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ジュンチャン


ジュンチャンと世界を巡る 第76回はアルゼンチン


今回は南米最後の国、アルゼンチンへの旅です。

 アルゼンチンは南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家で、西と南にチリ、北にボリビア、パラグアイ、北東にブラジル、ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面しています。

 ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁し、首都はブエノスアイレスです。

 アルゼンチンは伝統的にいくつかの地理的な区分に分けられていて、北は亜熱帯に属して熱帯雨林が形成され、西はアンデス山脈、東にはパンパ(パンパは国土の約25%を占める。)と呼ばれる大草原が広がり、南緯40度付近に位置するコロラド川以南をパタゴニア地方と呼び、荒涼たる砂漠が広がっているのです。

 歴史ですが、アルゼンチンの最初の住民は、紀元前11000年にアジアからベーリング海峡を渡ってやってきた人々で、彼等はパタゴニアに「手の洞窟」を残しています。

 先インカ時代の15世紀以前からも、山岳地帯には、ケチュア系、アイマラ系の先住民(インディオ)が、ケチュア語でパンパと呼ばれた草原地帯や、同じくケチュア語でチャコと呼ばれた北部のサバンナ地帯にはチャルーア族や、グアラニー族といった狩猟民族や、原始的な農耕を行う部族が居住していました。

 その後スペインの植民地となり、植民地時代はラプラタ副王領とされ、ブエノスアイレスはその副王都市として発展しました。

 1816年に独立を宣言した当初も「ラプラタ諸州連合(ラプラタ連邦)」という国家としてで、1862年に連邦共和制となった時にスペイン語の国号「ラ=プラタ」を嫌い、同じ銀を意味するラテン語のアルヘントゥムに基づき、アルゼンチン(現地の発音ではアルヘンティーナ)に改めました。

 独立後のアルゼンチンは大都市ブエノスアイレスと大農園を基盤とした地方の農村部との対立を内包し国家運営は安定せず、他のラテンアメリカ地域と同じようにカウディーリョと言われる軍事的地域ボス出身者が中央政界でも力を占め、民主主義は根付かずに独裁政治の温床となったのです。

 アルゼンチンは広大な草原パンパでの牧畜業が盛んで、1870年代にフランスで冷凍船が発明され、その後イギリスで実用化され、食肉や穀物、砂糖などの原料をイギリスなどのヨーロッパに輸出することで大いに発展して人口も急増しました。

 アルゼンチンは独立以来、ヨーロッパからの積極的な移民の受け入れを行って、特に19世紀後半は、イタリアからの移民が急増しました。

 アミーティスの「クオーレ」で紹介された「母を訪ねて三千里」は、ジェノバの少年マルコが、イタリアに働きに行った母を探して一人旅する物語で、物語はマルコがジェノバからの船に乗ってアルゼンチンで大変な苦労をしますが、行く先々でイタリア人に助けられてブエノスアイレスから奥地のトゥクマンまで旅していく話です。


 そしてアルゼンチン観光となりますが、今回はアルゼンチン最南端のフエゴ島やその南に位置するナバリーノ島に住んでいたヤマナ族の紹介です。

 およそ10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは急速に地球上に拡散、5万年前にはアジア南部、ヨーロッパ、オーストラリアがその居住範囲となり、大型草食獣を追ってアジア大陸を北上していったグループは、2万年前に最後の氷河期に入ると動物と一緒に移動を開始し、海水面が下って陸続きのベーリング海峡を歩いて渡り、北米大陸に達しました。

 そして、氷河期の後退とともに南下、北米大陸と南米大陸を縦断し、わずか3000年でその南端に達したのです。(今から12千年前の話です。)

 この一番遠くまで旅した人類がヤマナ族の先祖で、探検家「関野吉晴」はこのヤマナ族が到達した人類拡散の旅の最南端であるナバリーノ島からグレートジャーニーの旅を出発したのでした。

 ヤマナ族はフエゴ島やその南に位置するナバリーノ島に住んでいた狩猟採集を生業とする民族で、極寒地での生活なのに普段の彼らはフンドシのような布とアザラシの毛皮だけの裸同然の格好でいました。

 雨が多く風が強いこの地域では、濡れた衣服を身に纏っているよりは裸でいるほうが身体を冷やさずにすむし、裸の方が火にあたった時に身体が早く温まるからです。

 また保温と防水のため、アザラシやペンギンの脂と特殊な染料を全身に塗っていて、ヤマナは雨が降ると毛皮を脱いで裸になり、舟や家の中で常に焚いている火にあたって身体を温めていました。

 男はアザラシ等の狩りに行き、女は海に潜って貝やウニを採集して食料を確保していました。

 ほとんどここに到達した1万年前と同じ生活を19世紀までしていましたが、19世紀以降、ヨーロッパ人達が本格的に入植し始め、彼らの人口は急速に減少し、現在では絶滅(1人か2人生きているという話もある。)してしまいました。

 絶滅の原因は、ヨーロッパから持ち込まれたウィルスによる風邪がヤマナの人々の間で大流行したためで、その頃少しずつ洋服を着る習慣になっていた彼らですが、服を洗濯する習慣がなかったため、ばい菌だらけの服で生活することとなり、次々と病に倒れていったということです。

 最果ての地まで到達した最強の先住民族のヤマナ族でしたが、あまりにあっけなく哀しい最後となってしまったのです。

 

 南米の後はオセアニア(オーストラリア、ニュージーランドなど)、そして人類発祥の地であるアフリカへと、「ジュンチャンと世界を巡る」旅は続きます。

 この旅は、年が明けてから始めることとして、年内は「ジュンチャンと世界を巡る」はしばらく小休止いたします( ^)o(^ )

 引き続きここで遊んでますので、気楽に遊びに来てください!(^^)!

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2024/10/13 07:02
久美子さんへ
スリナム、ガイアナ、ベリーズ、小アンティル諸島の国々と聞くと中学時代を思い出します。
こんな話です。
僕が中学生の時のことですが、地理の時間の初めや終わりに、国の名前を交互に出来るだけ多く言い合う遊びが流行っていて、このゲームに勝つ秘訣を、僕は持っていたのでした。
それはメキシコの南、南米の北の中央アメリカの訳のわからない名の国をしっかり暗記していたことで、相手が暗記している国が無くなると、僕はそれら国々の名を言って、一気に勝負をつけていました。
今でも、この中央アメリカの国々の名は覚えています。
それでは、すーーぅ、言います!(^^)!
「グアテマラ、ニカラグア、ボンジュラス、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ」という国々です。
キット久美子さんも、そんな中学生だったのではと・・・、勝手に想像してみました( ^)o(^ )
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2024/10/13 06:40
ぺるさんへ
今の世界情勢を見るに、どこでもチェ・ゲバラの子孫や末裔たちが
活躍できそうな状態となって、地球人類の生存が心配な時代です。
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2024/10/13 00:48
スリナム、ガイアナはないの? 楽しみにしてたのに。:゚( •᷄ʚ •᷅ )゚:。
中米ではベリーズがなかったし、小アンティル諸島の国々もなかったし˚‧º·(˚ ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )‧º·˚
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2024/10/11 05:42
勉強になりました。
今、チェ・ゲバラの本読んでます。



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