Nicotto Town



今年は、多分激動の年になるような気がします。

今年は、多分4月に衆議院選挙、そして6月には東京都議会選挙があると思います、100年に一度の世界同時株安、と不況の中での新しい年の始まり
です。

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒

この日時を皆さんは覚えていますか?
阪神・淡路大震災の起こった時間です。

あれからもう14年もの歳月が過ぎようとしています、
神戸の町もその傷跡を殆ど直したように見受けられます。
しかし、心に深い傷を負った人の、内面の傷は決してイヤされてはいない
事が、WEBの震災で最愛の人を亡くした人が当時の悲しみを語るサイト
を訪れてみて、どれほど大きな、深い傷か思い知らされます。
そして、無能な為政者の元で起こった災害がどれほど悲惨なものかを
今更ながらに、怒りに満ちて思い出させてくれました。

当時の村山首相は「スイスのイヌより遅かった総理大臣」と
非難され、国会答弁で
「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われまするけれども」
と、臆面もなく答弁しています。
震災当日、村山首相は、TVで早朝から「阪神高速が倒れ、火災が
多くの箇所で発生している状況を自らの眼で見ておきながら、何の手も打たず、お昼には、業界の大物と昼食会に望んでいるのです。
午後の閣議の席で死者の数が一気に3桁になったメモが回ってきて
始めて絶句したというのです。
震災発生後実に7時間も経過してからの事です、その7時間の内に
震災で倒壊した建物の下敷きになった人の90%以上は押しつぶされた
建物の重みか、火災で生きたまま妬かれて死んでいったのです。

死者:6,437名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名

私は、政治に携わる人に日本の政治は、この阪神・淡路大震災を
教訓に、人の命を・生活を第一に考えることの出来る人のみが
政治を行って貰いたいと痛切に思うのです。

新年早々、堅い話でつまらないかと思いますが、今年は
そんな私の思いがどうか政治家に理解されることを切に望むが故に
敢えて、このような内容で、今年のブログを書き始めました。

とにかく、一生懸命に生きたいものです、そして、私たちが
家族や、心のおけない友人と、慈しみの心を抱きながら
仲良く、幸せに暮らせる時代になって欲しいと願って、
2009年始めてのブログを書きました。

一生懸命、生きたいと思います。

友達になってくれた皆様、今年も宜しくお願いいたします。

光源氏蛍





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