ゴジラの気持ち
- カテゴリ:映画
- 2009/10/28 22:43:35
ゴジラは水爆実験によって住処を破壊された。
だから出てきた。
そういう設定だ。
この映画の主題は、人間の暴挙のようなもの、あやまちのようなもの、それらに対する怒りや抵抗、強い苦悩を描いていると思う。
そこから考えれば、ゴジラは被害者でもあるし、巨大な暴力でもあるし、怒りの象徴でもあるだろう。
映画評論風に書けば、こうなるだろう。
でも、久しぶりに感情移入して観たゴジラは、もう少し違う心象だった。
登場人物たちの立場の違いがはっきり描かれているし、そこから現れる考えの違いや、感情も、しっかり描き分けている。
その中で、
僕は、山根博士に一番感情移入できる。山根博士や、芹沢博士に近い立場に、僕はいると思う。
そして、僕はゴジラに感情移入するのである。
映画の中で、山根博士は生物としてのゴジラについて語り、考えている。
そして、ゴジラ自身、銀座の時計の音に興味を持ち、そして破壊する。電波塔から中継する報道陣の、カメラのフラッシュに反応し、破壊する。
この映画は、生き物としてのゴジラを丁寧に描いている。
そうして見ると、「怪獣が突然現れて、街を破壊する」という根拠のわからない単純な物語ではない。
ゴジラは、罠の送電線にさわるまでは、主に船を攻撃していた。
初めて大戸島に上陸したときは、歩き回っただけで、人への攻撃は無いし、昼に上陸した時も、人間を見て吠えただけで、攻撃しなかった。
それが、海上自衛隊の機雷攻撃を受け、電気の罠にかけられて、ついに、大攻撃を始めるのだ。
ゴジラは、はっきりと、人間を敵だと感じ、怒りを持って攻撃したのだ。
ただなんとなく怖い怪獣なのではなく、意思を持った生き物としてゴジラを描いているからこそ、人間の愚かさへの痛烈な批判として、映画が生きてくるのだ。
動物の行動学などは、学会が作られたのが1982年という歴史の浅い学問だし、戦後間もなくにどの程度ゴジラの心理を考えて脚本を書いたものかはわからないが、僕には、ゴジラに感情移入するだけの内容があった。
ハリウッドの同時代のサスペンス映画などが描く生物は、心が無くて、暴力だけの存在だ。
凶暴であることが、恐怖につながっているのだろう。
しかし、日本人は、心が在るから怖いと感じる文化のようだ。
江戸時代にも、さかのぼって、平安にも、妖怪の絵が在る。
それが日本の文化。
日本人にとっては、ゴジラに心が在るのは当然のことだ。
僕は、ゴジラに感情移入する。
キングコングって人情話だもんなぁ。
ジュラシックパークを見た時に、スピルバーグどうしちゃったの!?と思った口です。