ロシュ・シャハナ
- カテゴリ:日記
- 2024/10/16 01:04:00
次の満月は17日。木曜日。
この日は、ユダヤの新年だそうです。
太陰太陽暦なので、日にちが毎年変わるのですが、
今年は10月17日。
祭司が角笛を吹いて新しい年を知らせ、甘いものを家族で食べて、
父親が朗読する聖書の言葉をみんなで聞いて、暗唱して、
賛美を歌い、祈る。そうやってお祝いするみたいです。
心を豊かにする方法を、よく知っている。それをずっと続けてきたのだなあ。と思います。
なお、春分のころに過越しの祭があって、昔はこちらが新年でした。
バビロン捕囚のあたりで、政治的なあれこれがあって、秋に新年を祝うようになったみたいです。
過越しの祭のお祝いも続けられたので、当時の人に、「ユダヤ人は、一年に何度も新年を祝ってる」と書き残されています。
はい。ユーチューブにあった「イエスの生涯」これ2時間少し。
それと「イエス・キリストの生涯をたどる旅」短いの7話。
です。上の映画形式のは
「これ、新約聖書のセリフそのまんまで
は?」と思った。
下の短い20分のが7話は、日本人が現地に行ってエルサレムやらのルポみたいなの。
全七話? 何か番組がある?
旧約聖書はバビロン捕囚後に編集が始まって、いまの形になったけど、内容自体は数百年、数千年かけての口伝なので、詩編も千年ぐらいかけて伝えられていった、庶民の歌みたいなものです。
行事や祭儀の時に歌うものとかもあるし。
民族の中にしみこんでる意識みたいな。朗読の発音とかも音楽的だそうです。
夜空を見上げて星の輝きに声を奪われ、静寂の中に語ることなき声を聞く。そんな素朴な感動があったりする。
あと古代の世界での、人間と動物の区別というか、、、命の重みというか、軽さというか。
人間はすぐに獣になってしまう生き物だ、という感覚がいまより切実に強い。どうしたら人は人間になれるのか、という命題がずっとある。
知恵文学と呼ばれる旧約聖書の文章のあれこれは、人に本能以外の、知恵と呼ばれる何かを宿すために語られてきて、
人の都合で曲げられそうになるたびに、本来のものに戻れと呼びかける者がいた。
キリストもそういうこと言ってる。
と聞きながら読んでました。
昨日、イエスの生涯、全7話を通してみて、やっと分かりました。
これは、しょっぱなから律法、教唆犯、裁判についての物語ですね。
経典なら生活についての教えも必要だから、詩篇は、まあ付け足しみたいなものか。
で、全部が聖書には、まとまって入ってるんですね。そうなんでしょう、と思いました。
イエスさまも初期のキリスト教徒も、ローマに戦争仕掛けるのはダメ、と言っていたので(当時、ローマからの独立を目指して、反乱起こす人が続出していた)
政治に関することには、線引きしていました。
水のないところでは人は生きていけないので、水場近くに村ができていく。イエスさまは、そこにいる人を見ておられたので、
川を使って何かしようとかはされてないです。
人間関係のこじれや迷信から、つまはじきにされた人を見て、これはおかしい、と声を上げられた。本人が自分はダメなんだと思い込んでいる時には、あなたはちゃんと、一人の人間です、神さまは、あなたが生きて幸せになることを願っておられる、と声をかけた。
そういうマトモなことをしてる。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネは読むことは読んでるけど名前しか覚えてない。
時間をかけてあちこち線はひいた。が、あまり意味はわからないか、忘れてしまったままです。
知らないで書いたなぁ。
確か、ヨハネはすきでした。親しみやすい人というか、しばしば絵にもなってたし。
しかし、21世紀の今。ガザ地区をコントロールするのには、ヨルダン川の水を使う。土地を支配するのには水を使う。
なんか、残酷なことをするなぁ、と思った。
で、イエスが弟子を集めるとき、裏から見たとしたら、イエスも旅をしながら、そうしたかったのかな?とちょろっと思った。
イエスさまの行動を書いた福音書は四つあって、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。マルコが一番古い。
ティベリア湖(ガリラヤの海)のほとりで、キリストは語った。マルコ福音書を見ると、マルコさんにとって世界の中心は、ガリラヤの湖のほとりだったのだ、と感じます。彼は湖の傍で育って、魚をとって、イエスさまに出会った。ギリシャ語が下手だとよく言われるけど、キリストの行動、何をしておられるのか、が一番よくわかるのは、マルコさんの文章。
マタイさんは植民都市のどこかで書いていて、先生という立場から、旧約聖書の物語を思い出すようにひっかける感じで書いている。マルコさんの文章と似ているけど、マタイさんの方はちょっと蘊蓄っぽい。旧約聖書の知識がある程度あれば、面白い文章。
ルカさんはパウロさんの旅に同行したギリシア人。外国人にわかるように書いている。ギリシャ神話とかオデュッセイアの話を意識して書いている。で、この言葉はヘブライ語ではこういう意味とか解説入れてるけど、たまに間違いもある(^^;
ヨハネさんは表立って礼拝できなくなった時代の人なので、家族や友人の間で信仰を継承している。内向きの言葉が多い。マルコやマタイの福音書はもうあるので、それだけで読んでたら意味がわからない部分を、参考書みたいな感じで補うためにたぶん書いてる。
ヨハネさんは、自分の文章が千年も残るとは思ってなかったと思う。息子や孫に、わかりやすいように解説残したつもりだったんじゃないかな…。ヨハネの手紙、というのもあって、同じ人か、同じ教会のグループの人が書いた文章だとされています。
生きた人の残した文章。そこに、その人たちがいた。
立法の歴史もざざっとは見ただけだなあ。
プラトンの国家論も、持ってない。
東洋は、東アジアと言いたかった。
今。欲しい本は「13才の地政学」だけど、内容は侮れない。
ヨルダン川をおさえる理由で、あそこいらはいつも太古から、なんかやってる。
水は命の源。
イエス様がうろついた理由は、水だと、僕は思ってます。ヨルダン川の水をイエスはおさえたかった。。
お風呂あがりで、頭が柔らかいけど、やっぱり砂漠地帯では水が一番のポイントなのでは、と思ってます。
聖書には、恐竜の記述がない。30年前、豊中のエホバの人にきいた。
オデコになにか、文字を付けていた、、絵は残ってるのかな?大昔の人は、今と違って衣装が神秘的ですな。
古代のユダヤでは、礼拝は山に登ってするものだったので、山伏の山岳信仰みたいのとかぶる部分はあると思う。この辺りはでも、面白いなぐらいでとどめておいた方が良いかな。
東洋、、、パレスチナの辺りは中東だから東洋だよ。迫害されて逃げた先で広まったから、キリスト教は西洋のものという印象が強いけど。
トーラーは律法のことです。
ユダヤ人にとって、生きてゆくための行動指針、道徳観念、信仰の持ち方などの肝にあたるものです。
詩編だったか箴言だったかに、律法の一番大事な部分の言葉を文字にして額につけよ、というのがあって、
男の子の成人の式だったかな。そのときに頭につける飾りのようなものが、山伏の頭につけるものとそっくりです。中にヘブライ語で書いた小さい巻物が入っているらしい。その辺りから、山伏の起源はユダヤ人にあったんじゃないか、とか、トーラーの巻物から、虎の巻になったんじゃないかと推測を述べている人がいました。
都市国家みたいだった堺はすきやなぁ。
通りはベニスみたいに華やかだったとか。
信長にぶち壊されず、今も残ってる町並みもあるんですよね。
桂離宮は、死ぬまでにいちど入ってみたいけど、ムリやろなぁ。
大芸大の美術の友達が予約して何ヶ月か待って入った。庭がものすごい出来だったそうな。
山伏って今の修験道でしょ。今なら山登ったりしてますな。なんか薬草を吸いながら。
トーラーてなんだ。
でも、聖書が書かれた時点では、東洋のことはなんにも書いてないから、ちょっと淋しい。
いや、ちょっと調べたらこれぐらいはすぐ出てきます(^^;
ネストリウス派は、かなーり初期のころにカトリックから分裂した派で、解釈の違いから異端認定されてしまった派です(^^;
中国の方に向かって、一時はものすごく勢力があったみたいで。
聖徳太子のエピソードは、お母さんが馬小屋の前で産気づいて、ほかのおきさきから「獣のいる場所で産気づくなんて、縁起悪い」とか意地悪言われたのを、お父さんの天皇が、「いや、西の方の偉い人が、馬小屋で生まれたって話があるから、縁起が良いよ」とかばった、という話です。キリスト教の影響。
山伏の姿が、ユダヤ人の服装に似てるとかありますし。律法の書がトーラーから虎の巻になったんじゃないか、とか。そしたら源義経が修行したの、ユダヤ教の教えとかだったのかなあ、とか。
気を付けて見たなら、キリスト教やユダヤの痕跡があちこちにある(^^;
江戸時代のころだと、千利休が聖書を読んでいた話とかもありますね。
彼のいた堺の町は、海外とやりとりをして宣教師もいたので、聖書に全く触れないでいるほうが難しい。利休の言っていること、マタイ福音書とそっくりですし。
茶の湯の席で敵対関係にある者同士も一律に扱い、お茶の回し飲みをするのは、聖書に出てくる最後の晩餐を、お茶と茶菓子で表現したものとも見えます。
彼の弟子のほとんどがキリシタンになっている。師である利休をまねた結果でしょう。
真理とは何か。人は何のために生きているのか。わたしの人生に意味はあるのか。
今も昔も、そういう疑問を持ち、答を知りたいと願い、必死になって祈り求める人がいた。戦がある時代ならなおさらでしょう。そうして、伝えられてきた知恵や知識を次の世代に伝えようと必死になった人もいた。
このともしびを消してはならないと、それだけを願って。
そのすべてが尊い。彼らに敬意を抱きます。
やっぱり、精神史というか詳しいですね。
桂離宮になんで十字の記号が、、、タウトの桂離宮は読んだけど、それは触れてなかった。
タウトはたぶん十字を見たんでしょうが、あえて伏せたのかな、、、
京都の、あのユダヤバリバリの絵のある神輿祭りは友だちと昔に見に行ったことある。
むかーしから、どこまで日本の精神文化にユダヤ人が入ってたのか、とか
なんとも不思議な気持ちになります。
その前の時代の奈良の行列のデザイン、衣装も、
うわー??と思った。
ネストウリウスとかぜんぜん知らないけど、冬の大三角形のベテルギウスは、夜の雲のきれまに昨晩見た。
すごかった。頭の真上になる夜11時だから首が痛かった。
裸眼で見た。シリウスも明るかった、、、
中国の方で広まって、日本に入っていったみたい。江戸時代ぐらいに痕跡が徹底して消されていったので、
普通に日本史見てたらわからないけど。
桂離宮の中に十字架のシンボルがあるのは、一部で知られています。
聖徳太子の生まれた時の逸話が、キリストの誕生の話と合わせた感じなので、ネストリウス派のキリスト教が入っていたと思います。
あと、大工関係で大陸から人が入っていたので、ユダヤ関係の人もいたと思われます。
京都の太秦って、秦の国の影響と、景教の影響であの漢字になってるし。
奈良にもユダヤきてますよね。
新年のお祝いは、たぶんどこのユダヤ人もやっていると思う。基本、家族のお祝いなので。
第七の月が新年。旧約聖書のネヘミヤ記、7章の終りと8章に、民が集まって、とあるのは、新年になったので、集まってきた。
聖書の朗読を聞いてから、家でおいしいものを食べて家族で過ごして、お祝いしてね、みたいなこと言ってます。
月は綺麗に見えているのですが、彗星が見えない(^^;
YouTubeで彗星のニュースを見ています。
彼らはあまりに豊かなコミューンで、救急車や警察まで自治でやってる。
レストランもすんごい。寿司まであるようですね。
まあ天文に関わる行事は変えられませんが。
昨日は十三夜を楽しみましたか?