近つ飛鳥博物館の桜まつり
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/03/31 03:08:54
飛鳥といえば、奈良のイメージですが、大阪の羽曳野市を中心とした古墳群のある地方を「近つ飛鳥」、奈良のほうが「遠つ飛鳥」と 古事記では呼び分けていたそうです。
以前から一度行ってみてたいと思っていたのですが、
近いようでいて(府内だから)遠い(電車・バスの乗り継ぎが必要)場所にあったので、なかなか訪れることのなかった場所。
今回、桜が五分咲きという情報で、思い切っていきました。
建物が なんとも変わっていると思ったら、安藤忠雄さんの設計でした(笑)
そして なんとなんと3月29日・30日は 「恒例の桜まつり」(と博物館の宣伝w)で、館内無料でした!
とりあえず、桜を見にウォーキング
博物館本体の建物から、あえて急坂を上り ゆっくりと外周を下りながら戻るコースを選んだのですが、
あるは あるは 石室のあと
もう 坂の途中に あっちにも こっちにも 大きな石がごろごろ並んだ場所が・・
それ 全部 石室を形作る大石でした・・。
うわぁ~ このあたりの山というか丘というか、それら全部が
共同墓地だったの~?
よくもまあ こんだけ横穴掘っては 一族の墓=古墳にしたなぁ~ と。
さらにまた、こんだけの大石が、大阪城築城のさいに、よくもまあ持っていかれず残ったもんだ、小豆島(確かそうだったと思う島の名前まちがえてたらごめん)とか かなり 石が切り出されていのに・・。
天井石がなくなっているらしいものもありましたが、それも含めて残っていたのもある。石が残っていたことにすごっと思いました。
(だって 石室群のうち、副葬品が残っていたもののほうが少なかったみたいだから。
副葬品が残っている:暴かれることなく残っていた
副葬品なし:盗掘されていた可能性あり
という意味で。)
そしてこれから (和歌山~)岸和田~羽曳野~ と続く和泉山脈?葛城山系??で 大きい石が複数露出している場所があれば、そこは古墳のあとかも???という観点で 見ようと思いました。
(子供のころから ところどころ大きい石が複数見え隠れしている場所が 割と多いのは 気づいて なぜかなぁ?と思っていたから。思えばそれば 地学に興味を向けたきっかけでもあった。)
で、石室跡ばっかり見ながら山登り、あっちこっちに石室があったから、日ごろ大嫌いな登り道も苦にならずに上り切りましたが・・
桜ない・・と思いながら 地図を見つつ 桜のあるらしき方向へと今度は (敷地内的には)大通りを下っていくと、ところどころに桜の花びらが・・
立ち止まってきょろきょろすると 桜の木がほかの木に交じって立っている。
「大きいなぁ」 「木が育ちすぎて 逆に見つけにくいなぁ・・」なんて 思いながら 展望台につくと
大阪・天王寺の高層ビルやら六甲山やら見えました。
ふと、 トルコの遺跡で、そこは丘の上にあったのですが、
そこから、道は 丘をつなぐようにアップダウンしながら広がっている、見渡すと丘の上には 砦のような遺跡跡のようなものが見える。そんな光景を見ながら、日本だと 山裾に沿って道ができるのに、なぜここは 丘の頂上をつなぐように道が展開しているのだろうと思いながらぐるりを見渡しながら、「指輪物語のローハンの急を知らせるのろしが次々と上がる描写」思い出して、「大陸では 見張り場所=砦を丘の頂上に設置して その砦と砦をつなぐ道を作ったのかも!」と思いました。
子どものころ、トールキンの作品を読んだときには、単純に
尾根線の山頂の見張り台(和泉山脈の史跡あとをそのように認識していた私w)にのろしが上がるイメージでしたが、むしろ
トルコで見た 丘の上の砦群とそれらをつなぐ道のほうが、
ローマ軍団やトールキンの世界に近いように感じたw)
そういう かつての トルコで見た光景を思い出しました。
そういう目で、子供のころからのあちこちのハイキングで見た
和泉山脈の史跡やら 寺・神社(大阪を囲む山の上には それぞれの神さん かつての豪族ゆかりゆかりの神さんたちが住んでいる)のことを見直すと、けっこうダイナミックなんですよ、天皇家の先祖とされる氏族たちが、黒潮を使って千葉辺りまで進出したり、尾根線を走って勢力を伸ばしたり、その足跡が 何波にも若手繰り返される勢力伸長の歴史も・・
それに抵抗する土着の氏族たち 侵略を続ける大和王朝の祖とされる者たちも、実は新旧いくつかの勢力があるのではないかとか思いを巡らすと。
それは ともかく ふーふー言いながら 石室跡を見ながら
心は歴史ロマンへ、目は桜を追い求め・・
そして 最後は ほぼ満開(公式には5分咲)の桜のトンネルに
その見事さに 感激しつつ 博物館本館を目指す途中に通りかかった 梅林
その中にそびえたつ 謎の円筒型休憩所らしき物体。
なんじゃこれ???
夫は、梅林が 安藤忠雄基金で整備された(?)とかいう立札が近くにあったので、もしかして、博物館が四角の物体 こっちは丸い物体だから、「前方後円墳」のイメージオブジェじゃないか? と言い
私は その仮説は否定できないけど いまいちしっくりこないなぁ・・ といいつつ 本館に戻りました。
ゴージャスな桜並木から本館へは意外と近かった。
なので 桜目当ての人は 緩やかコースを歩けば、歩く距離が少なく 桜を楽しめますよ(笑)
博物館の 園内地図と桜マップの縮尺が違い過ぎて
混乱した私のコース選択で かなりしんどい思いをしましたが、結果的には 日ごろ見ない古墳群を堪能できたましたw
暑くもなく寒くもない今の季節、桜に惹かれて山登り&石室群見学には 今の時期がおすすめです♡
・で 館内の展示を見て回り・・
円筒埴輪が 意外と大きいのを知り
もしかして あの謎の物体は 円筒埴輪を模したものかも?
博物館本体を古墳に見立てて・・ なんて思いました
安藤さんって 絵本は面白かったけど(子供のころ図書館で見たような気がする)
彼の設計した建物はなぞだ・・
自然を俯瞰するポイントとして建物を設計していたのかもしれないけど・・
そういう意味では 関東で傘のオブジェを建てまくった(昔そういうイベントがあった)異国の方と似たような『眼』をお持ちだったのかもしれない、とちらっと思いました。
画家ならピカソと同じ『眼』なのかな???
でも、凡人の私には あの休憩所は やっぱり謎だわ
(特に日本の自然は 木々が伸びまくるので、見通しや構図が変化しまくるんだわw)
思わず だれか あの謎の休憩所の解説を! です。
安藤氏や設計に興味のある方は、ぜひ 近つ飛鳥博物館にもご来館を!館内の設計も面白いです。展示物の配置も含めて。
(古墳出土物は子供のころから見慣れていて、
知的好奇心は誘われましたが 見て楽しいものではないというのが素朴な感想でしたが、
近つ飛鳥博物館の展示方法なら、子供心がもっとくすぐられ興味をもったかも・・と思いました。)
巨石運搬に使われた修羅も でかい! これの元になった大木のそびえたつ姿なども想起して めちゃワクワクしました!
そして その大木が生えていた 古代の大阪の山とか それを切り倒して修羅に加工している人々の姿とかも想像して うわぁ~と 古代ロマンを感じましたね!
(こどものころは 修羅遺物を見ても 1本の木からできているとは思えなくて 謎の物体にしかみえませんでしたもんw)
だから よりいっそう 大阪に 真の地方紙がないことを残念に思う
高野山を中心とする職業的組織化(紙漉き・鉱山開発と流通の歴史ほか)等を知っている人のほうが、少ない大阪
当事者の末裔でも その要が高野山であったことを知らなかったりするのだもの
あるいは 行政的には同じ区域に住んでいる住民ですら、その産業的活動を知らなかったり・・
昭和30年代までの活動を忘れてはいけないのです! きちんと伝承していく必然性を感じる昨今
そして 新たな研究成果も その都度きちんと 情宣していくことも必要ですね
そういう意味で 真の地元密着型「地方紙」がないことも 大阪の弱みかもしれません
カンテーレも産経新聞も よそ者が大阪の顔して作った媒体だし・・
そもそも「よそ者」の定義が狭すぎるのも大阪府民の弱点かも
(市町村の枠よりさらに狭い「身内」意識がなきにしもあらずw)
それでも 地の人共通の感性はあるのよ(笑) )
吉本なんて 騙り集団そのもですから!!
イチジクソース(イチジク果実入りソース)を「帰りに買おう」と思って 買いそびれた私(;'∀')
なんか 羽曳野のあちこちが 文化遺産か何かに指定されたのを受けて
地元の産物に 新たなパッケージデザインをつけて 売り出したものがたくさんあるようです。
どれもおいしそうといか 素朴なお菓子がおしゃれな袋にはいってというか・・
イチジクソースのように とっても美味しそうな(だって イチジクて甘くてさっぱりして とっても美味しいですから それを原料にしたら 普通のソースがもっとおいしくなるだろうと期待できるじゃない!)商品も羽曳野にはあるようですから・・。
個人的には 羽曳野・富田林 あのあたり一帯が手を組んで JAとか府立の施設で
地元の物産を共同でもっとうりだせばいいのにとか おもっちゃう(市内限定ではなく)
歴史的には 府内の各市町村の独立性は 濃ゆいですけどね
独立独歩から共同へと もう少し舵を切っても良いカモ です。
(府民でも 他市のことは 案外知らないことのほうが多いですもん
それこそ 先祖代々の街道筋に沿った地縁・血縁関係をのぞけば)
地縁:商いを通じた横のつながり
これって 広域に広がっている割に、
他の職分とのつながりがないから ほんとに細くて(極細と言ってもよいカモ)長い縁なのです。
だから 「地域=文字通り物理的まとまり」として共同していく視点も大事ではと最近思うようになった。
それも 政治やイデオロギー抜きで。
物理的まとまりとして地域行政や政治を展開しようとするから ややこしく成って挙句、民主主義の機能不全・不具合・汚職がはびこっちゃったのが 大阪府政/各市政ではなかろうか?と思わんでもない 昨今。
もともと異なる組織に属し お互いの親和性の低い人たちを物理的に同じ行政単位の構成員としてひっくくり動かそうとしたから
イデオロギーまみれの諸団体・第5列組織が跋扈するようになったのでは??
近つ飛鳥博物館の敷地内の鳥は 人に対する警戒感が薄く
桜の花をつついている姿を 間近に見ることができました
初めて鳥の撮影に成功した私
今まで、他所では、見つけられなかったり カメラを向けたら逃げられたりばかりだったのに
鶯もすでに鳴いていたような・・
ほんと 鳥の鳴き声に包まれ のどかでした。
急坂と石室あとに気を取られていたので あまり記憶には残ってませんが。
ちなみに 縦穴式古墳は 埋葬したら完全に埋めてそれっきりらしいのですが(まちがっていたらごめん)
横穴式古墳は 家族の墓として 何度も 開封しては追加埋葬していたらしい。
と考えると、副葬品も 死者に贈る・死者とともに送るだけでなく
一族の貴重品の保管の意味もあったのかな?どうなんだろう??と ちらっと思いました。
そう思うと 古墳も 一族の墓として 地元の人に守られてきたのかもしれないとも 思いました。
明治維新と1945年、2度の新政権から 古墳を守る(=跡地の立ち入りを防ぐ)戦いが あちこちであったことは知ってます。ほとんどが権力に負けて取られたり暴かれたりしてますが。(だから進駐軍は嫌い!)
運よく隠し通せた場所も税金の支払いに負けたり・・
なんか ご近所の古墳群が 謎の場所から 一気に 人の息吹を感じるロマンの場所に代わりました!
そういう意味では もっとはやく この「近つ飛鳥博物館」に来ておけばよかったなと思いました
大阪南部には ほんと小古墳が多いんですよ。うさぎ・鹿やイノシシよりもはるかに身近な古墳群!
おなじみ「ため池」よりも もっと身近だった古墳群ではありました。
神社なみに身近 寺より身近でしたw
なにしろ 我が家には 父が高校時代、光明池で拾ってきたというい縄文式土器のかけらがあったくらいですからw(父は 高校の部活で発掘に参加したらしい。その時の記念品w)
帰りは 現在 満開との情報の 「狭山池公園」に行ってきました。
こちらの桜は、コヒガンザクラが中心
少しピンク色が強く 花もこころもち大き目の桜
だから見栄えがします。
狭山池は 現在 たまった砂を浚渫する工事中とのことで 水量はかなり少なかったです
駐車場渋滞が起きていました(笑)
すんなり 桜を楽しみたければ、公共交通機関と徒歩がおすすめ
対岸まで響き渡る素人っぽい歌声がうっとうしかった。(ライブらしいけど はた迷惑な)
◇
それにしても 知らない間に閉園していた狭山池遊園地は どこにあったのだろう?
てっきり 狭山池の周りにあるのかと思っていたのですが・・
まさか閉園することがあるとは思わなかったので、昨年 長年行って見たくてまだ行ったことのない
狭山遊園に行こうと調べて 閉園していたことを知ってびっくりしました。
博物館について| 大阪府立近つ飛鳥博物館
https://chikatsu-asuka.jp/museum/ より←冒頭の博物館の名称の由来
ちなみに 現在「安藤忠雄展 青春」をやっているそうです
安藤忠雄展 青春 – TADAO ANDO YOUTH | VS. | うめきた「グラングリーン大阪」の新たな文化装置
https://vsvs.jp/exhibitions/tadao-ando-youth