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灯台記念日

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おみくじ

こんにちは!九州から近畿は概ね晴れ。

東海から関東甲信は午前は雨で、次第に晴れる。
低気圧が発達する北日本は大雨に警戒。
沖縄は晴れのち曇り。

【灯台記念日】 とうだいきねんび Lighthouse Memorial Day

                  Lighthouse Day

☆11月1日は、日本で初めて西洋式の灯台の建設が始まったことに因んだ、
 「灯台記念日」です。

<概要>

〇灯台記念日

この記念日は海上保安庁が1949年(昭和24年)に制定したもので、
日本の海上交通の安全を象徴する重要な日です。

灯台は、海を渡る船にとって欠かせない存在であり、
その歴史や役割は非常に興味深いものです。

特に日本初の洋式灯台である観音崎(かんのんざき)灯台の起工が、
1868年(明治元年)11月に行われたことに由来しています。

@観音崎灯台の設立背景

 日本初の洋式灯台として、1868年(明治元年)11月1日に、
 神奈川県横須賀市の観音崎で起工されました。

 設計はフランスの技術者である、レオンス・ヴェルニーさんが担当し、
 煉瓦(れんが)造りの四角い洋館建てでした。

 ヴェルニーさんは横須賀造兵廠(ぞうへいしょう)や横須賀海軍施設ドック等、
 近代施設の建設を指導した重要な人物で、
 ヴェルニーさんの技術が日本の近代化に大きく貢献しました。
 
 初代の観音崎灯台は、文化の先駆けとしての意味も強く、
 当初は11月3日の国民の祝日「文化の日」に先駆けて、
 1日を記念日としていました。

 しかし、1970年(昭和45年)の「灯台百年史」の編纂時に、
 観音崎灯台の起工日が11月1日が判明し、
 これが「灯台記念日」の日付の由来になりました。

 灯台の設立は、当時の日本にとって、
 海上交通の安全を確保する為の重要なステップであり、
 特に国際貿易の発展に寄与しました。

 灯台は船舶の航行を支える重要な施設であり、
 その設立は日本の近代化の象徴ともいえます。

 ★フランソワ・レオンス・ヴェルニー(François Leonce Verny) さん

  1837年12月2日ー1908年5月2日

  幕末から明治にかけて、日本の近代化を支えたフランス人技術者で、
  横須賀製鉄所をゼロから築き上げ、灯台を全国に建て、
  日本人技術者を自ら育てた、お雇い外国人の代表格です。

  黒船来航から僅か十数年、
  世界の技術を持ち込みながら、日本の未来を設計したヴェルニーさん。

  □フランスで育まれた、ヴェルニーさんの技術者精神

  ◆製紙工場の息子として培(つち)かわれた、ものづくりへの感性
  
   1837年、ヴェルニーさんは、
   フランス中部のアルデシュ県オーブナに生まれました。

   豊かな自然に囲まれたこの地方で、
   父が経営する製紙工場は、地域の重要な産業の一つでした。

   紙を造る工程には水力や熱、化学的な処理等、複雑な技術が求められます。

   幼いヴェルニーさんは、そんな工場の中で日々を過ごすうちに、
   自然と機械の音や作業の流れに耳を傾けて、
   ものづくりへの興味を深めていきました。

   目の前で紙が形を変えていく工程を観察する中で・・・

   ・どうしてこんな風に動くのか

   ・なぜこの手順が必要なのか

   これら等、考える癖が育まれていった可能性があります。

   決して表に出ることのない地道な作業が、
   やがて紙という製品として形になるということを、
   日々の現場の中で、技術は単なる知識ではなく、
   人と自然、道具との対話によって成り立つという感覚が、
   ヴェルニーさんの中に根付いていきます。

   この感性は後に、異国の日本の地で、
   大規模な製鉄所や港湾インフラを築き上げる際の重要な素地となりました。

  ◇エコール・ポリテクニークさんで、国家エリートとしての一歩を踏み出す
  
   1856年、ヴェルニーさんは、
   フランス屈指の理工系名門のエコール・ポリテクニークに合格します。

   当時の合格者115名中、
   ヴェルニーさんは64位という好成績で入学を果たしました。

   入学前にはリヨンの名門校である、
   リセ・アンぺリアルで厳しい予備教育を受けまして、
   膨大な数学や物理の演習を繰り返しながら、準備を整えました。

   この学校は単なる技術者ではなく、
   国家の未来を担う科学的知識人を養成する場として知られていまして、
   そのカリキュラムは極めて高密度かつ実践的です。

   ヴェルニーさんが学んだのは・・・

   ・数学          ・物理学

   ・軍事工学        ・構造力学

   ・建築設計

   これら等、幅広く、かつ高度な分野にわたりました。

   学びを通じて「なぜこの設計が成り立つのか」や、
   「どのように社会へ応用するか」を深く考察する姿勢が求められまして、
   ヴェルニーさんの技術に対する哲学は、
   この時期に大きく形成されたといえます。

   後年、横須賀での事業においても、単なる設計に留(とど)まらず、
   教育や運営体制の構築にまで踏み込めたのは、
   エコール・ポリテクニークさんで培った、
   この広い視野と社会的責任間の賜物です。

  ◆フランス海軍技師としての研鑽と東洋への扉

   ポリテクニークさんを卒業後、
   ヴェルニーさんはフランス海軍の技術者養成機関である、
   海軍造船学校に進みまして、造船技術の資格を取得します。
  
   海軍造船学校でヴェルニーさんは・・・

   ・船体設計          

   ・金属加工技術

   ・造船用設備の管理
 
   これら等を学びまして、実務家としての基礎を固めました。

   卒業後にはブレスト海軍工廠に配属されまして、
   フランス海軍の艦隊建造や修理、港湾施設の整備に従事します。

   ブレストはフランス屈指の軍港でありまして、
   国家戦略の最前線でもありました。

   多様な技術課題に対応しながら、
   ヴェルニーさんは「現場の声を聴く技術者」として評価を高めました。

   1862年、清国の寧波(にんぽー)での造船所建設計画に携わるべく、
   海を越えて覇権されます。

問題 上記1862年の寧波での造船所建設計画のプロジェクトについてですが、
   次の文章の〇〇に入る言葉を教えてください。

   このプロジェクトは、
   フランスの技術力を東アジアに示す戦略的意味を持ちまして、
   現地での調査や人材育成、資材調達まで担ったヴェルニーさんの活躍は、
   技術者としての信頼を確かなものにしました。
 
   寧波での〇〇は、日本の幕府が横須賀製鉄所建設のパートナーとして、
   ヴェルニーさんを選んだ重要な実績となりまして、
   ヴェルニーさんの人生を大きく転換させる契機になりました。

1、勉強

2、経験

3、成功

ヒント・・・〇寧波での活動概要

      @勤務期間:1860~1864年頃

       フランス海軍が中国の寧波に設置した、
       小型砲艦の造船所で監督者を努めました。

      @環境の厳しさ

       寧波では衛生面や気候、資金調達等、多くの困難がありました。

お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。





 

  
  
 

#日記広場:人生

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2025/11/01 23:39
> ねこさん
こんばんは!お月様が美しい土曜日の夜です。
 ねこさん、どうもお疲れ様です。
こちらこそ、10月はお世話になりました。
はい、どうもありがとうございます。
 おおお~、素晴らしいコメントですね!!
まさにおっしゃる通りですね!食欲の秋♪秋茄子に串ですね!!
 問題の答えですが、2番の経験ですね。
素晴らしいですね!!どうもおめでとうございました(祝)
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2025/11/01 22:41
お今晩は☆
先月もお世話になり、ありがとうございましたo(_ _)o
今月も無理のない範囲で宜しくお願いします(ФωФ)ノシ


食欲の秋♪

(っ・ω・)_ε=秋茄子=з

-OOO-c( ´▽`*三*´▽`)_串

4(。´ω`。)Ψ*:・゜【>゜)))><】*:・゜



2、経験 !(笑)




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