Nicotto Town


夢に見た我が家は、天と地がさかさま


推しは自分を救う



本日は、なんと朝活です。
要は寒くて目が覚め、掃除していただけなのですが。
おはこんばんちわ、濃いめに淹れたアップルティーにミルクを入れ、ご機嫌さとしっくでございます。

さて。
今日の記事は、別のところで書いた内容です。
手抜きっぽいですが、お気に入りのものなので、読んでもらえたら嬉しいです。


「推しは自分を救う」


私は昔、自作パソコンを組み上げたことがある。
今はどうか分からないが、当時はお店にけっこうな広さのパーツ売り場があり、客も多く、「パソコンの作り方」というようなタイトルの本も何種類かあった。

その頃、女性がパーツ売場であれこれ物色しているのが珍しかったのか、「○○と□□は、互換性は問題ないけど相性が悪いよ」と教えてくれたり、「グラボなら、このくらいのスペックは欲しいところですね」と声をかけてくれる方々がいた。そこは、まるで宝箱のように、欲しい部品でいっぱいで、私は数件、店を渡り歩いては、アドバイスをもらっていた。

馬鹿だと思うが、私は、テキストに書いてあるようなパーツは、ひとつも使わなかった。Inte○が主流なのにA○DのCPUを選んだり、IB○のマザーボードではなくGIGABYT○のマザーボードを買ったり。名前が好きだ、という理由でバラクーダというHDDを決めたり、同僚に自作パソコンを何台も作った人がいたが、「初心者が作るパーツじゃねぇよ」と笑われたくらい、私のチョイスは一般的ではなかった。

そしてある夜、私はパソコンの組み立てに取り掛かった。たしか十時くらいだったと思う。まあ、二時間あれば余裕だろうと、高を括っていた。

帯電体質なので、いらぬ心配かもしれないがと、ほぼ全裸になった。せっかくの部品が静電気でダメになるのが怖かったからだが、傍から見れば滑稽な姿だっただろう。

が、そううまく事は運ばない。グリスが綺麗に塗れない。マザーボードの説明書がすべて英語で読めない。メモリがしっかりはまらない。配線がどんどん煩雑になって、どれがどれだか分からない。

気がつけば夜零時を過ぎたのに、いっこうに組み上がらず、二時、三時と時間だけが過ぎていく。私は全裸で、部屋の端っこに行って泣きはじめた。自分ではじめたくせに、自分に負けていた。

夜が開ける頃、ようやく完成したパソコンに、歓喜するよりも疲労が強く、でもやっと形になったのだから、と起動させたら、今度は何度もシャットダウンしてはログインする。一歩も先に進まない。さすがに精根尽き果て、同僚に、こういう症状が出てるんだけど、どうしようと、涙声で尋ねてみたら「熱暴走だわ、それ」と言われ、ファンの付け替えであっさり解決した。恥ずかしくて、情けなくて、それでも楽しいパソコン制作だった。

さて、なぜ長々と、こんなことを書いているかというと、私がそもそも、自作パソコンが作れた理由が、平沢進の存在だったからだ。

自作パソコンを作るさらに前、私は初めてローンを組んでパソコンを買った。まだ駆け出しの、ひよっこ時代だ。平沢がパソコンでなにかやっている、と聞いた私は、これは自分も手に入れなければならない、と意気込んだ。志だけは高かった。

しかし、当時の主流はワープロで、パソコンを持っているのは、だいたい専門や技術の方々だった。先輩のひとりからは、「パソコンなんか買っても、使いこなせないだろ。特になにかできる訳でもないし。ワープロのが安い。無駄金を使うな」と言われたりもした。それは、時代の問題なので、正しい意見ではあった。

けれど、私はパソコンが諦めきれず、ちんぷんかんぷんなパソコン雑誌を買い、職場の詳しい方に、「お昼のお弁当を奢るから、ここに何が書いてあるか教えて欲しい」と図々しくもレクチャーして頂いた。WindowsとAppleがなにかも知らない状態で。パソコンを持ってる方は、皆、苦笑いしつつも、WindowsとAppleは、まったく違うし、同列に扱うものでもない、と教えてくれた。

ひとしきり、解説してもらった私は、秋葉原にパソコンを購入しに行った。かつては、パソコン本体・ディスプレイ・音を出すサウンドボード・日本語や計算などのためのソフト、それぞれ別々に必要だった。総額にして約七十万。新人に毛が生えたような私には、高額だったが、五年ローンを組み、五年は使い続けようと心に誓った。

メーカー品の、しっかりしたものだが、それでもよくトラブルを起こした。まず音を出すためにサウンドボードを取りつけなくてはいけないし、BIOSをいじって認識させなければならない。モデムも差し込むし、ポートの設定もある。

そのたび、私はパソコンのケースを開け、ああでもないこうでもない、と頭をひねった。もう本当に無理、となったら、大きなカバンにパソコンを詰め、サポートセンターまで背負って運んだこともある。

結果として、私は日常的に、パソコン内部に触れることになり、なにがどこに刺さっているか、どこを修正すれば不具合の解消となるのか、嫌でも覚えることになった。自作でパソコンも作れるくらいには詳しくなったのだ。大ファンの平沢進に、置いていかれたくない、せめて少し後ろを走りたい、とただただ、その一心で。

私が新しいことにチャレンジするとき、そこにはだいたい平沢進がいる。なにをすればいいのだ、と迷いながらも、食らいつこうといつも必死だ。

きっと推しがいる方々も、なにかしら経験があるのではないだろうか。

推しは自分を救う。それは、幸せで面白くて、ほんの少し自分を強くしてくれるスパイスなのかもしれない。

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