湿気対策について⑳
- カテゴリ:日記
- 2026/05/15 12:18:55
▼肌環境を司る化粧文化
*化粧品も機能化の時代
現在の化粧品は、昔から比べるとサイエンティスティックになり、カタカナ用語が飛び交っています。
1980年代後半になると、生体由来の高分子ポリマーが、バイオ技術で人工的につくれるようになってきました。これらの成分が、化粧品の機能化を促進しました。
例えばヒアルロン酸は、水分保持や調節を行なう真皮の組織のひとつ。水分を大量に保持する性質のために、皺を防ぎ、肌の老化を防止する働きがあるとされています。このほかにも水溶性コラーゲンは、真皮内の水分保持能力を促進し、弾力を持続させて皺を防ぐといわれたり、角質層の細胞どうしを接着している細胞間脂質の主成分であるセラミドも注目を集めています。こうした機能性成分を謳う傾向は、他との差別化のために、化粧品メーカー間で、一層積極的に進められました。肌の保湿に関心が高まった背景には、こうした機能化の促進があります。
現在の化粧品は、昔から比べるとサイエンティスティックになり、カタカナ用語が飛び交っています。
1980年代後半になると、生体由来の高分子ポリマーが、バイオ技術で人工的につくれるようになってきました。これらの成分が、化粧品の機能化を促進しました。
例えばヒアルロン酸は、水分保持や調節を行なう真皮の組織のひとつ。水分を大量に保持する性質のために、皺を防ぎ、肌の老化を防止する働きがあるとされています。このほかにも水溶性コラーゲンは、真皮内の水分保持能力を促進し、弾力を持続させて皺を防ぐといわれたり、角質層の細胞どうしを接着している細胞間脂質の主成分であるセラミドも注目を集めています。こうした機能性成分を謳う傾向は、他との差別化のために、化粧品メーカー間で、一層積極的に進められました。肌の保湿に関心が高まった背景には、こうした機能化の促進があります。
もうひとつの傾向は、「サラッとしてしっとり」という官能面での特質です。「サラッとしてしっとり」という感触を大切にするのは、日本独自の特徴でしょう。
日本人の肌は、高湿度のためにきれいだとか質がよい、と一般的にいわれていますが、そういうことを裏付ける具体的なデータはありません。しかし、日本海側の東北部出身者に美人が多いといわれ、日照時間が少ないことで紫外線による肌のダメージが少ないことが一因と考えられる節もあります。
冬の乾燥時と湿気の多い梅雨時では、圧倒的に後者のほうが肌のコンディションが良いというデータがあります。紫外線さえ気をつければ、湿度が高く、適度な皮脂の分泌量があることは、肌にとって良い環境だということです。
しかし最近のオフィスでは、エアコンによる乾燥やストレスが肌を傷める要素ともなっており、日本人の肌環境も従来どおりとはいえないかもしれません。こうした悪条件も、化粧品を機能化に向かわせ保湿に関心が集まる要因の一つでしょう。
*情報発信は遊女や役者から
一時期は、化粧品メーカーのキャンペーンで提案した商品、4月には新社会人向けの口紅が、秋にはアイシャドーがよく売れたといいます。
しかし、アイシャドーやマニキュアというのは、かつては夜の化粧などと美容本には書かれ、一般の化粧品として市民権を得たのは、高度経済成長期に入った昭和40年代か、もう少し後のことでしょう。江戸時代、化粧やヘアスタイルの流行を発信していたのは遊女や役者といったアウトサイダーでした。
ヘアスタイルのことでいえば、平安中期からずっと垂髪だったものが、江戸時代に結い上げるスタイルが遊女から流行して、上流階級から庶民にまで広まりました。
欧米や中国では宮廷や貴族から流行が始まっていますが、前述したように日本では遊女や役者がファッションリーダーでした。例えば、勝山髷(まげ)という髪型がありますが、承応から明暦(1652057年)にかけて、江戸吉原の遊女勝山が結い始めたといわれます。遊女や役者がファッションリーダーになるというのは、宮廷の王族や貴族から化粧の流行が生み出され、一般に広がっていったヨーロッパとは流れが逆となり、面白い現象です。
流行といっても、西と東とでは違います。現在でも、祇園の舞妓さんと新橋の芸者さんとでは鬢(びん)やたぼの形が違っています。祇園では福髷と呼ばれる、髷が大きくたぼが短い丸い感じの結い方をします。新橋の方は島田で、たぼを長めに取るし、左右への鬢の張り出しも広くします。かつて東西の境界は岡崎といわれ、名古屋は西に属するとされます。
*色白志向
古今東西、色白がもてはやされたのは、単に美しいというだけではなく、太陽の下で労働をする必要がない階級に属するという、階級意識の延長だと思います。深窓の令嬢はあまり日焼けすることはないように思います。
この階級意識は西洋でも同じで、色白を強調するために、首筋などにブルーペンシルで静脈を描くという手の込んだことまでしました。
日本で長いこと続いてきた色白志向ですが、白粉(おしろい)も紅も控え目にすることが求められました。しかし、江戸より京阪のほうが化粧が濃く、洗髪回数も少なかったそうです。宮廷に近い分、伝統を重んじ保守的だったからでしょう。
白一辺倒だった白粉に色白粉が登場したのは、明治の末ごろからです。当時は肌色とはいわず、肉色などといっていました。紅は紅花からとったものが使われ、抽出量が大変少なかったので高価でした。容器も紅猪口(べにちょこ)などにほんの少し入った紅を大事に大事に使っていました。大正になって本格的に口紅が合成でつくれるようになると、色数も増え、やがてスティック状のものも開発されていきました。顔は白く唇は赤、という画一的な化粧法は、やがて個人の好みや肌合いに合わせて多様化していくのです。
前田美波里さんや夏目雅子さんの化粧品キャンペーンで、真っ黒に日焼けした健康美が流行した時代もありましたが、今また紫外線の害がいわれ出して、再び色白志向になっています。しかし、美白がいわれる一方で、日焼けサロンも相変わらず隆盛ですから、昔と違って多様性があるということでしょう。
大正時代に入って女性の社会進出が進むと、短時間で手際よくできる化粧法、化粧崩れがしない、化粧崩れしたときに手軽に直せる、といった機能が求められるようになりました。夜の手入れは5分から10分、朝の化粧は3分、昼間の化粧直しは1分というような極端なスピード化粧もあったようです。クリームを下地に使って粉白粉をはたくとか、コンパクトに入った白粉は、こうした働く女性の要望で出てきたものといえます。



























