ぽかぽかいい天気 /為人⇒文体
- カテゴリ:コーデ広場
- 2026/04/15 00:48:51
日向ぼっこ日和♬
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某投稿サイトを読んでいると、「為人」という単語が 頻繁に出てくる
もともと このサイトでは、AI校正は出てくるまでは、「日本在住の一部の人達のみが使う常用語(いい回し・言葉遣い・単語)が目立っていたが、最近はあまりみかけなくなったのは、私がそうした投稿者をミュート(その人の投稿作品を表示しない設定)をかけまくったからなかっなのか、AI校正のおかげなのかはよくわからない。
が、しかし 今も 頻繁に このサイトのみでしか見ることがない表記に「為人」
という単語がある。
文脈と漢字から 「ひととなり」という意味で使っているのだろうなぁとは思うが。
そこで 念の為に、広辞苑(昭和45年第2版第1刷・昭和59年9月25日第2版第9刷)をひいたら、「ひととなり 為人」と載っていた。
なので これは 日本語として正しい表記なのだろう。
しかし 小学校~高校の国語では この表記方法には出くわさなかったなぁ・・
戦前の文芸小説ではどうだったかは忘れたが。
(一応 小学校時代は、岩波を筆頭とする児童書・早川のSF、角川・岩波・新潮文庫とあわせて、 祖父持っていた 戦前の新聞の切り抜きとか戦前に発行された文庫本も 読みふけっていたので、
それらの用語をうっかり 学校で使うと いろいろあやをつけられたので、かなり気を使ったのです><
「話しことば」には方言と時代による変遷を踏まえて、目の前にいる人にあわせた使い分けが必要。
表記法に関しては政策が関与するので 政治的動向(派閥問題)への気遣いが、
文体(構文)に関しては、ジャンルによる違いがあるので、使用に際しては、テーマに合わせた使い分けが必要と。
しかし 余生を楽しむ年代になると 自分の言葉遣いについて何やらいうのは 我が子たちだけなので、書き言葉に関しては無頓着になり、細かい枠組みを忘れちゃいましたw)
・そもそも 戦後の国語教育では、戦前まで一般的だった 漢文訓読法をベースにした熟語を使わない方向で 進められてきたから、
その流れに逆行する熟語表記が、ライト小説やネット記事・投稿小説の世界で増えたのは、PCの語変換の影響かもしれない。
というのも ワープロ専用機の時代の語変換は 戦後国語教育や 国語審議会や公文書の書き方表記を基準にして 平易な読みやすい日本語表記法にもとづく誤変換ソフトが組まれていたが、PC用のワープロソフトは単に 辞書の一部を流し込んだだけ、外国人が使用する日本語翻訳ソフトの焼き直し、みたいなものがベースになっているから
・一つ興味深いのは、新聞紙時代は、記事の文体が、新聞社ごとに個性があり、さらに朝日新聞のように、第1面・第2面・文芸欄・家庭欄・三面記事で、さらに文体を使い分けている新聞社があったのに、ネット記事の時代になってから、見事に媒体ごとの文体の違いがなくなったなということ。
・もしかしたら これは 担当記者たちが 代々 引継ぎつつ守り育ててきた矜持のようなものが 反映していたのかもしれないと今にして思う。
(スポーツ紙の場合も 昔車内でおっさんたちが読んでいたいるのを毎日見かけた2社それぞれに 文章の個性があった。
おじんどもは、人の目の前まで 自分の紙面を広げて読みやがるので 私も暇つぶしに それらの全紙面をタダ読みさせていただきましたw、その結果 私は他人に比べるとかなりの速読派だということもわりましたw)
・というのも ネット記事でも スポーツ系の話題では
発表媒体がちがっても 切り口語り口記事全体から受ける印象が共通する記事を 今でもたまに見るから。
無署名の記事でも 「あれ? もしかして同じ人かな??」と感じる書き手が 二人ほどいた。(スポーツ系とネタ系で)
あるいは、かつてのスポーツ紙を彷彿とさせる文章(複数の記者たちと思われる)を、一時期頻繁にみかけたが、今は そういうことも減った(皆さん引退されたのかな?)
・今のネット記事は ネット特有の 煽り・誘導スタイルばかりで書き手の個性はほとんど見えない。
だから 逆に 得体のしれない不気味さもあるが。
・投稿小説・ネット記事、いずれの世界も、ソフト・アプリの変換機能の影響をずいぶんうけているなと、
読者としても それに慣れすぎてしまったなぁと、思いました。
・ただ 悪意記事の権化のような、私がネタ系と名付けた記者は 今も時々 所属をかえて(渡り歩いて?)記事を出しているように感じるのだが、危険だなぁと感じている。
その一方で「スポーツ記事の良心」を担っているかのような記事を書いておられた方の文章をみることが 最近めっきり減ったのが 寂しく残念です。


























