なんだかな・・
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/03/31 05:44:37
「入学しない」確約求める、香川 車いす生徒の高校受験で中学校長(共同通信) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4326aefbc66c59663127bf71f82953c6533e879
3/30(日) 20:26配信
手足が不自由で電動車いすを使う香川県の公立中3年の男子生徒(15)が、設備面などを理由に入学を断られた県内の私立高を腕試しで受験する際、交渉に当たった中学校長から「合格しても入学しない」との確約を求められていたことが30日、分かった。生徒と保護者は約束の上で1月に受験し、合格通知を受け取った。その後、公立高に合格した。
文部科学省は改正障害者差別解消法に基づく対応指針で、正当な理由なく障害者だけに条件を付けるのは不当な差別に当たるとしており、保護者は不満を募らせている。
中学校長は取材に「公立高の腕試しで受験することを私立高に示す意図があった。受験を認めてもらうためには致し方なかった」と話している。
文科省の指針は、障害者との対話を通じて相互理解を深め、対応策を検討することを求める。指針を知らなかった保護者は、私立高と直接対話する機会がないまま、中学校長の求めに応じて約束していた。「一方的に我慢を強いられ、中学校長からも『受けさせてもらえて良かったね』という雰囲気を感じた」と振り返る
◇ ◇
・「腕試し受験」って言い方もなんだかなだけど・・
実家が経済的に貧しくて 高校受験は公立校一発受験で、滑り止めの私学受験の受験費用がもったいないと拒否していた私からすると、「腕試し受験ってなに? そもそも 合格しても入学しないことの確約を求めるって理不尽すぎるだろ それでも受験するか?」とマジ思った。
(ちなみに 中学側は 滑り止め受験させるように私の母を脅し、母は怯え切ってしまった。私に取ったら 私学受験費用のために食費が消えて 毎日の食事がなくなることのほうが切実に困ったのだけど!
そもそも当時は 公立校の合格発表前に私学に入学金を支払わなければいけなかったから受験だけでは滑り止めにならないから 私は私学受験をしない! 我が家に私学入学金の支払い余地は全くないと担任にきちんと説明して 私学への受験願書提出を拒否していた私だったのに!!
その私の言動を理由に、母を脅しつけて 彼女の精神状態をさらに破綻させた当時の担任の行動は、私にとっては命の危険レベルの迷惑行為でしかありませんでしたけど!!
教師ってほんと 自己本位・視野の狭い自己中集団ですね! 今も昔も。
類似の事例なんて思い出すのも嫌になるほど 大人になってから職業柄見聞きししましたけど、教師側には反省の色なく
時には美談として研究発表のネタにされた方々も数知れず! 保護者側子供達からは トラウマレベルの話ばっかり)
今から思えば 教師の言動の理不尽さ、己の権力を振りかざして ただでさえも厄介な家庭環境において 必死に生きていた私とその母をさらに迫害してばかりだった教師たちの行動に脅かされ続けた義務教育9年間+α(大学時代の青少年活動団体での体験等)が、「他人に 己の感情・生活を一切明かさない私の生活態度」の起因となるトラウマを発生させたのかもしれない。
青少年活動団体の指導者たちの実態もひどかったもの
もちろんすでに青年期だった私には 「理想と現実のはざまに生きる当事者たち(=当時の大人たちね)の苦悩や性格(認知形態)が 組織活動に及ぼす影響」について冷静に観察分析する機会と理論的枠踏みを学ぶ体験を得ることができたのですが。
それが私の情操教育(発達面)においては 悪しき影響しかなかったのは確かです(笑)
もちろん 学校教育においても「狭義の社会教育=公的資金が投入されている」においても、 私が情操面(人間的成長)においては 完全に負の影響しか得られなかったのは確かですが、
逆に そこで得た情報をもとに 個人的に市井で生きる様々な人に会いに行き、その人たちとの交流から多くの学びを得ることができた(私の生きる姿勢を養うことができた)ので、
人間はどんな教育体制の中でも、知識と出会いを求めて行動する力さえあれば 生き抜き学び続けることができると 私は信じる根拠にはなりましたけど。
ちなみに、児童及び青少年期に 公教育を軽視して 個人的な係わりを求めることは 大変危険な行為です! と強調しておく
それこそカルトと金銭がらみの犯罪に巻き込まれたり引きずり込まれるだけですから!!
精神的に傷つこうと「公正・精度の高い情報」を手にするには 公的教育機関が一番確かですよ!! ←ここ大事
そのために 常に活動を精査し蓄積し 時事刻々と更新し続けているのが公的教育活動組織ですから
(ただ曝書への警戒心の無さ過ぎが日本の公務員の最大の欠点 それとプロパガンダに対する免疫の無さ><
それでも 民間よりは 「配布する情報の安全性」は担保されてます!)念のため!に書いておきます。
◇
・インテグレーション が いまだに 誤解されている現状
めんどいからここには書かないけど・・
真の意味で 児童生徒にとって また通学補助をする家族にとって、最も負担が少なく 真の意味で当事者にとって適切かつ合理的な教育が受けられる時代が来ますように!!
と願ってやまない。
支援学校が柔軟に対応できる 支援学校の専門職集団が 時々刻々と変わる現実に即した柔軟な対応ができる教育制度と臨機応変な予算の枠組みが取れる時代
専門職の雇用体制と専門職養成システムが維持でき安定的発展が遂げる時代がくることを 真に望んでやみません
煽情的あおりネタとして 支援教育関連の情報を利用し続けてきた朝日新聞社を筆頭とする各社なぞ くそくらえ!
朝日厚生文化事業団発足当時の優れた研究実践を踏みにじり営利ネタに貶めた朝日新聞記者と編集者たちはノロワレロとマジ思うに至ったくらい 新聞社社員の罪は重いと思う。
当時の研究報告も すでに曝書されているのだろうなぁ
当時の実践記録を読んだことのある人達の中で 私は世代的に最後の部類(同世代では希少な部類)に入るのかもしれない・・。
教育組織において 幼少時より青年期まで私が大人たちから トラウムレベルの迫害を受け続けていたのは事実だが、その一方で 各組織の理念・運営に献身している職員さん達から 私が切実に必要としていた情報の提供を受けて多くの学びの機会を得ていたのも事実である。
そういう職員たちが 組織内で迫害されている光景を目にすることも多々あったが。
ようは 組織を食いものにする連中のほうが 数で優っていたり 組織を揺るがすほどのパワーを外部から得ていたのが問題なのだ。
ただ それだけのことです。
だから「好意」の表明には 様々な形態があり制約が伴うことを 幼いころから学んでいただけで
だから 私が根っからの人間不信ではあるわけではありません
というか 「理念を信じる心=信念があれば、いかなる状況でも 何らかの形で 人の善性を発揮することができる」という 人間に対する本質的な信頼感は しっかりと持ってますよ。
幼いころから親から教えられ その後の体験を通じて養ってきた私の信念ともいえます。
ただ 個別の 感情的交流に しんどい思いをすることが多いだけで。
なので この日記では 個別に「好き嫌い」を言いたい放題ですが 人を差別する気は全くありません
ていうか 差別なんて不合理そのもの 人を傷つけることを正当化する卑怯者の言い草だと思ってますから。ただ 一般論として「差別はダメ」という人ほど 差別主義者の自己中だとは思う
だってあまりにも恣意的に使われすぎているのが 「差別」ということばだから。
「もっと 具体的に個別的に考えましょうや 理念に基づいて」って いっつも思ってます!