囲炉裏(いろり)の日
- カテゴリ:占い
- 2025/01/16 16:27:06
ニコットおみくじ(2025-01-16の運勢)
こんにちは!日本海側は広く雨や雪となり、東北や北海道は吹雪く所が多い。
太平洋側は晴れる。
沖縄は晴れのち曇り。
全国的に最高気温は平年より低い。
【囲炉裏の日】 いろりのひ
☆「囲炉裏の日」は囲炉裏を囲んで暖かい会話を楽しむことを目的として、
囲炉裏の愛好家達によって制定されました。
この日は「い(1)い(1)ろ(6)」と読む語呂合わせから、
毎年1月16日に設定されています。
■囲炉裏という言葉
古くは・・・
・比多岐(ひたき)
・地火炉(ぢかろ)
このようにも呼ばれ、日本の伝統的な暮らしに深く根ざした存在です。
<概要>
〇囲炉裏の日
@炉
囲炉裏は・・・
・ストーブ ・ボイラー
・オーブン ・竈(かまど)
・七輪 ・暖炉
これらの一種になります。
この暖炉は・・・
・陶磁器やレンガを焼く竈 ・金属の溶鉱炉
・反射炉 ・ゴミの焼却炉
・原子炉
これら等とともに「炉」と呼ばれます。
★「炉」に共通するキーワード
「火」です。
@囲炉裏の原形
旧石器時代に遡り、この頃は火の周囲に石を積み上げた屋外の炉で、
縄文時代には屋内へ持ち込まれ、古墳時代には住居の変化に伴い、
形や設置場所も変わりましたが、
囲炉裏の役目は明かりや暖房にしか過ぎませんでした。
☆旧石器時代の暮らし
旧石器時代とは、
石器と呼ばれる「石で造られた道具」を使用され始めた時代です。
地球上では、現在から約200万年前のことといわれています。
日本における旧石器時代は、
人類が日本列島へ移住してきた時に始まりました。
その時期は、約38000年前です。
人類は大陸と陸続きになっていた氷河期に、
獲物を求めて日本列島へ渡って来ました。
海面は現在よりも100~140m程低く、
北海道と「樺太(からふと)=現:ロシア」と繋がっていました。
北海道と青森は完全に繋がっておらず、
冬は凍結していますと、歩いて渡れたと考えられています。
人類が日本列島へ移住してから縄文時代が始まりを迎える、
約16000年前までの22000年間を旧石器時代といいます。
■旧石器時代
・無土器時代
・先土器時代
・岩宿時代
このようにいいます。
因みに石器時代の石器の制作方法は・・・
・旧石器時代
・中石器時代
・新石器時代
このように3つに大別され、その最も古い時代を旧石器時代と呼んでいます。
旧石器人の遺跡は見晴らしの良い大地で見つかることが多いですが、
洞穴や岩陰を住み家としているものもいれば、
定住せずに住み家を移動しながら採取や狩猟生活をしていた旧石器人もいて、
人それぞれです。
簡単な皮製の屋根をかけたテント式住居や洞穴に住み、
移動しながら生活していました。
そして、大型動物等の狩猟と木の実や芋等の植物採集を生業としていました。
旧石器時代後期には竪穴住居が造られるようになり、
大阪にあるはさみ山遺跡の住居跡が有名です。
□はさみ山遺跡
日本最初の住居跡です。
竪穴住居の造りは木材を組み木にして草や動物の皮で覆ったもので、
直径6m程の円形竪穴住居が多いです。
この住居内からはナイフ型の石器等の破片が沢山出土され、
調理、暖房、灯りの為に火を使用していた痕跡も残されています。
支社を埋葬するお墓もこの時期に発見されていまして、
墓内には生前の装身具や石器、玉等が副(そ)えられました。
★縄文時代の暮らし
旧石器時代が終わりますと、縄文時代です。
縄文時代の始まりは今から約16000年前頃からとされています。
縄文時代は水田稲作や金属器の使用を特徴とし、弥生文化が登場する、
今から約3000年前までの約13000年間の期間を指します。
□竪穴式住居(竪穴住居)
青森県の「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」は、
約5500年から4000年前に存在した日本最大級の集落跡で、
国特別史跡に指定されています。
竪穴式住居は地面を円形や方形に掘り下げまして、
その中に複数の柱を建てまして、
柱と柱を梁や垂木の横架材で繋ぎ合わせて家の骨組みを造りまして、
その上から土、若しくは藁等の植物で屋根を葺いた建物のことをいいます。
*横架材・・・水平方向にかけ渡される部材
竪穴式住居は「竪穴住居」と表記することもありますが、同じ意味です。
竪穴式住居の普及は特に関東地方に顕著に見られまして、
現在までに出土した遺跡数は65カ所、その数は300棟を超えています。
◆東京都府中市武蔵台遺跡
最大規模で、24棟の竪穴式住居の後がまとまって見つかっています。
日本の竪穴住居は旧石器時代の後期から造られ始めたと考えられていまして、
縄文時代に入りますと盛んに造られるようになり、
弥生時代以降になってもずっと造られ続けました。
その後、農家や民家を中心に竪穴式住居自体は、
平安時代頃まで造られ続けました。
☆弥生時代の暮らし
弥生時代は紀元前10世紀頃から、紀元前3世紀中頃までを指します。
縄文時代の終わりに伝わった水稲耕作(すいとうこうさく)が盛んになり、
生産経済の時代の幕開けとなりました。
北九州地方が「もっとも初期に水稲耕作が始まった場所」といわれています。
弥生時代は大きな争いや村同士の戦争が初めて起こるようになった時代です。
■鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡
大きな争いの中でも代表的な遺跡です。
弥生時代中期に村が形成され、後期に戦争により集落が廃絶したといわれ、
集落の東側にある溝から100人以上の殺傷痕が含まれる、
人骨が発見されました。
発見された人骨は老若男女無差別で殺害されまして、
首が無い人骨や武器が突き刺さったままの人骨があったり、
多くはほぼ即死だったと推測されています。
死体は埋葬されることはなく、溝の中に折り重なるように遺棄されていました。
□環濠(かんごう)集落・高地性集落
上記のような他の集落等からの攻撃や襲撃に備える為、
集落の周りに穴を掘った壕を巡らせた環濠集落や、
高地に集落を構える高地性集落等、戦争や侵略に対する政策を行っていました。
★古墳時代の暮らし
弥生時代後期、縄張り争いから始まった集落や地域での争いが繰り返され、
規模が大きくなった集落に「王」や「大王」という権力者が現れました。
3世紀後半になると「ヤマト王権(大和政権、大和朝廷)が、
日本国家を統一したところで弥生時代が終わります。
このヤマト王権による日本国家統一により弥生時代が終焉を迎えまして、
飛鳥時代が到来する7世紀頃までを古墳時代と呼びます。
問題 次の文章からどの時代かを教えてください。
正解の時代の人々は槍や落とし穴を使用して、動物を捕獲していました。
ナウマンゾウやオオツノジカ、ヘラジカ等の大きな動物の他、
鹿、猪、野兎、ムササビ等もいました。
1、旧石器時代
2、縄文時代
3、弥生時代
ヒント・・・〇鹿児島県では石皿や磨石(すりいし)
ナッツ類を割って粉にする石皿や磨石が出土しています。
お分かりの方は数字もしくは上記の文章からどの時代かをよろしくお願いします。
ミオティカさん、夕方のお忙しいところ、コメントとお答えをありがとうございます。
そうですね、語呂合わせです。
おおお~、問題ですが1番の旧石器時代が正解です。
素晴らしいですね、どうもおめでとうございます(祝)
はい、ナウマンゾウがいた時代ですね。
問題の解説もありがとうございます。
そうですね、縄文時代には既にナウマンゾウはいないですね。
あはは、お詳しいですね、そうですね、象を狩るのは壁画のイメージですね。
ミオティカさん、お天気はどうですか?
それと気温が下がっていませんか?
今夜も体調を崩さないように、暖かくしてお過ごしくださいませ。
ぇ・w・ ゾウ・・・いた? 旧石器時代!?
縄文とか弥生ではなかった気が・・・
象を狩るのは壁画のイメージ・・・