自作小説倶楽部3月投稿
- カテゴリ:自作小説
- 2025/03/31 22:22:43
『理想的な依頼人』
夫人は優雅な仕草で紅茶を入れ、俺の前にカップとソーサーを置いた。
「ハンネならもっと美味しい紅茶が入れられるのだけど、今は私ので我慢してくださいね」
インスタントコーヒー派で紅茶の味なんてわかりません。と言おうかと思ってやめる、誠実な営業活動にふざけた態度は不要だ。代わりに突然の訪問を詫びた。
「いいのよ。少し退屈していたところなの。ハンネはとてもしっかり者で、いつも私に適切なアドバイスをくれるのだけど少し過保護なのよ。毎日の運動は1時間、甘いものを控えて、野菜を食べましょう。危ないことをしてはいけません。60年前に死んだ母を思い出すわ。まあ、大抵ハンネが正しいんだけど、大勢の人がハンネの言うことを聞けば戦争も無くなるかもしれないわ」
俺は話を切り出した。
「そのハンネさんの身上調査を貴女の甥御さんに依頼されて俺はここにいるんです」
「困ったものね。あれの父親は息子が大物になるようにと三日三晩考えた名前を付けたのだけど、名前負けというのか、父親以上に小物で欲の皮の突っ張った人間になってしまったわ。私の友達のことを随分悪く言ったでしょう?」
俺は落ち着きのない優男を思い出す。年老いた伯母を案じる優しい青年を演じていたがその大根っぷりにうんざりした。依頼を受けてしまったのは選べるほど仕事がないせいだ。
「しかし年老いて財産のある叔母の家に半分の年齢のあまり裕福とはいえない女性が「友人」として住み始めたら怪しむのも仕方ないと思いますよ。少なくとも最初は猫を使って貴女に取り入った」
「ネロね。わかってるわ。とても寒い時期に行方不明になって、ハンネが家に送り届けてくれた」
「それがハンネさんの策略だとしたら?」
件の猫が暖炉わきの暖かな籠の中で一声鳴いたが、猫語を解さない俺には何の主張かわからない。
「後になって、ハンネはずっと前からネロを手なずけていたんだと気が付いたわ。でも、その時には私はハンネとの生活に慣れ切ってしまっていたのよ」
「彼女が貴女が与える生活費を誤魔化しても?」
「そうよ。たまに来て心にもないお世辞を言えば遺産が手に入ると思っている甥よりずっとまし。それよりね。探偵さん。私がハンネに与えるお金なんて大した額じゃないのよ。お金は足りているのかしら? 彼女には病気の弟がいるのでしょう?」
「そこまで知っているんですか? じゃあ、息子さんのことは?」
「息子ですって? 何歳?」
「17歳ですね」
「あら、いやだ。養わなければいけない人間が二人もいるなんて、ハンネは何をやっているのかしら。とても足りないじゃない」
「息子さんは進学せずに就職するようですから、あと少しで負担は減りますよ」
「家計の事情で進学をあきらめるの? 駄目よ」
夫人は拳を振り上げて憤り、ぴたりと動作を停止したかと思うと俺に向き直った。
「探偵さん。少し相談に乗ってもらえるかしら。依頼料は甥の二倍出すわ」
「承知しました」
「まず、息子はどこに住んでいるの? 叔父さんと一緒なら私が知る機会もあったはずよ」
俺は用意していたハンネの弟と息子に関するレポートを取り出した。
素敵なお話でした。
実際の探偵業務というのはこんな感じかな