Nicotto Town



10/6 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/10/06
キラキラ
集めた場所 個数
神社広場 3
ペット海浜公園 4

4択  「入学式


キラキラ  「神社広場」右の川面

     「ペット海浜公園」ニコペット紹介所

4択  お花見以外で春のイベントといえば? → 入学式



ぴっかぴかの!いっちねんっせいいーー!!

小学校に入学する時はどきどきしたもんだ。
幼稚園と違って「勉強しにいく」という意識があったからだが、なんか少し大人になった気分・・・・・大人のわけないじゃん!!!
めっちゃガキンチョだよ!!
まぁ、それでピカピカのランドセルにノート入れてみたり、筆箱いれてみたりでわくわくしたものであった。

ランドセルの語源はオランダ語呼称「ransel(オランダ語版)」(「ランセル」または「ラヌセル」)がなまって「ランドセル」になったとされているらしい。
このランセルは将校の携行物を収納するための装備品(背嚢)としてオランダから持たされたものであった。

いつもたらされたのかはわからないが、幕末の軍隊の教練書である『歩操新式』1864年版にも「粮嚢」の文字に「ラントセル」のふりがながついているらしい。

明治時代に本格的な洋式軍隊として服装や装備品を整えた帝国陸軍においても、歩兵など徒歩本分者たる尉官や准士官、見習士官、および下士官以下用として革製の背嚢が採用されている。

ではそれを子どもの通学用にいつ使い出したのか?
官立の模範小学校として開校した学習院初等科が起源とされているそうだ。
創立間もない1885年(明治18年)、学習院は「教育の場での平等」との理念から馬車・人力車による登校を禁止、学用品は召使いではなく生徒自身が持ち登校すると定めたことから、通学鞄としてランセルが導入されたそうだ。

そう。
当時はまだ貴族がいたし、貴族には召使や、住み込みの御学友がいた。
うちの母方じーちゃんだ。
小学校に上る前に、福島の実家を離れ東京の貴族のおぼっちゃんの住み込み御学友となり、一緒に学び、一緒に習い事をし、一緒に食事をとっていたが、それでも「坊っちゃんの為の」召使であることも事実なのでぼっちゃんの荷物はじーちゃんが持っていったのだった。

人力車や馬車に乗っていっていたかは知らないが、当時のお金持ちとただの一般人との間はかなり大きな差があったのだろう。

1887年(明治20年)、当時皇太子であった嘉仁親王(後の大正天皇)の学習院初等科入学に際して、伊藤博文が祝い品として帝国陸軍の将校背嚢に倣った鞄を帝室に献上、これに近い形状が現代のランドセルの基礎とされる。

ランドセルは100以上のパーツから大部分は手作業で作り上げられる。
当然高い!!!!
1970年には6000円で売られていたらしいのだが、2024年4月入学のランドセル平均は5万9138円だそうだ。
たっっかあああぁああ!!
昔、松下電器産業は社員の子どもが小学1年生になる時にランドセルを贈っていた。
パナソニックはどうしているのかわからないが、今は様々な色や機能、素材をもつランドセルがあるから子どもとお母さんは自分で選びたいのではないだろうか?

全然知らなかったが、大手私鉄系の百貨店では各社のフラッグシップ車両をモチーフとしたランドセルが販売されているらしい。
鉄ちゃん垂涎!?
推しのアニメやアイドルのものは流石に6年使うから難しいものなぁ。
というか、車両でも「フラッグシップ」っていうのか。初めてしった!

フラッグシップはフラッグ(旗)の船(軍艦)で「旗艦」。
艦隊の司令官が乗って指揮をとる軍艦だ。
マストに司令官の階級に応じた旗を掲げる。
そこから転じて「自社製品の中で一番のもの」という意味でも使われるらしい。

色々勉強できるなーーー!!
ぴかぴかの一年生でなくても、勉強は一生続くのだな!





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.