緑トンボを保護しました! 昔も今も
- カテゴリ:ニコリーあつめ
- 2025/08/03 15:09:17
緑トンボを保護しました。
2025/08/03

保護した場所 | 大きさ | レア度 |
---|---|---|
ヒツジ学園 | 3.34cm | ![]() |
顔の皮膚炎が、ほんの少し
よくなった、のだろうか。かすかな変化が
日々、おきているので、ほとんど変わらないようにも
思える。
物忘れが多くなってきた。
若いころ、自分に必要でないものは忘れてゆくのだと
思っていたか、どこかで読んだ気がする。
認知症とかの病の話しではない、あくまで一般論だ。
あまりに情報が多いので、取捨するために
忘れても問題のないものから忘れてゆくのだと。
いま、とくに名前はそれほど、必要でないのだろうか。
名前を憶えていなくとも、その人物とかは、覚えている。
もしかして、それで自分のなかで完結しているのかもしれない。
年寄りが、昔のことばかり、よく言うのが不思議だった。
昔はよかった。
それって、自分が過ごした若い時が、いいというだけではないかと。
そのとおりだ。
昔のほうがよかったのなら
なんのために、未来はあるのか。
その時その時の今が昔になる。
でも、すこし、わかった気がする。
未来や、現在の今が、年とった今に、すこし疎外感がある。
どこか、はなれたところに自分がいる気がする。
はなれてなかった、そのなかにいたのだなと
感じられる、若い頃がよかったなと
思うのかもしれない。
ただ、ふりかえっても、わたしにとって、もはや
それも、はなれてしまっているなと感じることがある。
あれはほんとうに自分だったのか。
思い出すと映画でも見ているようだ。
どこからも、はなれているのかもしれない。
もちろん、そうでないこともある。
それはいまにつながっているようなことだ。
たとえば、こまごましたものを作ることが好きなこと。
これは物心ついたときからだったから
たまに、そんな自分を今にかさねて、苦笑したりする。
機械も苦手になるのはわかる。知らないこと、
未知のことは、もはや面倒なのだ。知ったものたちに囲まれていたい。
ただ、それだと、なんだか負けたような気もするので、
まだ、いちおう、身の回りでの機械的なことは、
どうにか、あつかっているけれど。
何に負けたと思うのか。