死後の世界はこうなっている
- カテゴリ:ココロとカラダ
- 2025/07/03 07:14:29
死後の生命は空(くう)の状態である。
わかりやすい例として睡眠を考えてみる。
眠っている間は、心はどこにもない。
ところが起きると心は活動する。
眠っている場合には心がなくて
起きている場合にはある。
あるのが本当なのか。
ないのが本当なのか。
このような状態で有るゆえに、
空とも妙ともいうのである。
空諦(くうたい)とは、あるといえばある、ないといえばない、
こういうところのものを
有無にかかわらず、
真の実在をば空諦という。
宇宙は即生命であるから、
人が死んだ時、ちょうど眠っている間、
心が何処にもないように、
死後の生命は宇宙の大生命にとけこんでどこを探してもないのである。
死後の生命は大宇宙に冥伏している。
それではなくなってしまったかといえば、
決してそうではない。
この大宇宙に溶け込んだ死後の生命は、
何かの縁にふれて、我々の目にうつる生命活動となって現われてくるのである。
眠りの状態から目をさまして、
昨日の心の活動状況を
そのまま持続して活動するように、
新しい生命は、
過去の生命の業因をそのまま受けて、
現世の果報として生きていくのである。
寝ては起き、起きては寝ていくのと同じように、生きては死に、死んでは生きながら、永遠に生死を繰り返していくのが、生命の真実の姿である。
◎自分の不運を嘆き、
環境と他人を恨みながら、
一生を終えてしまう。
そういう人は世界中に無数にいる。
また栄誉栄達と他人の称讃を願い、
それのみを人生の目的とするかぎり、
そうした不満とあせりは、何らかの形で、
永遠に消えないかもしれない。
欲望は限りないものであり、
利己主義にとらわれているかぎり、
すべての人が、完全に満たされることは
ありえない
何の華やかな舞台もなく、
称讃も脚光も浴びない立場の人も
いるかもしれない。
しかし〝心こそ大切〟なのである。
地位が人間の偉さを決めるのではない。
環境が、幸福を決定するのでもない。
わが生命、わが心には、広大な「宇宙」が厳として広がっている。
殆どの人が、「死」の準備はしない。
しかし「死」だけは確実だ。
絶対に100%自分にやってくるが、
死から目を逸らして生きている。
死は50年後かもしれないし
50分後かもしれない。
確実なのはいつか必ず出あうという事。
だから、死について考える事が必要であり
「どう死ぬか」を学ぶ事が「どう生きるか」
を学ぶ事になる。
これが一番「前向き」の生き方。
この一生において、自分は何を行い、
何を語り、何を思ってきたか。
その身口意(しんくい)の三業(さんごう)にわたる、
総決算によって、
あなたの三世永遠の生命の軌道が決まっていく。
短命の人生は現れてすぐに消える波のようです。
しかしまた縁に触れて現れる。
それがわかれば死んでも必ず生まれてくるし、
最愛の人との別れもつかの間のことだと言えます。
大海に融け込んでしばらくしたら
また現れる波の如き生命・・・
人生は長い短いと言っても
三世の生命からすれば
それは一睡の夢の如しと言えそうです。
でも次に生まれ変わってくるのを考える方が怖いかも^^;
心の持ち方とどう死ぬか考えなきゃ‼
父も母もいなくなってしまったけど、夢で会話することありますが・・・・・
難しいですね。
ありがとうもごめんねも言える人でいたい。
毎日を大事に楽しく生きたいと心からおもいます
とてもためになるブログありがとうございます。
この夢を見てから死ぬのが怖くなったw
もし、火葬される直前に目が覚めたら熱いだろ?そこかよ
マジな話よ
死んだら何もねぇと思ってるぞ?
あの世に行ってまでも色々あるのはごめんだしな
と支離滅裂なコメをしますた・・・
人の寿命は産まれた時から決まってると読んだ事が有る?
この世に生命を受けてどのような状態で人生を歩んで行くのか?
五体満足で生まれてきた人や何らかの障害を持った人達
同じ人なのになぜここまで違うんだろうか?
そう言って五体満足だからって幸せにつながるとは言えず??
障害を持った人達の方が人生を全うに生きていく事も有る??
理屈では到底考えれない不思議な事だと感じるけど・・
子供の頃聞いた話じゃ 人生を終える前 川を渡れば終わり
途中振り返り辞めればこの世にまた戻ってこれると??
この世に産まれて見た事のない景色のはずが覚えてる??
こんな不思議な話も聞いたことがるよ・・
いろんな人生が有り どれが正しいのか??
人をうらやみ 自分の人生にこんなんじゃ無かったって
思う日々にしがみつき もがき苦しんで終わるのかな??
何が幸せなのか? 何が不幸なのか?
それは自分の心の中の迷いでもあり葛藤なのかもしれないね??