桜祭りについて①
- カテゴリ:日記
- 2026/03/27 05:51:02
「日本人にとって「さくら」とは?歴史・雑学から関係性を深堀り!」
長くても2週間程度しか満開にならない「桜」ですが、春が近づくとニュースでは開花予想や満開時期の予想が、歌番組では桜をテーマにした歌が流れ、街中に桜をモチーフにしたアクセサリーや食べ物が溢れます。
桜が満開になると日本人の多くが桜の名所へ花見に訪れるため、花見は日本人の年中行事と言っても過言ではありません。
一体なぜ、日本人はここまで桜が好きなのでしょうか。
この記事では、日本人と桜の歴史をベースに、日本人が桜を好きな理由・日本人と桜の関係を紐解いていきましょう。
「日本人が桜を好きな2つの理由」
結論から先にお伝えすると、日本人が桜を好きな理由は2つあると考えられています。
1つ目の理由は、桜は春の到来を象徴する花であること。
四季がはっきりしている日本では、寒さが厳しい「冬」が終わり、年度が変わって様々な物事が新たなスタートを迎える「春」は心躍る季節です。
桜が満開になると、そんな「心躍る季節」の訪れを実感できることが、日本人が桜を好きな理由のひとつです。
2つ目の理由は、「儚く美しい花」であること。
何ヶ月も前から、桜が満開になる時期を心待ちにしていたにも関わらず、長くても2週間程度で桜は散ってしまいます。
昔から日本人は「生命の儚さ」に美学を感じており、満開の桜の美しさが短期間で散って終わる「儚い花」であることも、桜が好きな理由のひとつだと考えられています。
「紀元前から始まった日本人と桜の歴史」
2つの理由から桜が好きな日本人ですが、その価値観と感情はその長い歴史から生まれました。
日本人と桜の関係は近年始まったものではなく、実は紀元前から始まりました。
現在の日本人が持つ桜への感情が、どのように根付いていったのか、歴史を振り返ってみましょう。
*弥生時代まで遡る「日本人と桜」の始まり
日本列島で稲作が始まり、日本で初めての国家が形成された「紀元前300年から紀元後250年まで」を弥生時代と呼びます。
弥生時代から、桜は穀物の神が宿る樹木として祀られるようになりました。
桜の開花時期は気温と密接に関係しており、暖かくなると開花を始めます。
そのため、桜が満開になる時期を基準にして、稲作を開始していたと推測されています。
また、桜の咲き具合で稲作の豊凶を占う習慣も、弥生時代に生まれました。
*桜よりも早く始まった「梅の鑑賞」
紀元前から始まった日本人と桜の関係ですが、実は鑑賞する習慣は桜よりも梅の方が早かったと言われています。
中国の文化を積極的に取り入れた奈良時代(710-794年)に、梅も日本へ渡来。
梅の良い香りが、貴族の間で人気となり、梅を鑑賞する習慣が生まれました。
*「花見=桜」の認識が出来た平安時代
奈良時代の次の時代である「平安時代」になると、日本の文化を重視する風潮が生まれ、それがきっかけとなり、古来から祀られていた桜の人気が高まります。
日本で初めての花見が行われたのも平安時代。
当時の天皇が894年に花見を開いたことをきっかけに、天皇が主催する年中行事になりました。
その後、天皇だけでなく貴族の間でも花見が行われるようになり、これが現代の花見の起源だと言われています。
平安時代に書かれた日本最古の庭園書「作庭記」にも「庭には桜の木を植えるべし」という記載が残されており、「花見=桜」の認識が生まれたのは平安時代と言えるでしょう。
*宴会をしながら桜を愛でる習慣が生まれた鎌倉時代
花見といえば、「桜の木の下にブルーシートなどを敷き、食べ物やお酒を持ち寄って宴会する」といったイメージを持つ日本人が多いです。
この宴会をしながら桜を愛でる習慣は、平安時代の次に訪れた「鎌倉時代」に生まれました。
鎌倉時代に入ると武士の間でも花見が行われ、武士が住んでいる地方でも花見が開催され始めます。
この時代から、花見は桜の木の下で「宴会」するスタイルへと変化・定着していきます。
武士が開催する花見は盛大で、中でも豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が行った「吉野の花見」や「醍醐の花見」は桜の本数も参加した人数も桁違いの規模でした。
花見は何日間も続き、毎日のように茶会や歌会、能会が開かれたと伝わっています。
*庶民にも花見が定着した江戸時代
鎌倉時代までは政治を行う人々、どちらかといえば上流階級の人々が花見を楽しんでいました。
江戸時代になると庶民も花見を楽しむようになります。
江戸時代が平和な世の中だったことも理由のひとつですが、それ以上に災害防止策として桜が植えられたことが、庶民にも花見が広がった理由として大きいと考えられています。
現在も東京を流れている隅田川ですが、当時は大雨になると氾濫が起こりやすい状態でした。
ただ、隅田川が流れる全域に堤防を作ることは不可能だったため、堤防の代わりとして川沿いに桜が植えられたと言われています。
その結果として、庶民でも花見として楽しめる場所が増え、花見が庶民の間にも習慣として広がっていきました。

























