Nicotto Town


悠遠の夢語


サイコロを振り続けるお話。

久しぶりに日記を書くから温まりきってないからいつもより更に駄文だよ!

私は中学生の頃に洋画の「ノーカントリー」と言う「サイコパス」の殺◯鬼が主役の映画を見てそのサイコパスのスマートさにかっこよさと憧れを抱いてしまった厨二病なのである。

言ってしまえば、自分の気に入らない人間を躊躇無く何も感じる事無くただ無慈悲に頭部を撃ち抜いてしまう。
その様な男が主役の映画なのだ。
確かに「悪役」であり「クズ」であり「救いようがない」
そういった感想は私にもある。
でもそれ以上に「自分の理想の為」に「躊躇いがない」
そこに憧れてしまったのだ。

そしてそのサイコパスの一番有名なシーンとして、特に自分にとって都合の悪い事をしたわけでも無いただ世間話をしてきた店主を「◯すかどうか」それを相手にコイントスさせて決めるというシーンがある。
そしてそれの影響を受けて、今でも私は迷ったらコイントスをする習慣がついてしまった。

「表」が出るか「裏」が出るか。
2つの選択肢で悩んだ時に、決断するには一番手っ取り早いと今でも思っている。

その延長線上に私の中には「カエサル」の「賽は投げられた」と言う言葉が脳に焼き付いている。
でもカエサルの言ったその言葉には、もう引き返す道はないと言う意味で使われた話なのだ。
そしてそれは「決断」の言葉であって、賽とは飽くまでも比喩であって本当にサイコロを投げたわけではない。

私は人生において、サイコロの出目で失敗か成功か。
それが決まるのであれば私が「Lycoris」として終わる時は「サイコロを振る事」を辞めた時だと思っているのだ。
だから私は今日もサイコロを振り続ける。
理想の目が出るまで。
失敗して何かが起こっても、その失敗を覆す為にサイコロを振り続ける。
その失敗を覆す為に振られたサイコロで私が更なる窮地に立たされることになろうとも、私は気力が尽きるまではサイコロを振り続ける。
サイコロを振るのをやめなければ、確率は続いていくと信じている。

それが私の生き方であり、ハッピーエンド至上主義なのだ。

それだけのお話。

#日記広場:日記

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2025/12/29 01:09
> ジャスミンさん
何でも良い時は主導権はサイコロにもたせて、良い所だけ私が主導権を握っても良いかな、と思ったり…!

サイコロの出目は私が決める…っ!と言えるほどの意気込みは今はまだもてないですが、いずれ手にしたいですね…!
運は自分が幸運だと信じていれば不思議と幸運になれる、そんな気がして生きています…!
自分の人生の主役は自分、でも他者の人生の中で意味ある脇役になれる様な生き方をしたいです…!
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2025/12/28 23:07
サイコロの出目で失敗か成功か・・・
主導権がサイコロになってる・・

私がサイコロの出目を決める☆
・・の意気込みを持って人生をチャレンジしていくと・・
不思議と運もついてくる気がします☆
だって自分の人生の主役は自分だし(^_-)-☆
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2025/12/28 20:45
> 鳩羽さん
鳩羽様の返信の
「賽を投げ続けることで
選び続けることは出来るんですよね。」
この部分、まさに私が言いたかった事過ぎて感動しました…!!
やはり鳩羽様もただものではないですね…!
その一言によって、私のこの日記の完成度がかなり上がった気がします…!

私は賽を投げる人生を選びました…!
ただやはり、冒頭でお話している映画のサイコパスの様に全ての事を躊躇いなくと言うのは難しいですね…。
そこがサイコパスにない「他者を考える事」とそれを持っている一般的な人間の大きな差なのかな、と思います。
なので私も結局のところ、悩みに悩んで考え尽くして最善が2つ脳内に存在してしまうようなケースがあったらコイントスをする、のような感じです…!
振り切れるとしたらやはり、それもまた一つの才能かもしくは何かの欠落なのかな、と思います…!

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2025/12/28 20:34
賽を投げる前の自分に戻ることは
出来ませんが、賽を投げ続けることで
選び続けることは出来るんですよね。

そしてどちらを選んでも迷うなら。
賽を投げるという行動で決めるのも
1つの手段かな( ..)φメモメモ

サイコパスは苦しい生き方ですが、
たまにちらりと憧れます(想像内で)。
私はためらい、迷ってしまうことが
多い性格ですから、余程振り切ら
ないとできないのですけど><



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