝ったことのない人だったので驚きでした。
父のこれまでの人生が不憫に思えたり、今まで育ててもらった恩などもあり今も一緒に暮らしています。

私はあまり賢くないので自分が経験したことのない痛みには、どう声を発していいのか分からなくなります。無責任なことも言いたくないし、安易な言葉はかえって誤解や痛みを生んでしまうかもしれない。
考えれば考えるほどに口が重くなるので、このような形で失礼します。
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2009/12/15 01:12
yukinnkoさん★コメントありがとうございます。

父は難しい問題をいろいろ抱えている人でした。
それは、離れてみないと分からないことばかりでした。

自分を変えれるのは自分しかいない
本当にそれは真実ですね。

yukinkoさんは弱い人ではありません。責任感が強いのです。だから逃げ道を塞ぐ
残念ながら、長所は欠点でもあるわけです。
その強さが御自分を追い詰めたんだと思います。

一人で生きて行く、自活の道を切り開く、自分の働いたお金で食べて行くのは
本当に大変なことです。経験した人と、そうでない人は決定的に違うんです。
これは学歴や社会的地位よりも、遥かに、生きて行く上で大切な力だと
わたしは信じています。

yukinkoさんはそれを成し遂げられ、現在も自分の職業にやりがいを持ち
働いておられる。これは誇ってよいことです。

父を亡くし、心の模索を始め、思い出したことで
一番痛かったのは、父を救いたい、のんだくれで、金遣いが荒い父を
養うだけの力を欲していた自分がいたことです。
現実、とても無理なことです。

yukinkoさんも家族を救いたい想いが根底にあるのです。
仕方がないという部分もありますが、責任感の強さに家族が甘えているのです。
甘える人の嗅覚は確かなんです。

たとえ、辛くてもしんどくても、腹立たしくても
しなければ、きっと自分が後悔する、わたしもそういうタイプなのでよくわかります。
困ったもんです。

正義感が強く、まっすぐなyukinkoさん
優先順位をつけ、キャパを設けなければ、長くは続けられません。

でも、ふと、どこかで気付きかけています。
何かに頼られる、しんどくても、それに生かされていることもある。
もちろん、何事もケースバイケースなんです。
これができるのは、ある程度の経験を積まねばなりませんね。

お互いに、無理をせず、自分を過信せず
頑張っていきましょう。
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2009/12/15 00:49
歌穂さん★コメントありがとうございます。

わたしは運が良くて、死ぬほど頑張れば
必ず、周囲が驚くほどの結果がついてきたんです。
この運の良さを盾にして、他人にも頑張れと言ってしまう
これは自重しなけらばならない、と思いつつ、つい、押し付けがましくなっている自分
反省せねばなりません。

わたしは、ほぼ親になる可能性はありませんが
親は、愛を与えて手放してやるのが、理想の在り方のように思えます。

わたしも同じ思いです。
幸せになることが、何よりも親孝行なのです。
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2009/12/14 22:05
まだ小さな子供の手毬ちゃんには、あまりに大きすぎる試練....
よくぞ頑張って生きてきたと抱きしめてあげたい。。

悲しいけれど、お酒という麻薬で理性がなくなってしまえば
伴侶は勿論、子供も忘れてしまうのが現実。 お酒が一番悪いのだと思います。
ウチの母の場合は病気で理性と記憶がなくなり、生んだ覚えもないし
あなたはいらないと繰り返して言います。
大人の私でもそう言われるとキツイので、小さな手毬ちゃんは本当に辛かっただろうと...
そういう場合は受け止めず、逃げるしか方法はない^^;

小さな頃から人の何倍も苦労した手毬ちゃんは
心の成長が何倍も早かったと思います。
相手の気持ちを少しの情報で理解できる手毬ちゃん、
普通の人とは違う能力を持たれているルーツが分かりました。

でも....成長しなくていいから苦労したくないね( *´ノェ`)コチョーリ
とは言っても逃げられない運命があって切ないけれど
がんばろうね~(≧◇≦)ノ おー
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2009/12/14 21:40
わたし自身お医者さんのお世話になっている身分で、
主治医からは「元気でない人が誰かを救おうと思ってはいけない」、
と釘を刺されているので具体的には何もしないし、
じっさいできないのです。

これはわたしよりもむしろ友人から言われたことですが、
必要ならば逃げていい、いえむしろ積極的に逃げるべきだと。
その理由は黒猫手毬さんの書かれていることそのものなのでした。

わたしの友人にも逃げて欲しい人がいます。
でも、残念ながらそのことばは彼女の耳に届かないのです。
肉親であろうとなかろうと、
どうしようもなくなってしまった、
あるいは最初からそうであった人を救うことは不可能です。
それは一種の蟻地獄で、
自分が親であれ配偶者であれ、
その誰かを「救済」することが不可能であることを認識して、
逃げ出さなくてはなりません、永遠に、少なくとも生きているうちは。
でも自分の内部からそれを追い出すのはもっと大変です。
「救済できる」という呪いから逃れること。

黒猫手毬さんのお友達が逃げ延びられますように。
でもそのためにはしばしばお兄様のような存在が必要です。
うまくいくことを切にお祈りしています。
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2009/12/14 20:35
私は不真面目なので、
すべての辛い出来事を自分の都合のいいように解釈する技を磨き今まで生きてきました

誤解を恐れずに申し上げれば
手毬さんも 
もう少し不真面目になられますように♪
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2009/12/14 16:52
はじめまして。ブログ広場でお見かけしました。突然失礼します。
心の葛藤を解決するために他者を利用しようとする人からはすぐにでも逃げ出す、というのが正しいと思います。たとえ、それが親でも、兄弟でも、親友でも、恋人でも…。
甘えの欲求が満たされないまま大人になった親が子に甘える、ということがあります。無力な子は親に見捨てられては生きていけないので、親の要求を受け入れるしかありません。幼い子供は逃げ出すということができないので親の甘えを受け入れ、親子の役割が逆転してしまいます。この場合、子が親に甘えることはできません。
もしかしたら、お父様自身も「いらない子」だったのではないでしょうか?恵まれているように見えても、期待に添う限りにおいて認められ、感謝を要求され、ありのままの自分を否定されている、ということもあります。
ずっと一緒にいて相手の要求をなんでも受け入れるというのは愛情ではありません。相手のためにもなりません。それは依存しあっているだけです。離れることで相手の成長を促すということもあります。人には他者を救うことはできないのですね。
ところで、人間というのは何歳になっても、親に認めてほしいという気持ちを捨てることは難しいですね。私自身、親との関係に疲れ家を出て久しいですが、親のいないところで、親の期待に応えようといている自分に気づきあきれることもあります。
人間の幸福には人間関係が重要です。心の温かい人、ありのままの自分を受け入れてくれる人、自分を大切にしてくれる人と共に過ごし、自分を利用しようとする人、依存しようとする人、心の冷たい人とは離れることです。というのは、幼い頃に冷たい親のもとでも生き残ることに成功したため、それが基準となって無意識に親と同じような人を周りに集めてしまう人も多いと聞きました。
黒猫手毬さんのこれからの人生が幸福でありますように。
よく知りもしないで、ずいぶん失礼なことを書いてしまいました。申し訳ございません。
私は人間として未熟なので、つまらないコメントしか書けませんでした。これでは何も助からないですね。すみません。

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2009/12/14 12:37
肉親だからこそ、諦められなかったり、傷つけたり、傷ついたり、たくさんあると思います。

お父様は、手毬さんの思いには気づいたけれど、自分を変えられない方だったのだと思います。自分を変えられるかどうかは、自分だけなのですよ、どんな肉親がいても、結局自分の事は自分で選択するしかないのです。

18で家を出て自活した私は、大学進学後留学まで親のお金でした妹に、「あんな親の元に私を残しておねえちゃんは好き勝手だ」と罵られ、「大嫌い」と30過ぎた妹に数年前言われました。
私と同じ道を取らずに親元から留学した妹は、当時もう子供ではないのだから、私を責めてもいっこうに構わないけど、そうやって私のせいにして、妹はこれからどうなるのだろうと心配になった。と同時に、幼き頃手を繋ぎ、共に遊んだ思い出を持つ妹に責められる苦しみから、しばらく通院していた弱い私です。

父はアル中で私が病院に連れて行った過去があり、母は帰宅が深夜の父をいいことに、子供2人を置いて、夜出かけていました。母はなぜか私があまり気にいらなかったらしく、子供の頃に妹だけに洋服を買って来る事がほとんどでした。母と言い争いになって「あんたなんか産まなきゃよかった」って言われたなぁ。「産んでって頼んだ覚えはない」と返したけど。
そんな母が今ではアルコールで父の言動がおかしくなると、泣いて電話してくる。
私には今は私の家庭があるので、その家庭の許す範囲で、父に対しても母に対しても、できることはしています。
私の中で「できる範囲で」というルールがある。それを作らないと、私がダメになってしまう。

なんか、ズレたコメントしてる気がしてきた・・・・・^^
アバター
2009/12/14 10:55
幼いころからご苦労をされたんですね。
自分で自分の人生を切り開かれたことは、正しいと思います。
親は子に、自分で生きていけるようにと育てるのですから。
親を捨てたと思わないでくださいね。
子どもの幸せが親の幸せでもあるのですよ。
親孝行のために、もっともっと幸せになってくださいね。
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2009/12/14 06:09
ジェクトさん★コメントありがとうございます。

コメントが難しい中、本当にありがとうございます。
一部、書き換えています。これも重ねてごめんなさい。
できれば、捨てたくないもの筆頭ですが
ともに沈んでいくよりは、正しい選択であったと思う気持ちは
今も変わりません。

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2009/12/14 01:38
みんな幸せなのが一番ですけど、なかなかそうはいきませんから・・・
捨てざるを得なかったものがあっても、
今が幸せならそれでいいと思います。




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