【真実の名】(3)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/11/01 05:14:36
そうしているうちに、末息子は外国へ赴任し、私はその一連の出来事をすっかり忘れてしまっていた。
「約束した事を、覚えておいででしょうか?」
晩秋のある日、庭の越冬作業をしているところへ、声をかけてきた人がいた。逆光になっていて顔は良く見えなかったが、そのたたずまいが醸し出す違和感で、すぐに「彼女」だと気付いた。
「ええと…申し訳ありませんが…約束って?」
「あの…温室を」
やっと思い当たった。でも。
「園芸には興味がなさそうですのに…それに、今日はお付きの方はいらっしゃらないのですか?」
「興味がない、だなんて、どうしてそう言いきれますの?」
口調は非難がましいが、表情は面白がっているように見える。なるほど、社交界というところは、こういう芸当ができる人がもてはやされるのか。
「理由の一つは、手です。あなたの手は、土いじりや植物いじりには慣れていません」
「…それだけ?」
「理由の一つ、と申し上げました。他の理由は…ちょっと言葉で言い表すのが難しくて」
「魔法使いの勘、というもの?」
「どちらかと言えば、庭師の、でしょうか」
「ふうん…それで、温室は見せていただけませんの?「苗を送ったので、見てほしい」という手紙が届いているのだけど」
ああ、それなら納得がいく。
「でしたら、お返事には、「今度からは運送業者はきちんとお選びください」と担当が苦情を申していた、とお書きいただけると嬉しいです」
「…業者?」
「実物をご覧にいれた方がよろしいですね。…ええと…少々お待ちいただけますか?きりのいいところまで作業を片づけてしまいますので」
「…これが…その、苗、ですの?」
平たい器に入った、緑色のもやもやしたものから、ちいさな葉っぱが生えているところは、とても「苗」には見えないだろう。だが、このまま半月も培養すれば、やがて茎や根が生えてくる、はずだ。
別の容器には、培地に挿した葉っぱから、直に根が生えている。こっちはもう少し早く定植できそうだ。
「おそらくは、生きた植物の取り扱いに不慣れな業者を使ったんだと思います。厳重に梱包されていて、大半は根腐れしていました」
「ねぐされ…」
思い出すと今でも腹が立ってくる。苗が植えられていた高そうな容器にはひび一つ入っていなかったが、そのせいで苗の根元はほとんど溶けかけていた。
「それで、やっとこれだけ回復してきたんです。…庭師としては、少々禁じ手を使いましたが」
「禁じ手…魔法ですか?」
「有り体に言えば。ですから、次からもそれを当てにされると困るんです」
「どうして、ですの?」
「私は臨時雇いで…本業は学生なんです。今は、温室が順調に稼働するまで、という事で休学してこっちに来ているんですが…って、私の事情はどうでもいいですね。とにかく、次からは、なるべく種か球根にしてもらえるように頼んでおいてください。できれば、判る範囲の栽培法なども添えて、と」
「学生さん……だったのですか。園芸を教える学校なんて、ありましたでしょうか?」
「…園芸の技術は、別に学校で教わった訳ではありませんが…学校で教わった事しか職業にできないとしたら、下層の者たちは、大変困ってしまいます」
「まあ…そう…ですわね」
…エミーリアの頭の中に、どんな職業が浮かんだのか、知りたいものだが。
「それで、こちらにはいつまでいらっしゃいますの?」
……は?
「一応…春になるまで、ですが……それが何か?」
「いえ。…では、これらの花が咲くところは、見られないのですね?あなたは」
「……そうなりますね。一応、期末の休みにはまた、ここにお世話になるつもりでいますが」
…なんでそこで顔をほころばせる?
「…まあ、卒業までですが。そのころには、あなたもご婚儀ですよね?……ところで」
「何でしょうか?」
考えずにおこうと思ったっていた事が、つい口から零れてしまった。
「男性に嫁ぐことについて、抵抗はございませんか?同じ男性の、あなたが」
エミーリアが目を瞠り、口元に手をもっていく。「……どうして、そんな……」
…やっぱり私の目がおかしかったのか。
「…事が、判ったんですの?」
……え?
「…他の誰も、気付いた人はいなかったのに」
ええと…これは、自分の目が確かだった、と喜ぶべきところなのか、それとも…