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キク

ニコットおみくじ(2024-11-06の運勢)

おみくじ

こんにちは!九州や中国から関東の太平洋側は晴れるが、

日本海側と東北は曇りや雨。
北海道は寒気の影響で日本海側を中心に雪。
沖縄は曇り。

【キク】 菊 Chrysanthemum

       Chrysanthemum

☆キクは、キク科キク属の多年草です。

<概要>

〇特徴

日本の空を代表する花です。

@キクは皇室の紋

 キクは皇室の紋にも使用されています。

 ★鎌倉時代初期の後鳥羽(ごとば)上皇の好みで、皇室の紋は「菊」

  鎌倉時代初期の後鳥羽上皇はキクを好みまして、
  譲位後の衣服「袍(ほう)」や牛車、輿(こし)にキクの紋を用いまして、
  自作の刀剣にも菊章を刻んだ「菊御作(きくおさく)・菊太刀」とされます。
  
  《後鳥羽上皇》

   後鳥羽上皇は文武両道に優れました、最強の天皇といわれています。

   平安時代と鎌倉時代の変わり目に生まれまして、
   国内で絶大な権力を握りました。

   源氏一族が滅亡した後、
   幕府を支配下に置こうと執権の北条義時さんが、
   追討の兵を挙げたのが承久(じょうきゅう)の乱です。

   しかし・・・

   幕府の武力に抑えられまして、後鳥羽上皇はお気へ流されまして、
   生涯都へ戻ることはありませんでした。

   又、後鳥羽上皇の歌人としての優れた才能も、
   見落とせない魅力の一つです。

   小倉百人一首に歌人として名を連ねているだけではなく、
   藤原定家(ていか)さんと共に新古今和歌集の撰者としても、
   知られています。
   
   〔和歌に関しても趣味程度ではなく、一流の腕前〕

    後鳥羽院は天皇を退いてからの呼び名で、
    院となりましたのは20歳の時でした。

    天皇の和歌は万葉集、古今和歌集、新古今集に至るまで、
    歌集に収録されています。

    中でも後鳥羽院は大変に多芸でありまして、
    和歌に関しても趣味程度ではなく、一流の腕前を持っていました。

   〔新古今集を編纂した後鳥羽院〕

    後鳥羽院の功績は自らが和歌を詠んだというだけではなく、
    藤原定家さんに命じて、新古今集を作られたということです。

    又、歌合(うたあわせ)という歌の会といいましても、
    峻烈(しゅんれつ)に歌の腕前を競う、和歌の試合のようなものですが、
    その催しを企画しました。

    中でも、千五百番歌合の規模が大きかったものとして知られています。

    そして、これらの歌合が歌集の成立へと結び付きました。

   〔後鳥羽院と藤原定家さん〕

    後鳥羽院が和歌を習いましたのは、藤原俊成(としなり)さんです。

    ただし、その息子である藤原定家さんとは、
    仲が悪かったことが知られています。

    ≪不仲の要因≫

     最勝四天王院の障子和歌の選定にあたりまして、
     自分の和歌が採られなかったことを恨みました定家さんが、
     後鳥羽院は歌を見る目がないと誹謗します。

     怒りました後鳥羽院が定家さんを、
     勅勘(ちょっかん)処分としたというエピソードがあります。

   〔後鳥羽院の和歌代表作〕

    後鳥羽院の和歌の代表作と知られている歌は、
    百人一首の99番の作品が一番有名です。

    人もをし人も恨(うら)めしあじくなく
    世を思ふゆえに物思ふ身は

    ≪現代語訳と意味≫

     人間が愛おしくも恨めしくも思われる。
     この世はどうにもならないものがあるが故に、
     物思いをする私であるよ。

    ≪解説≫

     鎌倉幕府と朝廷の対立において、君主の嘆きの表れた歌です。

     幕府との間で耐え忍びました後鳥羽院ですが、
     この19年後に承久の乱を起こしまして、
     その後、隠岐に流されることになります。

    ほのぼのと春こそ空に来にけらし
    天(あま)の香久山(かぐやま)霞(かすみ)たなびく

    ≪作品と出典≫

     太上(だじょう)天皇 後鳥羽院 新古今集2

    ≪現代語訳と意味≫

     ほのぼのとまさしく春は空に来たなあ。
     あのように夜明けの天の香久山に霞がたなびいている。

    桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな

    ≪出典≫

     新古今和歌集99

    ≪現代語訳と意味≫

     桜の咲く遠山、それは山鳥の長く垂れた尾のように、
     永い春の一日中、眺めていても飽きない色であることよ。

   因みに、後鳥羽天皇は後白河天皇の孫にあたります。

   御誕生日:1180年(治承4年)7月14日

   没日  :1239年(延応元年)2月22日

   生地  :京都

   没地  :隠岐

  その後、後鳥羽上皇の先例が後嵯峨上皇に尊重されまして、
  子孫の後深草天皇、亀山天皇、後宇多上皇にも受け継がれました。

  以後、徐々に定着したと考えられています。

  明治時代になりますと、政府は菊花紋の濫用を禁止しまして、
  天皇及び内廷皇族は十六八重表菊形、
  宮家の皇族は十四葉一重裏菊形と定められました。

@原産

 中国で、日本に渡ってきてから、
 国内でブームが起こりまして、奥の品種が輩出されました。

 さらに、菊は海外に渡りまして、
 ピンポンマム等の新しい品種が生まれました。

@開花

 菊の花は咲き方や花色がともにバリエーションが豊富です。

 大ぶりで花芯が見えない程、
 沢山の花弁を付ける菊や、小さく一重の風情のある野菊も、
 どちらも甲乙つけがたい美しさです。

@花言葉

 ・白色の菊  :真実

 ・ピンク色の菊:甘い夢

 ・黄色の菊  :敗れた恋

@菊は不老不死の薬草

 キクは昔の中国で不老不死の薬草と信じられていまして、
 縁起の良い植物として扱われていました。

 重陽の節句(9月9日)には屋外で菊酒を飲みまして、
 災いを退けたり、不老不死を願いました。

 その習慣が日本にも伝わりまして、
 同じように重陽の節句には菊酒を飲みまして、
 キクを包んだ綿やキクの香りを染み込ませた布で体を拭く等をして、
 不老長寿と若返りを祈ったとされていあす。

問題 菊は御存知「高貴な花」です。

   次の文章の中の〇に入る植物名を教えてください。

   キクは竹、梅、〇と並び、四君子と呼ばれ、愛されてきました。
 
   四君子とは、種を草花の中の君子と称えた言葉です。

   *君子・・・徳が高く、品格のある人

1、蘭

2、松

3、芝

ヒント・・・〇〇

      野生種だけでも約1~3万種もあるといわれています。

      改良された園芸種を入れますと、その数はとても多く、
      地球上で確認された植物「維管束(いかんそく)植物)」の、
      1割近くが〇ということになります。

      〇は日本やアメリカ、オーストラリア、アフリカ地域等、
      世界各国に自生しています。
    
      種類間の違いが少ないことから・・・

      ・東洋〇

      ・洋〇
 
      このように生息地によりまして、分けられることがよくあります。

      ・東洋〇:日本や中国を原産地としている〇のこと

      ・洋〇 :それ以外の地域の〇を日本では洋〇と呼びます。

お分かりの方は数字もしくは〇に入る植物名をよろしくお願いします。




















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