やさしさと残酷さのお話
- カテゴリ:子育て
- 2026/04/27 21:13:53
子育てのカテゴライズで良かったですかしらん?
なので最初に謝りますのでスミマセン;;
それに、私が百合に走ったのって、どうやら生産者責任から逃亡しようとしてたフシがひとつの理由なのかもなんですよ。メスとメスでは生物学的に子供はできません。
あ、きもちわるいと思われたかたはブラウザバックお願いします。
だけどウチは猫を2頭飼ってます。今までも何頭か飼ってました。
その子たちを観てると(なんだかなあ…)と思うのですよ。
なんだかなあと言うのは、私が出産忌避してる所為で、この子たちは猫として産まれてウチに来たのかなあというコトなのですよ。縁というものでして、そう思うしかないのです。ええ。
まあそんな感じのダメな人間がナニかほざいてるねくらいで流してくださいね。
で、本題なのですが、
やさしさと残酷さって、表裏一体なのだと私は思うのです。
硬貨の表と裏みたいな感じです。
ですので、子供さんでも猫タンでもだいたい何にでも言えるコトなのですが、
やさしくすればするほど対象者(例えば子供さん)は弱体化していくという何とも残酷な現実があるのですよ。
やさしさ、愛情をかけるのは大事です。だけど、やさしさや愛情をかけ過ぎるというのもあんまりよくないなあと私は思うのです。過保護と言ったり過干渉と言ったりしますよね。過剰な期待だったりもいたしますよ。
まあ、私の親って言うのはいわゆるアレなのでね…(あんまり毒親とか言いたくないんです。それに昔ってそれが普通でしたし)。
それで、私は血のつながった子供は居りませんのですが、実質的に猫タンたちが私の子供みたいなんですよ。あんまりよくわかってもらえなさそうですけど。
その猫タンたちにですね、わたしはやさしくし過ぎたかなあと…いろいろと考えて思い悩むところなのです。
とても素直でいい子たちなのに繊細過ぎて脆い(弱い)。
多分ですけど、もし私に不慮の事態があって存在しなくなったら、この子たちもうダメだろうなあと思います。里親も考えたんですけど、かなり困難でしょうね。猫タンにもココロの病気というのは有りますし。
環境適応能力に乏しいというコトは生物的に弱いというコトなのですよ。弱体化させてしまったのですよ私がです。
やさしさと残酷さは表裏一体ですよと申し上げたのはそういう意です。
例の『叱らない育児』という理念ですよね。どうなんでしょうね。
理念的には、ああそうですねなんですけど、実質困難だと思います。
まあ、叱らないのでしたら学習しませんし道徳も常識も理解らないと思います。
時に適度に叩かないと叩かれた痛みは理解らないでしょう。
それはそれらの子孫に受け継がれなくなると思います。
実質、『叱れない育児』になっているのではないですか。
世代間の価値観の相違と言われてしまえばそれまでなんですが。
アメーバピグが閉鎖されて、以降なんだか仕方なくピグパーティに移籍いたしました。
だけどピグパーティはなんだか居心地よろしくないのです。しかもどんどん民度が劣化していくのですよ。アメーバピグだって確かにいろいろあるにはありました、荒らしとかたまに居ましたから。
何というのか…フォロワー9999でフォローがイチ乃至ゼロというのは私的にはどうかと思うのですよ。しかもそんなユーザーがどんどん増殖していく…。
私的には、承認欲求を拗らせたゲテモノにしか見えず醜いと思いました。言い過ぎでしたらスミマセン。
あとですね、こうかんでたったの5リコ(リコと言うのはゲーム内通貨)のアイテムとか出品してるんですよ、しかもわんさか居るのです。騙された方が悪いのでしょうかね。どう思われますか皆さん。
こうかん(商い)って信用を担保として成立するモノなのではないですか。
儲かればいいというお話では無いのです。
他にもすぐにおは だかにはなるし、暴言は吐くし、その癖自分が何か言われたら傷ついた傷ついたとわんわん連呼、少しだけそれはよくないのではと指摘したら即座にブロック、何も無いと何も無いでブロック。まだまだあります。
ひと言で申し上げますとワガママが過ぎるのですよ。
どうもスマホの中の小さな世界の出来事で完結していると思い込んでる様子ですね。
本当にそうなのでしょうかね。
私もねぇこれでもかなり頑張って社会学的見地から私なりに学習したのですよ。今現在でもだいたいそうです。
結局のところ、ピグパーティは私はたったの3年程度しか居れませんでした。保ちませんでした。
どうでしょうね、私的には、これだけ取っても、承認欲求(承認要求)=ワタシを見て、ワタシを認めて=もっともっと愛して、に見受けました。私的見チですが
何かが充足しているのに何かが不足しているように思います。
私は別に差別主義者ではありませんので、だからとひとくくりする気は無いのです。そういうの多々見受けられるというコトです。
私らだって大概ひどいものでしたから。
なのでね私は、稀に風向きに依って近所の小学校から児童たちの遊び声が聴こえたりしますと、とてもつらい気持ちになるのです。かわいそうになるのです。
私らは別にもういいのですよ。
やさしさをかけるというのは加減の問題なのかなあと頭の悪い私は思います。
加減って物凄く難しいですよね。
みなさんいろいろお考えが有ると思われます。みなさんご自身でご熟考ください。
親という字は立って木のそばで見ると書きますよね。
最後にきちんと謝罪いたします。私自身も酷く恐縮しております。本当にスミマセン。『子育て』で適切だったのかどうか…。
子供さんたちが健やかに成長してくださいますように。



























