Nicotto Town



イライラはイライラでしかない

「出来の悪い人にイライラするのはその人に期待してるから」なんて風説が気に入らない。
「本当は"イライラする悪い人"ではない」という屁理屈でいい人ぶりたいだけだ。

早まったイライラの表明は良くないし、おおらかな方が良いだろうが、「イライラという感情を持つのは悪い人」という前提はかえって非人間的だ。「イライラという感情を抱かない善人」なる人間像に至ってはもはやオカルトだ。
道義的には正しくない感情の持ち方をしてしまうことを、深層の理由があるから本当は違うと言い張るのは正直だろうか?屁理屈で善人ぶりたいだけではないのか。
処世術は処世術として、正しくないところもあると認めるのが等身大の自己受容ではなかろうか。深層の理由があるから本当は清らかな人間だという考え方は謙虚どころか尊大なごまかしだ。

#日記広場:ココロとカラダ




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