【小説】限りなく続く音 3
- カテゴリ:自作小説
- 2025/08/15 22:57:45
泳ぎ疲れてぐっすり眠った昼寝の後、夕飯までの時間に宿題をしていると草太があれこれと話しかけて邪魔をする。「話しかけないでよ」と言うと、草太は部屋にあった大きなパンダのぬいぐるみを相手にプロレスを始めた。
「うるさいなあ、もう、あっち行ってよ」
「あっちってどっち」
「自分の部屋」
「やだよ、何にもないんだもん」
昨夜、草太は客間で眠った。普段は使わない部屋で、何も置いていない。宿題も持って来なかった草太は暇を持て余して私の部屋へ来たのだった。「漫画見せてよ」と本棚を覗き込み、「ねえ、少女漫画しかないの?」と言ってうろうろと歩き回った。「ないよ」と睨んで目をノートに戻す。草太が後ろの方に座るどすんという音がした。しばらくして静かになっていることに気づいて後ろを振り向くと、草太が『りぼん』を読んでいた。おかしな感じに目を瞬くと、玄関の方から、帰宅した父の声が聞こえた。
「草太、お父さん帰って来たよ」
「うん。もうちょっと」
結局母に呼ばれるまで待った。草太はあんなに熱中して読んでいたくせに、「少女漫画なんてつまんねえ」と本を投げ出して先に部屋を出て行った。
居間では母が夕飯をちゃぶ台に並べていた。仏様用の、一本足の生えた小さい器に一口分ほどのご飯をよそって「ハイ」と草太に差し出した。草太はそれを受け取って、私に「行こう」と促した。
仏壇は祖父の部屋にある。祖父のいない今も、家具も文机も祖父の生前と変わらずそのままにしてある。違うのは仏壇に祖父の位牌と写真があることくらいだ。
昨夜、こうしてご飯を供えに来た時も、草太はやや緊張した面持ちで仏壇に向かっていた。草太は「こう?」と昨夜私がしたように鈴を打ち、手を合わせた。その斜め後ろで私も手を合わせる。軽く頭を下げ、見ると草太はまだじっと手を合わせて何か祈っている様子だった。(何を祈っているんだろう)と思って見ていると、草太は「はあー」と深い溜息をついてようやく顔を上げた。「ちなつ」と呼んで振り向く。
「こういう時って、ちなつはどんなこと考えてる?」
「別に何も考えてないよ。ご飯お供えするだけだもの」
「そうなの?俺なんか、変なこと考えてバチ当たんないかと思ったよ」
「変なことって、何考えてたの」
「だから、何考えていいかわかんないとバチ当たるかと思って、バチ当てないでください、って」
「バカ」
居間に戻るとお風呂から上がった父がコップにビールを注いでいるところだった。「草太、海はどうだった」と笑顔を向けられ、草太は私の横に正座しながら「はい、楽しかったです」と答えた。草太は父の方をあまり見ない。小さな声で「いただきます」と言って味噌汁の椀を手にした。父は「そうか、一日でずいぶん焼けたな。千夏も」と私を見て一人頷き、冷えたトマトに塩を振った。
私は母の日焼けした顔を見ながら、初めて会った時の叔母を思い出していた。化粧の上手い人だ、というのが聡子叔母さんの第一印象だ。白い肌には控えめに差した口紅も鮮やかで、海辺の田舎町で育った私には初めて見る垢抜けた女性だった。ゆるくカールした髪を肩まで垂らし、顔の輪郭に沿って落ちた淡い影の底から、草太と同じ濃いまつげに縁取られた大きな目が光って見えた。
突然現れた見知らぬ人々。血のつながりなど感じられなかった。
なんとなく、なのですが、もしや、美しい聡子さんて実は「親戚」じゃないんじゃないかなぁ?
でも、草太と千夏は、血が繋がってる、気がする。