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あらゆるものに付けたラベルを剥がす。全てのラベルを剥がした時そこにそれがあるでも忘れないで「私」という最後のラベルを剥がすのを
#日記広場:その他
1688769島
「私が目指すもの」と、「この詩が指すもの」は同じではないですよ。
最後のラベル。深いですね。
私は単純に仏陀の悟りのその先を知りたいだけです。
そのために誰にも認知されなくなったとしても、それは私には寂しいことでも問題でもありません。
あなたはそこにいる、私はここにいるというだけの違いです。
もちろん月さんのコメントは月さん個人の感想として受け取っていますよ。(๑'ᴗ'๑)
でもそれは 裏を返すとだれにも認知されない。寂しくなりそうです。
ぼくはぼくである 証として 傷でも 血でも 洋服でも 髪型でも 他と区分、区別、違いを露わにしたいかな。
これは個人的な感想なのです。
このようにして、詩を書いている人たちと 刺激しあえるのはいいですね
人は、あらゆるものにラベルを貼って、分類して整理します。
あれは好き、これは嫌いというように。
その行為を悪いとはいいませんが、苦しみの元になります。
私にはそういったものは、もう必要ないと思ったからそうしただけですね。(*ˊᵕˋ*)
最後に残るその「容器」というラベルも・・・ね。(๑'ᴗ'๑)
が、気になってしまいました。
整理するために貼るラベル。分類好きは評論家がよくする。
最後の自分から自分のラベルを剥がす事は、誰かに貼られたラベルなのか。
リセットされて空っぽの容器になるようなことを感じました。
コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
今が、好きな自分・・・というか、ベストな自分です♪(๑'ᴗ'๑)