麻原彰晃の画像
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/03/22 21:40:45
春風になびく髪
もらったステキコーデ♪:20
PCからネットに入ったら 麻原の画像が飛び込んできてぎょっとした。 それも あまりに軽い写真だったので、えっ!と
サリンや上九一色村で命を落とした人 家族が被害にあった人の気持ちを思えば こんな軽々しく写真を使うなんてとむかっときた。
それでなくても 最近 しらじらしい記事が乱発されて嫌らしいと思っていたところなので。
それで ちょっと検索をかけたら、地下鉄サリン30年での乱造記事だとわかった。
ただ 少し目を引いた記事が↓
麻原彰晃がとんねるず、ビートたけしの番組に出演していた…地下鉄サリン事件から30年“テレビの軽さ”に再注目(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/243b2b39f2727c2ca96d2f7a4187837ccfbf2852
3/21(金) 16:32配信
3月20日、14人が死亡し、およそ6300人が被害に遭ったオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経過した。節目となる今年、多くのメディアで特集が組まれる中、SNSでは同教団の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が民放のバラエティー番組に出演した際の映像が拡散された。
地下鉄サリン事件が発生する4年前の91年に、麻原がゲスト出演したのが、当時人気番組だった『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)。「麻原彰晃の青春人生相談」と銘打ったコーナーで、一人がけのソファに胡坐をかいて鎮座する36歳の麻原が、石橋貴明(63)と木梨憲武(63)から投げられた若者からの質問に答えるという、今では考えられない内容だった。
「バブル全盛の80年代後半から信者の家族や教団施設の周辺住民とのトラブルがワイドショーなどで放送されはじめ、教団の過激な思想や異常性は知れ渡っていました。麻原がメディア露出を増やしていたのは90年2月の衆院選で惨敗した後で、生物兵器開発など後のサリン事件につながる武装化を中断していた時期と言われています」(週刊誌記者)
麻原は番組で、“かつて秋吉久美子が好きだった”“リンスはせず、ベビーシャンプーを使っている”といった視聴者との距離を縮めるような逸話を披露している。
■たけしをヨイショした麻原 「単なる“怪しい教祖”“おもしろいおじさん”としてキワモノ扱いされた麻原は巧みな話術で、スタジオ観覧者や視聴者にウケている印象がありました。プロデューサー以下番組スタッフはまさかその4年後に、戦後最悪のテロ事件を実行するとは思ってもいなかったでしょう」(芸能ライター)
生ダラが放送された91年の年末には、『TVタックル』(テレビ朝日系)でビートたけし(78)が麻原と対談している。
「この対談で印象的だったのが、死について話をしたたけしを麻原が仏教用語や教義を持ち出してやたらと持ち上げていたことです。たけしと麻原はその後、月刊誌でも対談しています。当時は今のようにコンプラ意識が極めて薄く、麻原の登場が許される空気がありました。しかし、89年にオウム問題を追及していた坂本堤弁護士一家が横浜市内の自宅で教団幹部らに殺害されていますが、その直前にTBSが坂本弁護士がオウムを批判したインタビュー映像を教団幹部に見せたことが一家殺害事件の引き金になっています」(前出・芸能ライター)
オウムの暴走に当時のテレビがひと役買っていたといっても過言ではないだろう。
◇
私が太字にした部分、メディアが珍しく素直に反省文を書いている点で目を引かれた。
当時学生だった私は、TVの騒ぎっぷりに首を傾げ、オーム真理教に興味を惹かれ、学内に1本釣りに来ていた勧誘員を捕まえて、その宣伝文句をきき、あまりのめちゃくちゃ論点に絶句して、「あなたが 麻原氏を真剣に信じていることはわかった。 しかし 私は、目の前で麻原氏が浮かぶのを見ない限りは 空中浮遊を信じることはできない。彼を ここに連れてきて 目の前で宙に浮いている所を見せてほしい。まずはそれをここでたしかめることがさきだ」と大真面目で言った
話の途中から 教室の端を出入りする部外者(学生ではない感じの人)の存在に気付いていたが、私がそう言ったあと
勧誘員は その人によばれて 廊下に出ていき戻ってこなかったので、うんさ臭いなぁ と残念に思ったものだ。
その後 学内のあちこちに出没していた オームの勧誘員たちが一斉に姿を消してしたので いぶかしく思った
一方で メディアは 麻原とオームをたたえる報道ばかり
その状態にものすごい違和感を抱いた
そのうち週刊誌が 松本サリン事件 坂本弁護士一家殺害事件を取り上げだし、 でもTVは相変わらず麻原 アゲアゲ番組・ニュースばっかり
なので 私は週刊誌の記事のほうを 半信半疑で読んでいた
これがほんとのことなら なぜ事件化されないの?
逆に事実でないことを ここまで書いていいの??
まじで 判断できずに 思考放棄してました。
だって 週刊誌の多くも 麻原礼賛識者(教授たち)の談話をのせてましたからね・・
警察の長官が死んだ辺りから 私の中では疑念が膨らみ
そして 突然の地下鉄サリン事件
あれが 思えば 私が 日本のメディア・日本の記者たちが書く記事には裏があるという目で 報道を見るようになったきっかけかもしれない。
そして 立候補者達の裏(金と権力の動き 人々の思惑)に目を向ける習慣を持つきっかけだったかも
(まじめな話 選挙カーにのってる オームの面々を見て
よく 立候補できたなぁ と 公職選挙法や選管の役割について勉強しなおしたもの。
で 当選するかなと思ったら落選したからびっくりしたけど。
選挙運動期間中に 先輩が 「あれは落選する TVがもてはやしているだけで 市民からそこまでの支持は得ていない」と言っていたので、話を聞いたときは まさかぁ・・と思ってました。
でも、落選した結果を見て 先輩の言葉を思い出して、「そっかぁ TVでもてはやされているからと言って 市民の支持をえているわけではないのか・・ むしろTVを通して 人気を獲得していくのが世の中なのかぁ・・」
と素朴に びっくりした学生時代)
たまたま 私の周りには うがったものの見方をする先輩たち(というか現実的な意味で大人な視点を持つ先輩)がいたおかげでオームに引っかからなかったけど
それと 超が付くほどの真面目ちゃんだったので 1本釣りにもひっかからなかった(親が しらない人について行ってはダメと厳しく私をしつけたおかげともいえる)けど、
当時仏教に関心があり 仏教について気軽に話せる友達や先輩がいないことを残念に思っていた私だったので、1歩まちがえば、オームにひきづりこまれていたかもしれない
だって TVの影響で オームが怖い存在だとは、全く思っていなかったから。
そういう意味では 上記の記事の末文の指摘は正しいと
私は 実体験から思う。
「あれだけTVでもてはやされている団体だから」と 私は全くの無警戒で 勧誘員と話しをしていたもの。
むしろ あの対話のあと、勧誘員たちが一斉に姿を消したことにより 私は疑念を抱いた口ですから。
今から思うと 向こうが組織として警戒心をはたらかせたことにより 結果的に私は沼にはまらずに済んだとも思う。
それくらい あの勧誘員の子は 真剣に 麻原を信じあがめていた。あの純真に信じている姿そのものに 私は心を動かされましたから。
彼一人の力で 旧ソ・ロシアに 今も支部が残るほどの教団の運営ができたとは思えない
純真に彼を信じていた若者たち それを組織化して、ある意味 オーム真理教を テロのカムフラージュに利用していた連中が 今も どこかで 継続的活動を 別の仮面をかぶってやっていても
私は 全く驚かない
というか そういう背後関係の有無について 全く追及されずに今現在に至っている 日本の現実のほうに驚く
そういう意味で 警察庁長官だっけ? あの方が なぜ 狙撃されたのか??
なぜ いまだ 犯人がつかまらないのか? 気にかかることではある。
ちなみに、当時 国家公務員上級試験の面接で 面接官の前で オーム真理教の布教活動?を延々とやった受験生がいた
すそ野の広さ 当時の国立大学を狙い撃ちにして 学内でどうどうと 学生の1本釣りをやっていた組織力のすごさを もっと 真剣に考えるべきだと思うけどなぁ。
いくら当時の 国立大学が 各種組織(洗脳型思想団体)の狩場であったにしても・・
年間通して活動していたのはオームだけ、 そして 投入していた勧誘員の多さからしても
オームは 群を抜いてましたからね (だから 私も 興味を持ったのだけど)
それだけに 異臭を放つ サリン入りの袋を片付けようとして亡くなった方とそのご遺族のことは 今でも 痛ましく思っています。(ただ そのことについては 過去に何度も書いているので 今回は省略します)