憲法記念日
- カテゴリ:友だち募集:30代以上
- 2025/05/03 17:37:47
ニコットおみくじ(2025-05-03の運勢)

こんにちは!九州から関東は太平洋側で晴れ、
日本海側は低気圧の影響で夕方から雨。
北陸から北海道は曇りや雨の所が多い。
沖縄は曇り。
【憲法記念日】 Constitution Memorial Day
☆毎年5月3日で、日本国憲法が施行された日を記念する祝日です。
<概要>
〇憲法記念日
@憲法記念日の日付
2025の「憲法記念日」は
「日本国憲法が施行されたことを記念し、国のさらなる成長を期待する」
上記の意味が込められています。
日本国憲法は、昭和22年(1947年)5月3日に施行されました。
昭和23年(1948年)に施行日の5月3日が、
「憲法記念日」という祝日に制定されました。
日本国憲法の施行日は昭和22年(1947年)5月3日で、
@施行
「法令の効力を発生させること」です。
★施行日
「法令の効力が実際に発生する日」です。
@公布
「法令や条約等を公示(広く知らせる)すること」です。
☆公布日
「新しく出来た法律を国民に発表する日」です。
昭和21年11月3日に新しく出来た日本国憲法の内容を国民に発表し、
昭和22年5月3日に日本国憲法の効力が発生したということになります。
公布から施行まで半年間ありますが、
これは半年の間に、国民に日本国憲法の内容を知ってもらう為の期間です。
日本国憲法に限らず、
法律は公布から施工まである程度の期間が設けられています。
日本国憲法は、まず初めに公布日をいつにするかを話し合われました。
@日本国憲法の公布日・施行日を巡る議論
日本国憲法の公布日及び施行日についてですが、
その日をいつにするかの議論がありました。
当時の内閣法制局長官であった入江俊郎(いりえとしお)さんは、
後にこの間の経緯について次のように記しています。
《入江俊郎》さん
1901年(明治34年)1月10日ー1972年(昭和47年)7月18日
官僚、政治家、裁判官、法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、
最高裁判所判事でを務めまして、東京府出身です。
東京府立三中、第一高等学校、東京帝国大学(現:東京大学)を卒業します。
1924年に法制局参事官となります。
戦後の1945年9月には、法制局第一部長に就任し、
同年11月には法制局次長、1946年3月には法制局長官になり、
日本国憲法の立案責任者になりました。
1946年5月18日、昭和天皇によって貴族院議員に勅選されます。
そして、同和会(どうわかい)さんに所属し、
1947年5月2日の貴族院廃止まで在任しました。
〔同和会(旧字体:同和會)〕さん
1928年2月1日より1947年5月3日の、
日本国憲法公布迄存在していた貴族院の院内会派です。
明治以来の直線議員系の会派である茶話会(さわかい)さんと、
華族系無所属会派議員を中心とした、
火曜会(かようかい)結成から排除された、
直線議員系の無所属会派議員が合流して38名で結成されました。
≪茶話会(旧字体:茶話會)≫
1893年7月22日~1928年2月1日まで存在した団体で、
院内会派としては1894年3月1日提出です。
大日本帝国憲法下の帝国議会貴族院における院内会派の一つで、
明治から昭和初期にかけて存在していました。
≪火曜会≫
戦前の貴族院における院内会派です。
公爵及び侯爵議員の親睦を目的として結成され、
徳川家達さん、近衛文麿さん、徳川圀之(くにゆき)さん、
徳川家正さんの計4名の貴族院議長を輩出しました。
初期のメンバーに前憲政会総裁である、若槻礼次郎(禮次郎)元首相や、
後藤新平さん、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)さん、
川崎卓吉さん、上山満之進(かみやままんのしん/みつのしん)さんら、
反立憲政友会系の政治家を多く抱えていた為に、
自然と親立憲民政党(憲政会の後身)系会派と見られるようになり、
実際に両者は緊密な関係を保ったといわれています。
第2次若槻内閣期に最大42名にまで所属議員を増やしたものの、
同じく新民政党会派の同成会さんとの支持層の重なりもあって、
勢力はそれ程は伸びず、逆に政党政治の終焉とともに衰微します。
戦後は同成会さんとともに幣原内閣の事実上の与党でありまして、
首相の幣原喜重郎さんと司法大臣の岩田宙造(いわたちゅうぞう)さんが、
入閣しましたが、間もなく貴族院の廃止とともに解散しました。
解散時の所属議員は30名でした。
日本国憲法により、帝国議会及び貴族院は廃止されまして、
国立国会図書館専門調査員であった頃、
芦田均内閣期の1948年7月に衆議院の法制局長に任命されました。
1950年、第3次吉田茂内閣期の衆議院法制局では、
公職選挙法案に関する委員会にも出席しました。
1952年8月26日、後任の法制局長が定まらないまま、
衆議院法制局長を辞職しましたが、8月30日には吉田茂内閣による任命で、
史上最年少の51歳で、最高裁判所判事になりました。
帝国議会議員の経験がありました為、
この人事に最高裁内部から反発がありましたが、
最終的に内閣は、入江俊郎さんの起用を決定しまして、
認証式は那須御用邸(栃木県)で行われました。
・苫米地(とまべち)事件 ・チャタレー事件
・砂川事件 ・八幡製鉄事件
・練馬事件 ・朝日訴訟
これら等の裁判に関わりました。
1952年10月1日の最高裁判所裁判官国民審査において、
罷免を可とする票3253013票、
罷免を可とする率9、67%で信任されます。
1963年の国民審査では同時に審査された9判事のうち、
罷免を可とする票の数が最多でした。
入江俊郎さんを最後に、
一人で2度国民審査を受けた最高裁判事はこれまで現れていません。
1971年1月9日に定年で退官しました。
最高裁判事在任期間は18年5カ月(6707日間)で、
歴代1位です(2022年11月現在)。
退官後は駒澤大学教授を努められました。
短歌では山下睦典さんに師事し、「一路」に参加します。
1960年には歌会始で召人を務められました。
問題 入江俊郎さんが記した、「日本国憲法成立の経緯原稿5」の文書の中の、
〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。
新憲法は昭和21年11月3日に公布された。
この公布の日については、
21年10月29日の閣議でいろいろ議論があった。
公布の日は結局施行の日を確定することになるが、
一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、
大体5月1日とすれば11月1日に公布することになる。
併し5月1日はメーデーであって、
新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。
では5月5日はどうか。
これは〇〇の日で、日本人には覚えやすい日であるが、
これは男子の〇〇で女子の〇〇でないということ、
男女平等の新憲法としてはどうか。
*一部を抜粋
1、子供
2、節句
3、最良
ヒント・・・〇〇〇
一年の中で節目となる日をいいます。
お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。
コメントとお答えをありがとうございます。
かげねこちゃん、どうもお疲れ様です。
そうですか、調べてくださりましたか。
感謝ばかりです。
おおお~、2番の節句ですか。
問題の答えは、その2番の節句です。
凄いですね!完璧です!!
かげねこちゃん、どうもおめでとうございました(祝)
今回もバッチリ調べました。
2、節句
ですよね。