湿気対策について⑤
- カテゴリ:日記
- 2026/05/15 11:48:04
*ステテコは外出着だった
では、衣食住の衣はどうでしょうか。着物も江戸時代になると、三幅巻(みはばまき)のように帯で締めるようになってきますが、わかりやすく言うと、かつては浴衣、甚兵衛のような、ゆったりとした着付けが一般的でした。さらに、袴もスカート状です。これらも湿気対策以外の何ものでもありません。
風を通す通気口を広くとり、襟合わせの部分を下げて、首から風をおくるスタイルが生まれます。また、筒袖は仕事着として必要ですが、普段着では、八つ口といって、脇の所を開けた着物が出てきます。脇が開いた着物など、世界中探しても他には見つかりません。これはまさに湿度対策でしょう。襟口を開けて、袖口を開け、裾を開け、それでも足りなくて八つ口を開けた。
一方、明治時代になると、体を締め付ける洋装が入ってきました。背広上下はその典型です。
時代が下って高度成長期になり、ビルが建ち、エアコンが完備されると、背広姿でもよい。でも、エアコンが入る前はそうもいきません。ですから、昭和30年代までは、役場や国鉄では開襟シャツが公用着でしたよ。開襟シャツというのは和製洋服です。洋服が日本に入り、湿気対応のために襟が開き、日本化したわけです。
日本化のもう一つとして、ダボシャツとステテコが生まれます。今では下着の感覚ですが、以前は両方とも外出着でした。フーテンの寅さんもそうでしょう。東京でも下町では、ダボシャツ、ステテコでカンカン帽かぶった男たちが歩いていたものです。豆腐屋さんたちもそうでしたね。
いわば気候に合わせて洋服の日本化が通用していた時代があったのですが、オフィスビルが建つようになりエアコンが入ると、それらが見られなくなります。背広とネクタイでいても我慢できる人工的な環境が調ったからです。
さらに、決定的だったことは、海外旅行の普及です。日本のおじさんたちは、近所を歩く感覚でホテルの中をステテコで歩き回り、それが世界の基準ではうとましいし、目障りと感じられた。旅行会社すべてが「ホテルの廊下をステテコで歩かないこと」と説明文に一項を入れました。そして、ステテコは下着と見なされるようになります。これも高度成長期以降の出来事です。
いま、エアコンを無くし、海外旅行を無くしたら、ステテコ、ダボシャツ姿や開襟シャツ姿に戻るかもしれませんね。
一般にはほとんど見られなくなった開襟シャツだが、和の料理人の服装にはまだ健在。動きやすさ、湿度対策を考慮して、和装を洋にアレンジしたデザインが支持される所以かもしれない。
*たくあんはお新香ではない
湿気が食品にプラスになる領域というのは、やはり発酵品でしょう。ただ、非常にデリケートな発酵菌を利用して、しかも保存性の高い発酵食品をつくろうとすると、これは、やはり夏には無理です。そこで、発酵食品づくりは冬に集中し、酒造りは寒造りになるし、冬に漬け物が多くなります。
韓国にもキムチが発達しているように、世界の中では、日本と韓国は、野菜の漬け物の一大文化圏を成しています。つくった白菜の半分近くを漬け物にするのは、韓国か日本ぐらいのものです。
ところが、両国で違う点が一つある。それは、夏の高温多湿を利用してつくる漬け物が日本にはあるということです。浅漬けのことです。長くはもたないけれど、一晩で漬け物ができる。これは湿気がないと無理なんですね。仮に韓国で日本の浅漬けをつくろうと思ったら、極端に言えば、火鉢でお湯を沸かして閉めきった部屋で漬けなくてはならない。それくらい違います。
漬け物を「香のもの」と呼びますが、冬と夏で漬け物を表す言葉が違います。冬の漬け物は時間をかけて、熟成させます。外気温も低いので日持ちもします。これを「古香(こうこ)」といいます。たくあんや粕漬けの類です。
一方、夏の浅漬けは、一晩か、3日以内で漬けて、その日の内に食べてしまう。これが「新香(しんこ)」です。新香というのは、湿気の多い夏を上手に利用した、胡瓜や茄子などの夏野菜の漬け物です。温度が20度を越え、湿度が60%を越えることが好条件です。
日本人でも、古香と新香の使い分けが忘れらつつあります。たくあんを出して「お新香です」と平気で言う店もあります。しかし、30年ばかり前には古香という言葉が日常で使われていました。
高温多湿だと、食べ物の保存には敏感になります。食の保存という意味では、竹籠の発達が大きく貢献しました。
夏の食料を竹籠に入れ、通気性のよい所にぶら下げる。いまの冷蔵庫に代替されるようなものです。残ったご飯や、焼き魚なども入れました。竹籠は、蠅や蚊を通しませんから虫避けにもなりました。やがて竹籠は網に変わり、食卓の残り物の上に蠅張(はえちょう)をかぶせた時代もありました。
竹籠や蠅張には、中に濡れ布巾を敷いて使いました。そうすると気化熱で中の温度も下がるからです。夜中になると気温も下がるので、一晩くらいの保存ならそれで済んでしまうのです。田舎だと、流れ水の上に竹籠を置いてもいたそうです。
*風呂好きは湿気対応か
日本人の風呂好きは有名です。風呂の歴史の最初は光明皇后(こうみょうこうごう)がつくった悲田院(ひでんいん)あたりでしょうか。大きい釜で湯を焚いて、木製の樋で部屋の中に湯を引き、水で薄めて体を洗いました。湯を溜めるようになったのは、江戸時代の銭湯からです。悲田院は明らかに病気治療を目的にした施設です。治療のためには、体をきれいに洗わなくてはなりませんでした。汗、ほこり、垢を流すには、水よりもお湯のほうが効果があります。風呂の出現で、皮膚病は大幅に後退しますが、それでもまだ多かった。
明治時代の初めに、イギリス人外交官の妻としてやって来たイザベラ・バードが東日本を一周しています。彼女が一番びっくりしているのは、皮膚病の多さです。特に東北地方では風呂が充分普及していないので、湿気が高い夏は皮膚病を止めようがありませんでした。裸に近い生活をしていても、皮膚病にかかりました。
ところで、岩風呂を利用していた土地もあります。つまり蒸し風呂ですが、その系統は漁村部に多く見られます。漁村では真水を得にくい上に、山の所有が少ないため薪の確保も難しかったのです。そこで、浜に打ち上げられた海草を岩穴に敷いて火を焚き、海水を蒸気にすることで蒸気浴をしました。もちろん、洗い水は確保しなくてはなりませんが。瀬戸内海に何カ所か残っています。『厳島図会』などを見ると、宮島の名物にもなっています。
*湿気で育まれた文化を守る
現代生活を便利にしているのは、エアコンの存在です。これが自然とのつきあい方を狭めているため、生活の場での湿気とのつきあい方も見えにくくなっています。
とはいえ、湿気という要素は不快な気象条件であることは確かですから、湿気対応に人々が快適性を求めるのは当然です。日本と同様に高温多湿な東南アジアの大都市では、冷房を日本よりもずっと利かせているために寒いほどです。こうした現象は、湿気に対して過剰に反応しているようにも思えます。我々は、そこまではしていませんが、今後快適さを一層追求していくのか、それとも湿気対応の知恵を暮らしの中で見えるようにしていくのかが、問われていくでしょう。



























