父の逝去を見届け終えて
- カテゴリ:日記
- 2024/11/17 23:56:27
先月の30日に父が亡くなりました。
親戚も、父の昔の仕事仲間も、飲み友達や幼馴染さんも早すぎると、葬儀ではみんな悼んでくれました。
少し肥満気味で、お腹がポッコリ出てるのを健康の証だなんて言いながら、毎年パークゴルフを春から秋まで楽しんでいた行動的な父でしたので、痩せていく過程はとても辛く、ですが同時に、私や母、時には姉以上にバクバクご飯を食べている姿を見ていると、本当にこの人病気なのか?と思うこともあったり笑
病気になると、食欲が失せて食べられなくなるのが普通だと思っていたので(自分で経験済み)亡くなる一か月前まではとんでもない食欲だったことを考えると、最後の最後まで、抗がん剤を止められた後も病気に抗っていた証拠でもあったのかなと、今では思います。
コロナ過以降、付き添いは原則NGですが、緩和ケアに移動してから、なんとか頼み込み、一人だけなら許可が出たので、毎日もしくは2日ごとに家族と交代しながら父の病室で寝泊まりをしていました。
最後の日の付き添いは私でした。その日はあまり意思疎通はできませんでしたが、姉が何度も同じことを繰り返し父に聞くと、最後の方ではもう嫌だと首を振って抵抗していたりと、この数日間とあまり変わらない態度だったので、少し油断をしていたのかもしれません。
夜中の3時までは覚えています。父は眠剤を入れられて、少し大き目ないびきをかいていて、大丈夫かなと思い少し横になり眠ってしまった1時間後でした。
看護師さんに起こされた時には、もう父の呼吸は止まっていました。
一生の後悔かもしれません。父の最後を近くにいたのに見届けることができませんでした。母と交代しておくべきだったとも思いました。唯一の救いは、父の死顔が苦しそうな顔ではなかったことです。慌てて駆け付けた母と姉も、泣きながらそこだけはホッとしていたようでした。
そこからはもうバタバタです。
家に父と一緒に帰った後、通夜・葬儀をどうするか、費用はどうなるか、親戚はどれくらいくるか(父は7人兄弟です;)食事はどうするかなどなど……
母は動けないので(リウマチ、坐骨神経痛など)姉と私で大体動いて決めましたが、これからのことを考えると色々なところを削るべきだったかもなぁ~と思います。特に葬儀ですね。某冠婚葬祭の互助会に母が入っていましたので、そちらに頼んだのですが、まぁ高い高い。金銭状況的に情けないですが、安い方のプランの方にしたいと言っても、こちらの方が人気ですよ、とか、おすすめですとか言われ、なかなか頷いてもらえない。おまけに父が亡くなって数時間しか経ってない、まだあまり心の整理もできていない時だったのもあり、否定ばかりされると、もう押し切れる気力もなく……
金額はまぁ…ネットで書かれている平均よりは上です。結構上です。
押し切られた私も悪いですが、全く頷いてくれない互助会の人も、さすがにひどいと思うのですが、まぁ営業ですからね…あちらも仕事ですからね…
一番ついていなかったのは、某互助会の我が家の担当をしていた人が、あばら骨?3本?折ったとかで違う人が来たことですかね…今年の春に叔父が亡くなった時にもお世話になっていたので、少し気心が知れていた人だったので、その人じゃなかったのも痛かった…
でも、お金をかけた甲斐はあったのか、父を会場に運んで、湯灌から始まり通夜・葬儀もスムーズに終わり、次の日に火葬場で火葬をしてもらい、会場に帰って還骨法要をしていただき……と、あっという間に終わってしまった気がします。自分の家主体での法要は初めてだったので、てんやわんやしていたのですが、父のいとこさんに大分助けていただきました。四十九日が終わって、ひと段落ついたら、菓子折りもってお礼に行くつもりです。
姉も溜まりに溜まった仕事のために帰省し、今は母と二人です。毎日、父に何をあげようかと母と話しながら決めています。
正直寂しいです。仕事や学業以外で人がいなくなるのが、こんなにも寂しいのかと痛感しています。
時間にゆとりが出てくると思うのは、こうしてあげればよかった、ああしてあげればよかったと、たられば話です。これはもう、仕方ないのかもしれないなぁ~と思いながら母とたられば話をしています。上記にも書きましたが、食べることが大好きな父だったので、もっと色々な所に連れ出して、美味しいものを食べさせてあげたかったと思ってしまいます。これも、後悔の一つかもしれません。
先月からもう、怒涛の毎日だった気がします。毎日気を張っていたと思います。疲れがとれていない自覚もあります。おそらく、母や姉もでしょう。
ですが、毎日誰かしら夜に付き添いをする・毎日顔を見に行く・毎日時間ギリギリまで家族で病室にいるの3つは、誰も嫌だとも言いませんでした。最後の方は体調がきつくなってきていましたし、看護師さんや緩和ケアの担当医さんからも、それとなく3人で帰った方がいいんじゃないかと言われ心が揺らぎましたが、最後まで付き添い入院を続けました。踏ん張ったと思います。
3人やり切った、と思います。色々後悔はありますが、これだけはやり切ったと胸を張って言えるかもしれません。父は寂しがり屋でしたから。
初七日法要が終わってから、今は名義変更のラッシュに追われています。
父が亡くなった次の日にはもう口座が凍結されており、光熱費の引き落としに冷や冷やしました。田舎は亡くなったのが伝わるのが早い…
一番ややこしいのが、相続登記ですね、もう自分でやるなら勉強するしかない;
法務局に姉に行ってもらったのですが、書類貰って司法書士への連絡票を貰って終わりだったそうで;;
これからわからないことが出たら、何回でも押しかけてやるんだからな~と思いつつ、法務局まで行くのに車で約1時間かかることを考えると、やっぱり足が遠のきそうな気がします;田舎はつらいよ;
身体はまだどこかしら疲れはありますが、私は何とか元気にやっています。
約2500文字のブログを読んでくださった方、ありがとうございます。最後の方は、もう何を書いているのかわからなくなりました;一種の発散ですかね?
次の四十九日までに、身体の疲れが取れていますように><