Nicotto Town


かきくけこのブログ。


自分が老けた事を知る瞬間。

普段生活していて、何かいい事があったら「自分はいけてる!」と自信がつく事も、ありましょう。でも、最近やっぱり、「あ、自分は老けたんだ…」と老いの一途のもの寂しさに暗澹と憂いる事もあります。それがまさに、老けたという事なのでしょう。何がそんなに悲しい事だと、元気健康な人にはわからない。そんな世界。若者に無関係な老いという世界。


好きだった芸能人が死んでいく。老けていた。
 昔からなんとなくテレビをつけたらいた、芸能人。巨匠たち大スターが、気が付いたら死んでしまっていた。引退していく。自分の青春を代弁していたような人が、久しぶりにテレビみたら、物凄く老けていて、なんだか昔あったキレキレの輝きが薄れ、あんなにも憧れの的だった輝かしい大スターが、なんだったらちょっと若手にバカにされ始めている、追い越されようとしている。隅に追いやられようとしている。そんな時に一番心が揺らいでショックで悲しい気がする。自分の時代に一位だった人も、いまでは一位ではないのだな、という事を実感した時に「ああ、自分は老けたんだな」とその時初めてハッキリと実感します。青春時代は終わったんだ…というような。大御所だったあの大スターが、全盛期の頃のキレたトークが、ボケてるような瞬間とか。ああ…昔はもっともっと人を大爆笑させてたのに…。全盛期の頃の大天才ぶりを発揮していた大スターが、才能に劣る若手に負けてる…そんな瞬間を見る時、なんだか自分が 老けていくのを鏡で見るよりも強く、「ああ、この人も老けたんだ。自分も老けるわけだわ」と、物凄く老いを実感します。そして自分よりなんだか、大スターがボケてる時に、物凄い老いの悲しさみたいな悲しさに追い込まれます。自分の推しとかがいる人は、こういう気持ちってわかると思います。なんだか、自分が老けるのはしょうがないけど、テレビの大スターが老けるのって、途轍もない悲しさや切なさ、死の恐怖とか人が死ぬ事失う事、老いていくことの悲しさが、ひしひしと身を苛みます。あの頃はよかった…よかった…昔はよかった…。と、そこらへんの老人と一緒のレベルの事をぼやく。輝かしい花道を往生した人ですら、そんな終焉を迎えるのか…と、若かった頃の憧れの人の老けた姿というのは、グサっと時間が突き刺さってくるものがあります。自分が憧れていた人が、自分はもう枯れてるとか言う時、ああ…終わったんだな。と時代の終わりを感じてキリキリと何かが締め付けられるような切なさがあります。それが死にむかっていく、という実感の事なのかもしれません。自分は老けたんだ、と不承不承に許諾せざるえないということ。なんとも悲しい生命の定めです。だからこそ、私たち普通一般の人は、大スターにいつまでも変わらないね、と、誉め言葉として使うのかもしれません。いつまでも輝いて凄い、期待を裏切ってない素晴らしい人だと。でも、成長して、老けて、スタイルを変容させ、人は老成していくものなので、大スターというのは大スターという十字架をファンの数だけ背負わされている悲しい生き物なのかも…。そう考えると、大スターが引退するというのは、悲しいけど本当に幸せになるべき人が幸せになる為のファンが一番喜ぶべき事なのかもしれない。いつまでも変わらず輝いて欲しい。でも、さらに飛躍するために、変化してもいい。そんな矛盾した気持ちを、ファンは傲慢にワガママに、いつまでも死なない人なんていないのに、永遠にみんなの頭上でい続けて欲しい。そんな、人間らしからなぬふるまいを人間に希う自分が、無意識に存在している事に気が付くと、私という人間が大スターを好きになるという事は、なんて残酷な事なんだか。と、自分の無意識に好きだから願う願いに時々、矛盾していて酷くて残酷で無責任だという事に気が付いて、なんだか人を好きになるって大変だし、好きになられるのはもっともっと大変だ…という気がする。ファンが増えるとか、ゾっとする。ものすごく恐怖。一番怖いかも。なんだか自分というファンが好きな推しに持ってる愛憎とかそういうのがわかるので。ファンって怖い生き物だと、なんだか自分にそんなファンらしいものが無くて、ほんとによかった!とか、時々安心している瞬間があったりして。




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.