Nicotto Town


モリバランノスケ


ポトマックの小蝶

今、小蝶とクワオは、大河を望む桜木の上だ。抜けるような澄み切った青空の元、大西洋に流れ出る河口近く、ゆったりと流れる川の水量は多い。ここは、アメリカの首都、ワシントンD.C.を流れる、ポトマック川の、河畔である。

約1時間前、銀河Expressで、日本の会津若松から着いたばかりだ。駅長は、会津の枯木桜と長年の親交がある、ポトマック桜子である。(海外に出かけて、見聞を広め深めるのは、良いことだ。お蝶もそうだった)との、枯木桜のAdviceを受けた。小蝶も、その意見に同調した。夏の終わりの、Vacanceの意味合いもある。

駅長のポトマック桜子が、語り掛けてきた。

桜 (よくいらっしゃいました。会津若松の駅長
  枯木桜さんから、あなた達をよろしくと、
  メッセージを預かっていますヨ)
蝶 (お世話になります。私は、アサギマダラの
  小蝶と申します)
ク (私は、オオクワガタのクワオと申します。
  小蝶さんのボディーガードをしてます)
桜 (マァ、ボディーガードなんて物々しい!)
ク (最初はそうでしたが、今は、小蝶さんの
  生き方に共鳴する弟子、いや、仲間かな)

小蝶が、ポトマック桜子に、(枯木桜さんとは、どの様なご関係なんですか?)と、問い掛ける。

その問い掛けに、ポトマック桜子は、次の様に話し始めた。

⊕この地球上には、世界桜会議と言う、集まりが在ります。会長が会津の枯木桜さん、副会長が私です。会員には、日本の各地、桜の名所の桜達が。又、世界の各地、北京、ソウル、ピョンヤン、バンコク、デリー、カブ--ル、ベルリン
、パリ、キエフ、モスクワ、等などの桜木達。
五年に一度、世界平和について話し合います⊕

そして、(少し、自己紹介しようかな!)と前置きして、話を続けた。

⊕ここポトマック河畔の桜達は、1910年(明治43年)に、日米友好の証として、足立区荒川堤の桜が、時の東京市長尾崎行雄から贈られました。でも、病害虫の為に枯れてしまったの。二年後の1912年に、兵庫県のヤマザクラを台木に、荒川堤の桜を添え木して、再度贈られました。私は、その時の仲間の、一員なんです⊕

興味深げに、じっとして聴いていた小蝶が、遠慮がちに、(米国からは、何か返礼品が贈られたのですか?)、と質問する。

それに対し、ポトマック桜子は、昔を懐かしむように言葉を返した。

⊕アメリカハナミズキが贈られました。彼らは
、日比谷公園と、神代植物公園で健やかに生きております。又、桜木たちも、里帰りを果たして、荒川の堤に、息づいています。太平洋戦争と言う悲劇を超えた、平和の象徴なんです⊕

ポトマック桜子は、ここ迄話すと、二人に、
(Breakfastは、まだでしょう?。ポトマック河畔には、素敵なCsfeが在ります。是非そこで!)と
、勧めてきた。そして、自ら葉を掴み、ピーと鳴らした。現れたオニヤンマのヤマオに、(二人をご案内して!)と、指示する。小蝶とクワオは、先導されて、桜の生茂る河畔を歩み出す。

ヤマオが、(オープンCafeと店内、どちらが良いですか?)と、聴いてくる。小蝶は、まだ残暑が厳しいので、(店内が良いです)と、返答した。

Doorを開け、店の中に入る。程よい音量のBGM
が、流れている。さすがジャズの本場である。思わず、肩足を動かしたくなる軽快なリズム。
三人は、カウンターに腰掛ける。Madameが、
(いらっしゃいませ)と、笑顔で迎い入れた。

常連客であるヤマオが、ポトマック桜子に言われて、案内した旨を説明。Madamは、小蝶に、(何処からいらしたの?)と尋ねる。小蝶の(日本の会津若松から来ました)との返事に、内心、この子はひょっとしたら、お蝶の子供では、と。

小 (私は、アサギマダラの小蝶と申します。
  旅をするのが、宿命であり仕事です)
ク (私は、オオクワガタのクワオと申します。
  小蝶さんの、ボディーガードをしてます)

Madamは、二人の自己紹介を聴くやいなや、
確信したと言うように呟いている。そして、(貴女は、お蝶の子供ですね!。間違いありませ
ん。そうですよね!)と、言葉を投げ掛けた。
小蝶は、(母をご存知ですか?)と、言葉を返す。

今、小蝶は、ワシントンD.Cの高級住宅街に在るMadamの自宅にいる。そう言う事なら、積もる話もあるので、と、招かれたのである。Cafeは
、STAFFに任せ、ChryslerのJeepで、ポトマック川と流れ込む大西洋が一望できる、邸宅へと。

ご主人は、アメリカ政府関連の仕事に従事している。Madamには、子供が三人いる。たまたま今日は、学校が休みで、家にいた。長男は高校2年、次男は中学3年、三男は小学5年である。皆
、日本のアニメに、興味津々の様子である。

母親から、小蝶が日本からやって来た、と、聞かされて、彼女に矢継早に質問を投げかけた。

どうやら、宮崎駿監督の作品が好きらしい。中でも、最新作である、[The Boy and the Heron]に話題が集中。しかし、小蝶には、分からない。

その時、話を聞いていたMadamが、話に割って入る。小蝶に、それは英題で、日本名は、[君たちはどう生きるか]ですよ、と教えてくれる。こちらでは、[少年とサギ]という名前に成りましたが、若者達にも受け入れられ人気があります。

それからは、子供たちと小蝶の間で、クワオ、ヤマオも加わって、アニメ談義が白熱した。 

暫くすると、小蝶は、Madamに真剣な表情で話し始める。

小 (母のお蝶は、こちらにお邪魔していた時、
  どの様な感じだったのでしょうか?)

Madamは、(そうですね)と前置きして、暫し考えていた。そして、次の様に、話し始めた。

⊕丁度、彼女が訪ねてきたのは、桜の咲く季節でした。本当に、楽しそうに、ポトマック河畔の桜並木を飛び回っていたわ。

その中でも、薄紅色の花弁達とは、自分と同系色という事もあったのでしょう。特に親しく、話をしていた様でした。彼等からは、アメリカと日本の、平和の架け橋となった、逸話を聴いて、その事にとても感銘を受けた様でした。

ポトマック桜子さんから、聴いたと思うけれども、荒川堤の桜は、1910年.1912年と、2度にわたってこちらに贈られてきました。江戸時代から、庶民に愛でられて来た、日本の宝、魂とも言える桜達です。正に、友好の証ですよね!。

しかし、先の大戦、太平洋戦争で、その終結にトドメを刺す様な、下町を焼き尽くした東京大空襲。その為、荒川堤の桜たちは、全滅したのです。彼等の下に、身を寄せる逃げ纏う人々。守りきれなかった。無念だったでしょう。

平和の架け橋は、終わりでは無かった。

戦後、2度にわたって、ポトマック河畔から里帰りが実現。1952年に55本、1981年に3000本⊕

小蝶は、話を聞き漏らさない様に、一心である。

アニメの少年は、戦時下を逃げ惑い、不思議な鳥、青サギに導かれて、生と死の境にある異界に導かれて行った。小蝶は考えている。自分が、この旅を通じて、探しているのも、この異界(存在)なのかも知れない、と·。

[貴女はどう生きるの?]、母の声が聞こえた。




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