Nicotto Town



私が経験した震災-3



私が経験した震災-2で
東日本大震災のあと、ごくわずかな期間で罹災証明が発行…
と書いたが、記憶と言うのはいい加減なもので
実際は申請したのが平成23年6月17日
そして交付になったのは平成23年7月19日だった


震災のあとは…たくさんのものが壊れて、たくさんの人たちが別離を経験し
たくさんの人たちがそれに耐え、そしてたくさん助けられた時でもあった

少しずつ明らかになる被害の大きさに心をえぐられる想いだったが
みんな項垂れながらも未来へ進んでいっていた…と思う
助かった人たちがやらねばならぬこと…亡くなった方への弔いと
今後起きるかもしれない同じようなことに立ち向かえるための知識を得ること
そして伝えて、少しでも多くの人たちが同じ目に遭わないよう願うこと


何とか日常を取り戻すために、わが家は土地を探し家を建てることに決めた
転勤族なので故郷を離れて暮らした日々の方が長くなり
仕事のことも関係して、十数年住んできた今いる仙台に…
たしかに地震が多く、何より親戚の一人もいない…
親にしてみたら「なんで?」という思いだったようだ
そして震災の翌平成24年8月には今の住まいに引っ越すことができた


ここで改めて 被災したときに交付される罹災証明について

罹災証明は自治体に申請し調査を受けて認定される(自治体の固定資産税課)
戸建ての方はとくに調査が遅れ、躯体が壊れても半壊にしか
認定されなかった知人もいる

わが家の場合は「大規模半壊」で
これによってわが家が受けとったのは「税の還付・支援金・義援金など」
具体的には平成23年8月~平成24年10月までの期間に及んだ

これらは被災の程度の区分や、浸水区域での被害かどうか
今後どういう種の建物に住まいするか、
家族に亡くなったり行方不明になった方がいるかどうか
によっても大きく異なってくる


被災に関わるものとして以下のように支給された

・確定申告減税
・被災者生活再建支援金(基礎支援金)
・被災者生活再建支援金(加算支援金)
・みなさまからいただいた義援金(一次~四次)
  そのせつは本当にありがとうございました
・平成23年分の医療費免除

貯めていた貯金を取り崩したものと合わせて支払いに充て、
【すみません、うちの貯蓄では全く足りず、何倍もの借金していました】
夫からのダメ出し入りました(汗)
今ここに住まわせていただいている
あの大きな地震で私たちは人生や生活が大きく変わったのだ

人も自然も美しい国日本、外国からも羨ましがられる国日本
そして災害が多い国…日本
そこに住むからには覚悟と先人の知恵が必要だと思う
今日もまた山林火災で苦しむ人たちがいる
いつ・どこでまた起きるかもしれないのだから
心して生きよう

ここまで読んでくださってありがとうございます

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2025/03/27 15:47
貴重な体験を綴って頂き、ありがとうございました。
あの大きな災害を経験された方しかわからない大変さ、ご苦労を改めて感じることができました。
それと義援金がちゃんと被災者の方に届いてたことにホッとしました。
確かにこれから先、どんな災害が起こるかわかりません。
いろいろな備えをしておかないとですね!

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2025/03/27 01:50
貴重な大事なお話を書いてくださってありがとうございます。

先日、防災訓練に参加、上下水道が使えなくなったらどうなるか、どう対処するか、防災倉庫の備品の使い方などの話を聞いてきました。他にも備えておくべきことが色々ありますね。

自分には何ができるのか。自分に起こった時、他の人に起こった時・・。いろいろ考えます。
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2025/03/26 15:10
大地震は、来るぞとしきりに言われている南海トラフや首都直下のほか、日本ならどこにでも起こり得る災害ですね。地球温暖化の影響か、さまざまな大規模災害が毎年あちらこちらで起こっています。
あめぶるさんのご経験から語られるお話は、TVや新聞で見聞きする震災よりも、もっと胸に迫るものがありました。もし自分の身に起こったら、私は何ができるんだろう、と。
貴重なお話をありがとうございました。
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2025/03/25 22:32
大変な経験をなさってたんですね お話しして下さって有難うございます
いつ 何が起こるか分からない 〝心して生きよう〟 そうですね 心に刺さる素敵な言葉です
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2025/03/25 19:50
本当は思い出すのもお辛いと思います。。。
このように教えていただいて頭が下がる思いです。
災害のニュースを聞く度に不安になるばかりで何もできなくて心苦しい気持ちでした。
少しでも行動を起こせるようになりたいです。
貴重なお話をありがとうございました。
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2025/03/25 17:58
大変なご経験、それをこうして書き留めて下さって有難うございます。
罹災証明が出るまで時間がかかる、とTVでも取り上げていました。
生活再建までどんなに大変だったか、などもよく見ました。
でもこうして、生の体験を教えていただくと違いますね。背筋が伸びる思いがします。

震災の2年半後東北旅行に行き、帰りに国道45号線を宮古から仙台まで走りました。
その時の気持ちを思い出しました。車の中で夫と二人、何も言葉が出て来なかったことを。
ブログにも書いていました(^^;
   →https://hiyocchi.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-a159.html
災害立国の日本、今できることをちゃんとやっておかなければ、と改めて心を引き締めて行こうと思います。
有難うございました。
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2025/03/25 17:37
貴重なお話を有り難うございました。
日本中、どこで大きな地震や災害が起きてもおかしくないので
しっかり準備をしておかないといけないですね。

主人が録画した番組で、地震で排水管が損傷したら
水が出ていてもトイレが使えなくなると知りました。
携帯トイレをたくさん用意しておこうと思います。
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2025/03/25 16:08
あの当時の新聞は3月12日(土)、13日(日)分がまだ保存してあります。
12日は土曜日で夕刊もありました。13日は福島原発の爆発が第一面でした。
チェルノブイリを思い起こして、日本は終わったなと思いました。
被災地公演が決まって岩手県の海岸へ行けたのは3年後の平成26年でした。
帰りのフェリーを見送って頂いた時、涙が止まりませんでした。
あれから随分変わっただろうけど、
岩手から仙台の三陸海岸の光景は絶対忘れません。
こうして書き留めて下さったことに感謝いたします。
忘れてしまいたい事も多いかと思いますが、こちらを読まれている方の心に響くと思います。
自分は何ができるか、そういう緊張感を常に持っていたいと思っています。

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2025/03/25 15:20
たいへん辛い体験だったのに、綴っていただいて、ありがとうございます。
実は私、木造の被災建築物の危険度判定士の資格を持っています。実際に被災地へ
行く依頼はなかったのですが、判定はそのご家族の生活にも大きく影響するので、
その場に立つことがとても不安でした。被災状況もわからず現地に行き、判断を下すことが
果たしてできるのだろうかと思っていました
被災の状況をこうやって知ることができ、改めて、自分では泣いてしまって
判定は無理だったろうと思います。判定士失格ですね(^▽^;)
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2025/03/25 14:58
1のときも2のときも、読んでて涙が出そうだったんですが……
今回の分は、背筋が改まるような気持ちで読んでいます。
本当に、日本は災害が多い国ですよね。
山林火災も、まさかここまで大きく広がるとは…。地震、台風、豪雨、豪雪、もう充分なのに!
それでも、この国に住む以上、日頃から備えてがんばって生きていかねば、と本当に思います。

とても参考になる経験談を有り難うございました。
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2025/03/25 14:49
本当に大変な、ご経験をされましたね。
あめぶるさんが日々の、つぶやきで戸建て住宅に住まわれて、お庭のある暮らしをされているのを知っていたので、マンションの住まいで被災されていたのは意外でした。
戸建てと違って取り壊しも補修も難しい事が多いと聞いています。
うちもマンション住まいでローンこそ完済していますが大地震が来たら、どうしよう?年齢からいって住まいの再取得は難しそうです。
友人にも神戸で被災して購入して間もない戸建て住宅が全壊して建てなおされた方がいるのですが、若かったからなんとかなったと言っています。
被災された方々の数年後、十年後などの情報は、ほとんど伝わっていないように感じます。
直接、被災された方の、お話を、お伺いできるのは大変、貴重な経験でした。
ありがとうございました。



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