湿気対策について④
- カテゴリ:日記
- 2026/05/15 11:46:31
▼高温多湿でこそ発揮される日本の衣食住文化・湿気と仲良くするライフスタイル
*湿気には日本独自の意味がある
実は私が湿気に興味を持つようになったのは、海外に出てからのことです。日本が位置する北緯30〜45度圏内のところでは、日本の夏と同じように気温が30度を超えます。しかし、日本で感じるような蒸し暑さは感じず、その対比で日本は湿気が強いんだなと意識するようになりました。
湿気という言葉は、英語にも中国語にもなく、翻訳できません。江戸時代には「湿毒(しつどく)」という言葉があって、過ぎた湿気は体に悪いということを表しました。この場合、湿気に含まれる意味は、湿度だけでなく、温度だけでもない。ヨーロッパの主要観光地や大都市は、もっと緯度の高いところに位置しますから、日本の夏の湿気を理解できませんし、日本に来ても耐え難いでしょう。
日本の場合、雨がよく降ることも湿気を増大させる一因です。日本の山はどこまでいっても緑に覆われています。コンクリートの割れ目からはしょっちゅう雑草が芽を出します。土の保水量も多いし、国土の60%強が森林面積というのは、同緯度圏ではなかなかありません。このためか、日本人に山を描かせると、まず間違いなく緑色に塗ります。しかし、海外からの留学生、例えば中国人に山を描いてもらうと稜線に岩松を描きます。つまり山水画に描かれている景色は、その中国固有の風土に根差したものだということがわかります。
中国はとても広い国で、地域差があるので一概に比べられませんが、韓国は距離が近いのに、湿度は日本より15%ぐらい低い。台風がやってきて雨が3日で1000mmも降る日本とは異なります。これは、韓国の南に日本があって、雨雲を塞ぐ屏風になっているからです。
*湿気対応という異文化ギャップ
海外から日本にやって来た人は、初めて経験する湿気に大変苦労します。
高温多湿で寝ているときに汗をかくので、日本人は晴れた日に外に布団を乾します。ところが、敷き布団、掛け布団を使う点は日本と同じでも、韓国人にとって布団は下着と同じ感覚があるので、外に干すことは理解し難いといいます。韓国の留学生は、布団を外に乾すという日本の習慣に、まずカルチャーショックを受けるわけです。実際に韓国を旅行して、布団を干している光景を私は見たことがありません。
さらに、風呂にみんなで入る大衆浴もショックだそうです。ですから、韓国留学生はみんなが寝静まった夜になって終い湯にこっそり入ったり、シャワーだけで済ませたりという生活を、初めはおくるわけです。
ところが、梅雨を迎え、温度25度、湿度70%を超えると、そうは言っていられなくなります。他人が裸で一緒にいようがいまいが、外から帰ってきたらまず風呂に入り汗を流さないと食事もしたくない。朝、日が差していれば、「布団を干さなくては」と思ってしまう。梅雨に至って、初めて日本の流儀に習う気になるのです。これが多くの留学生や日本滞在者が経験するプロセスです。
プロ野球で海外から選手を呼ぶときは、最近では日本特有の文化について事前説明を行なうそうです。例を挙げれば、移動時にはネクタイを締めるとか、練習時間が長いこととか。それに加えて、梅雨への対策のレクチャーが欠かせないそうです。昔はこの説明をしなかったせいか、シーズン途中で帰国してしまう選手が続出して、プライド過剰のあまりのホームシック原因だろうと言われていました。しかし、笑い話のようですが、帰国してしまう原因の一つには水虫の発生があったようです。
遠い日本にやってきて、梅雨時の長時間練習の結果、水虫を患う。外人プレイヤーが少なく、仲間内の情報交換もできないため、水虫になると本当に驚いたそうです。女の人は理解できないでしょうが、水虫が出るときは、男は足だけでなくいろいろなところに症状が出ます。これは、大げさに言うと「民族としての初体験」なんです。こうなると、本人は「悪い病気にかかったのではないか」と悩んで野球どころではなくなり、梅雨時に成績が落ち、夏に帰国するというケースが多かったそうです。
われわれは水虫と呼びますが、これは湿気の少ない韓国でもヨーロッパでもアメリカにも存在します。軍靴病(ぐんかびょう)といわれ、兵役につくと罹る病気として知られています。汗をかいた足が革靴に包まれて長時間たつと、指の間が真菌に侵されて水虫にかかります。風通しのいい日本の下駄や草履は、この病気を防ぐための知恵ということがよくわかります。
外国人に奇異な目で見られ、説明しにくい、あるいは言葉にしにくいことが文化の根幹だとすれば、湿気対応はまさしく日本文化の一つと言っていいと思います。
*夏を旨とする日本住宅
現代の住宅は、エアコンで湿気調整をしています。そのエアコンが無くなるとどうなるか。とても、いまの住宅の造りでは湿気を調整することができず、暮らせません。
もともと、日本の木造民家の造りは、床下と屋根裏を広くあけてあり、障子を開け放つと相当な空気が通ります。通気性をよくすることが、日本の家屋の工夫なのです。冬は少々不自由でも、夏向きに家を造らなくてはならないと兼好法師が記したことは、この工夫を言っているのです。
冬は寒いから火を焚きます。囲炉裏やこたつ、火鉢など、いくつか暖房器具がありますが、大々的に発達しなかったのは、ヨーロッパ、北米に比べて東北日本を除けば冬でもそれほど寒くならないから、重ね着でしのげたのです。西日本では冬の温度がマイナスになる日はほとんどありません。木造建築ですから火事のリスクのある暖房法は発達しませんでした。
このように考えると、私は、十二単(ひとえ)をもう一度見直さねばならないと思います。気象研究者の話では、平安時代というのは、約600年周期でやってくる寒冷期の時期だそうです。江戸時代の天明の飢饉の頃も寒冷期ですね。絵巻物で見ると、平安時代から鎌倉時代の住宅は見るからに寒いそうですよ。襖も無く、板戸だけで障子戸もない。寒さを防ぐ工夫をするわけでもなく、着ぶくれて寝ている姿が描かれています。しかし、そのように冬が不便でも、夏に対して備えをしなくてはならなかった。
このため、大陸や半島からいろいろな文化が流入したにもかかわらず、オンドルという、あれほど便利な暖房装置が日本には根付きませんでした。それは床下をふさいだら、日本の場合、家屋の耐久年数がもたないからです。湿気が強い地域に建つ木造建築は、通気口をふさいだら木が腐って何年ももちません。
日本では基本的には湿気が強い季節、それがたとえ梅雨時だけでも、冬への備えをある程度犠牲にしても、湿気への対策をしないと、家の造りがもたないのです。



























