Nicotto Town



無事に送り出しました


6月にICUに入りまして、かなり危ないということで仕事終わりに病院へ行き、夜中に連絡があるかも知らないからと緊張状態をとくことができす、朝になると主治医の先生が毎日状態を電話で報告してくれました。


二年半前に肺がんがみつかり切除しました。
その半年後に再発し、抗がん剤治療をしてましたが肝臓に大きな腫瘍ができ肝臓を切除、その際腫瘍マーカーが500から5になり一安心しましたが二ヶ月後にはまた再発。今年に入り脳に転移してレーザー治療をしましたが肝臓の裏側あたりに転移。
抗がん剤の治療をしましたが、体調がわるくなって4月に外来の予定で受診したのですが即入院となり輸血をしながら抗がん剤をしましたが白血球、赤血球血小板が少なくなり抗がん剤を使う事ができなくなりそれからはどんどん体力を癌細胞に持って行かれ食事ができなくなりCVポートを使って栄養を入れるという状況に・・・
血圧も上が60で酸素も足りず先に書いたようにICUに入ることになりました。

夫の希望は家に帰りたいと言うことだったので
外科の先生、主治医、緩和ケアの先生、相談員のかたが一丸となって”帰宅”に向けて動いて下さいました。
ステロイドを使って一時的にテンションを上げるというほうほうで、口から食べ物が食べられるようになり、6月下旬に退院するなら今のタイミングでないと遅くなればもう家に帰ることはできないだろうということで、急いで介護申請をして(1週間でおりました)おじじのケアマネさんに話したところ夫も引き受けてくれると言うことで退院を目標にしようと先生達と話をして10日で退院することができました。

当初CVポートをつけたままの退院になるだろうと思っていましたが、ステロイドのおかげでそれも外し7月2日に退院してからの一ヶ月は好きな外食三昧をしましたw

8月に入り食欲が減退してはいましたが、それでもガストだとか安楽亭だとか量はたべられないが杖を使って一緒に行くことができました。
13日に私が夏休みに入ると夫が歯がいたいということでもう行くはずの無かった病院の口腔外科へw
抗がん剤を使うなら歯自体を抜くのですが、緩和ケアへの移行をしていたので膿を抜くという方法に二日に一度膿を取るために通うことになったのですが18日、朝40度の熱が。
緩和ケアの先生に連絡するとすぐに来ていいということで病院へ行くと点滴に輸血をしました。
この時点で緩和ケア病棟に入院か在宅で往診の先生をいれるかどちらかにした方がいいということでしたが、夫の希望で往診の先生をお願いすることになりました。

19日の朝も40度の熱があり訪問看護の看護師さんに来てもらったのですが、先生からの指示がなければこの先の事はできないということで、とりあえず熱を冷まして薬を飲ませてなんとか落ち着きました。
その日に病院から病院と訪問看護ステーションさんとの連携のとれる先生が見つかった連絡を頂きました。

20日の朝も40度の熱があり看護師さんにきてもらったのですが、本来は往診の病院から連絡がくるということでしたが、すぐに来てもらえないか連絡をすると来てくれました。
夫の従姉さんから連絡がありどんな感じなのか教えて欲しいとメッセージをもらいました。

21日は高熱はでなかったですが、なんと!エアコンが壊れてしまった。
看護師さんが来る時間にエアコンを購入しに行ったのですが取り付けは二週間かかるとのこと。しかなくエアコンを注文してスポットクーラーも購入し持ち帰ったのですがパワーの違いがあり思うような室内管理が出来なかった。
おじじはデイホームに行き、その間に従姉さんが来てくれたのですが夫の容態がわるくなり看護師さんと先生に来てもらいましたが、かなり辛そうでした。
先生からは今夜が山かも知れないと言うことを聞いて、体も辛いのに室温もコントロール出来ないと二重苦になりそうで私的には入院を希望しましたが本人がなかなか病院へ行くという決断が出来ずにいましたがさすがに部屋が暑すぎて最終的にはエアコンが設置されるまで入院しようということで話を決めて、先生が病院に連絡してくれてさらに救急車を呼んでくれました。
従姉さんが来てくれたことでおじじがデイホームから帰るまでまっていてくれるということで、私が一緒に救急車に乗りました。
病院につくと夫は処置しつですが関わってくださった先生やスタッフのかたがたが声をかけてくれました。
その日は緩和ケア病棟に入院し、少し話をしてから一旦タクシーで帰りおじじをつて再度病院へ。
この時はかなり楽そうで、お茶やジュースをリクエストされてコンビニで購入し冷蔵庫にストックしました。
この日は午後11時くらいに帰宅しました。
おじじはもう二度と来ないとかなんかいろいろ文句言っていてケツを蹴ってやろうかと思いました。

22日リクエストされたものや紙おむつなどをドラッグストアで購入して午前10時に行くとかなり楽そうで缶コーヒーが飲みたいとかジュースが飲みたいとかいろいろと話をして午後3時に「まった明日来るね」と行って帰宅。
家について、リモートで仕事をちょっとしてからなんとなくタクシーアプリをDL。
米を研いでいるとなんとなくざわざわと動悸がする。
LINEでも送ってみようと部屋に戻ると夫から電話が
「もうむりかもしれない」
さっきいれたばかりのタクシーアプリでタクシーを呼ぶと
午後5時でしたが寝ていたおじじに声をかけて病院へ。
午前中に従姉さんには元気になっていたとメッセージを送っていたので、また調子が悪くなったみたいですとメッセージをおくり急いで病院へ。
午後6時についてすこし譫妄状態になっているのかエアースマホをしてアプリがとじられないなどと言ったり、今どこにいるのかがわかってないようでした。
午後8時に従姉さんが来てくれました。
10時くらいにコーヒーが飲みたいというので自販機で購入して少しずつ飲ませるとおいしいと言ってました。
そしてすこしずつ呼吸が薄くなりました。

最後に一緒にいられたことは自宅ではなかったけど冷房も効いて、痛み止めも都度打ってもらえ、酸素も家にあるものより強力だったのずっと楽だったと思います。
なにより、おじじがいない方が楽だったと思いますw

退院して一ヶ月と20日間は私の覚悟の日々でした。
夫は6月で終わっていた命のおまけ期間だったといいながらも、またどこかに出かけるという希望を持ち続けてました。
体調が急変したのが私が夏休みに入ってからで良かったとおもってます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

もう少ししたら元気になります。

てか、やることがめっちゃ多いのね・・・

#日記広場:日記

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2025/09/02 23:39
長月さんのご心痛を考えると言葉が見つかりませんでした、
まだやることがたくさんあるようですが、今は、お疲れ様でした。
落ち着いたらまた色々思い出すと思いますが、「他人事だと思って・・・」と思われるかもしれませんが
前を向いて少しずつでも元気になって頂ければ嬉しいです。
旦那さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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2025/09/01 07:18
長月さん、お疲れ様。。。大変だった機関の様子が、本当によくわかりました。
ご主人、長月さんのそばに居たかったんだろうな~~。
いや、きっと、今も、そばにいてくれるね。
これから、色々とやらねばならぬことが、盛沢山だとおもうけど、
無理せず、少しずつやっていってくださいね。
大変な時に、upしていただき、ありがとうございました。
元気になったら、またニコリー集めるわよ~~
陰ながら応援してます。 おじじ様も、お大事に^^




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