桜の紅葉・酵素風呂
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/11/23 07:09:18
三連休 気分転換におでかけしたい。
だけど 熊と遭遇
(近畿での 紅葉狩りにでかけて熊と遭遇第一号被害者になったらみっともないもの・・(..;)
今の状況で遊びに行って 熊被害というはね、
やっぱ思慮が足りないと言われそうで
生活圏に出没するクマは 駆除対象ですけど!)
というわけで、街中での 温泉にかわるものとして「酵素風呂」なるものに入りにいった。
なんでも 糠と檜のオガクズを混ぜた粉を発酵させた木枠のお風呂に 体を埋めるのだとか。
(詳しくは ↓
https://www.kousoburo-daichi.com/
公式サイトに載ってる棚田の写真は、その場所から見える光景の一部ですw)
・ここは ドッグランとか 農産物直売所とかの方が目立つ一角にひっそりと立っていた小屋(爆)
中は清潔かつ合理的設計になっておりました。
受付で説明を聞き(常連客は日常的挨拶をかわしていた)
専用服を手渡される
↓
男女別更衣室で、(帽子・チューブトップ・短パン)に着替え
↓
酵素風呂へ
薄暗い部屋の真ん中にどーんと 粉の山
案内のお兄さんにさわやかに声を掛けられ、
ヒノキの板(粉山の入った木枠のふち)の上を歩いて
粉山の裏側へ
そこには、2人分のくぼみがすでに作ってあった
(受付からすでに連絡が行っており、用意されていた)
その中におりて 横たわる。
枕になるように 頭や首の下に 酵素の粉をかき集めて
うまく敷く
お兄さんが シャベルで 首から下に粉をかけてくれる
◇
私は 胸を圧迫されるのが嫌だったので、そこだけは薄くかかけてもらい、下半身は山盛りに
(一度行ってみたかった 九州の砂風呂のイメージですね。)
粉は、ぬかのしっとり感とおがくずのサラサラが程よく混じって肌触りは良かったです。
ただ 胸は薄掛けだったので、少し肌寒くなりました。
しっかり粉が盛り上げられた下半身はホカホカでしたが
なので、埋められた手の先で底をすこしほってみたら
確かに 下の方ほど暖かく、粉山の上部は冷めているのが分かりました。
だから 隣に寝転んだ夫の足の上は 山のように様に粉がもられて保温状態ばっちりで、一方私の方は 控え目に盛られているから、粉の少ないところほど、冷めてしまっているのかと納得。
ちなみに 上半身部分は 隣の人との間に粉が盛られたまま壁状になっているので、お隣の人の存在は 足先に盛られた粉の山としかわかりませんw
15分たったら、お水のサービスがあり、半身浴(粉を減らしますか?)と尋ねられたが、二人ともそのまま続行(夫はもとから熱湯好き、私は薄掛けだったので 上半身肌さむいくらいだったので)
室内には環境音楽が流れていたので、ちょうどいい気分でボーっとしているうちに合計30分が過ぎました。
↓
係のお兄さんに誘導されて、男女別のシャワー室へ
そこで 酵素の粉を洗い流し、(シャンプーもできる)
シャワー室の隣の脱衣場へ
お着換えして終了
◇
そのあと、産直コーナーで 果物類を購入して
次なる目的地・日帰り温泉のある山上のホテルへ
https://kamenoi-hotels.com/tondabayashi/onsen/
ここで 昼食(少し味が濃い)と入浴
ここの温泉は癖がなくさらさらとしたお湯でしたが
湯上り後も じんわりほかほかが継続していて
「あー 温泉だったんだなぁ」って感じました。
女性の体格にあった湯船に適温で 洗体の時間も含めて
1時間以上温泉を楽しみました
(私としては珍しい長湯)
季節的にも 露天風呂が心地よかったです
まあ 目隠しされているので 景色は 隙間から見える程度でどうってことなかったけど
湯船で偶然出会った人と よもやま話をして楽しかった。
最上階展望室から見た光景が 素晴らしかった!
山頂ホテルなので、360度 富田林市内・大阪市内だけでなく 大阪湾の向こうの六甲・淡路島・四国まで見渡せ
反対側は 大阪湾を囲むように並んでいる和泉山脈から兵庫の山並みまでのカーブ(峰・谷)そして
葛城・金剛山系とよばれる 尾根が 幾重にも重なり合う大阪の山間部の地形 そして峠
それらがはっきりと見えて、歴史的地形(大阪は奈良時代から戦国時代まで 外部からの侵入者が戦を仕掛けては通り抜けていくことばかりの土地でしたから その移動経路が いかに地形に沿ったものであったのか)がよくわかる光景でした。
(だから 大阪の「地の人」は いつだって「地に足つけた視点と合理的対応」「己の実践」を重視するのです
「権力に迎合すれば 次の権力者によって攻め滅ばされる」ことを大阪の2000年以上にもわたる歴史を通して学んでいるから)
お天気に恵まれたこともあり、あの一望は 価値が高かったと思います
(普通の山頂だと 自分よりも背の高い木々に視界を遮られたり 自分の立ち位置より高い背後の山に視界を遮られるのですが、山頂ホテルだと ほんとに遠くまで見渡せたのが良かった)
◇
帰りは 山腹にある 龍泉寺境内を散策しました。
龍泉寺 - 富田林市公式ウェブサイト
https://www.city.tondabayashi.lg.jp/site/bunkazai/2481.html
実のところ 富田林・羽曳野当たりの寺は同名異寺が多く
ネットのリンクが誤っていることも珍しくなく
当然ナビもあてにならない・ややこしい状況が多いのですが
上記のサイトはちゃんと確認しましたので大丈夫ですw
でも お車でおでかけになるときは ご注意を!
こちらの龍泉寺は、
蘇我馬子が、嶽山の龍を退治して建立した寺
馬子の龍退治により泉が枯れ、周辺の村は水不足に悩み
弘法大師が泉を復活させて、寺を中興した
という、表の歴史(粉飾された歴史)と事実の背反性が透けて見える面白い寺
大正時代にも 雨ごい後の記念碑(各村からの寄付金等が記されている)が2回建てられている。
(山門当たりの個人の寄付金額に比べて、雨ごいのための各村から寄付額が一桁も二けた少ないことからも、貧者の一灯=切実な願いが分かります)
今も 富田林の上水道施設が近くに置かれていることからも
嶽山が富田林周辺の貴重な水源であることは確かなようです。
そして 大阪は大和時代より 山と谷ごとに豪族の支配地が置かれていたようで、山がその地の豪族の最後の砦兼墓所でもあったようなので、
おそらく 渡来人系の蘇我氏が、嶽山周辺を拠点とする豪族を攻め滅ぼし、ついでに水源を破壊し、
征服の印兼先住者支配のために 寺を建て、
周辺住民は水不足で苦しみ続け、
そこに 都のおかかえ開発集団でもあった弘法大師組が、水源の再開発&地域の復興を主導した って感じかなぁーと。
しかも 富田林のHRには 表の歴史だけが
そして 境内の縁起掲示には、きっちりと水問題が記されているところが面白い
この掲示が 議員圧力等で、教委や青年会議所等の手によって書き換えられないように切に願います。
(議員圧力での縁起の書き換え=歴史の塗り替え(歪曲)がひどすぎる市が目立つ府下の現状ですので)
(コメ欄へ)



























仁王門と金剛力士像(1275年)は とても大きくどっしりとして立派でした。
国重要文化財や府指定文化財に指定されているのも納得です。
鎌倉時代の彫師というのは、今でいう筋肉フェチだったのかしら?
武士による戦乱の世であったからこそ、「強さ=筋骨隆々とした肉体」こそが 命を守る保証でもあったのでしょうか?
胸回りのデザインと少し面長な顔立ちに、地域色を感じました。
・境内にも モミジの木がありましたが、
亀の井ホテルも龍泉寺もそれらがある嶽山の道中も
周辺の市内も 桜の紅葉が見事でした。
・ 桜の花が咲くころは 葉がないか、散り初めの新芽のイメージで、桜の葉は小さいと思い込んでいる人もいますが(夫もそうw)
桜の葉は 夏には 桜餅の葉っぱくらいの大きさになり
紅葉の季節になると 紅色・深紅と深みを増しつつ色づき、最後は臙脂(えんじ)の硬くて分厚い葉となって落葉するのです。
だから 桜の名所は 紅葉の名所にもなります♪
私は モミジは 紅葉と落葉後の香りを楽しみ
桜は 色合いの変化を愛でつつ 落ち葉をしおりにするのが好きです。
モミジの落ち葉は カサカサとした音が良いのですけど
もろいというか 落葉すると一段と薄くなるというか・・
銀杏ももみじ同様 落ち葉になったときは水分が抜けた感じになるけど イチョウは葉脈が明確になるけど葉の形は崩れない。
三者三様の 葉の変化がいつみても面白いなぁと思います。