ゲシュ崩ログ 482 子供は育てたかった
- カテゴリ:日記
- 2024/09/07 15:32:44
小さい頃、自分が出産すると思ってなかった。いつか出産せずに、誰かが育てられなった孤児を引き取って育てたいな~と思ってた。というのは、まぁ、若い時の自分は、自分みたいな女に魅力を感じて結婚したいと思う人なんて、一人もいないだろ(笑)って思ってたから。ぜったいに結婚とか夢のまた夢だろう、と思ってた。世の中、めっちゃ美人な人が独身で~とかざらにあるし、そんなん絶対私なんか無理だろ。と思ってた。だから必死に資格とかとって、私にゃ仕事しかないんだ~とか、ブスを究めていた。
でもなんだか、そんな私でも、そうこうしてたら結局結婚二回もしてるから、こんな女でもできるんだな…という実感を私いは持ってます。まぁ、生きてみてわかったけど、子供の頃はわからなかったけど、結婚しているほうが、キャリアウーマンよりも簡単で、結婚しないほうが実は凄い人なんだ、という気がします。どうでしょう。結局、高望みさえしなければ結婚はだれでもできるんじゃないか?という感じがしてます。誰でもできるけど、キャリアウーマンは能力がある人しかできないような。そんな気がします。どうなんでしょう。よくわからないけど。だから、大人になった今となっては、私の気持ちは、先の事はわからなかったな~という事でした。
まだ結婚する前、子供の頃、将来は絶対結婚とか無理、運命の人とかいたら私から逃げる絶対と思っていた。まぁ、けっこうその予想は当たってるといえば当たってるんだけど(笑)不思議と結婚はできてしまうもんでした。それで子供がいるから育てているけど、こんな事はまったくの想定外だった。いつか、自分の子供じゃない子供を引き取るっていう事が、どっちかといえば私の未来予想図だった。そんな将来になるだろう、と本気で思ってた。むしろ、自分の遺伝子って、繁栄させていいものか?って思ってた。他人の子供育てたかった。
半分は夫の遺伝子
でも子供は産んでしまった。思うんだけど、半分は夫の遺伝子というのが、子供の素晴らしい可能性です。半分は私かもしれないが、半分は夫なのであり、そこがなんとも無限大な可能性で、とっても子供が愛しい部分であります。夫に似てる~と思う時、とっても子供がたまらなくカワイイです。私みたいな負け組は、当然のように学歴コンプレックスなもので、子供は大卒の夫に似て、きっと将来はそこそこ頭よくなるのかなと思う時、なんだかとってもかわいいな~と思います。そういう時は、自分の子供でもまぁ、いっか~という気分です。でも何だか、時々ふっと、全然知らない他人の子供を育てることのほうが、私にはあってるんじゃないかなという気分がする時もあります。今でも、時々孤児を引き取るってどうやったらできるんだろうか…とか調べようとかしてる時がある。できるんじゃないか…?とか思ったり。でも孤児を引き取るって、きちんと職業とか年収とかが無いとダメで、自分で自分の子供を育てるより、孤児をひきとる事のほうが、ハードルが高く、誰でもできる事ではありません。そう考えると、自分で産む人よりも、他人が生んだ子を育ててる、っていう人のほうが、総合的な人間として、レベルが高いという事になるんでは?と、産みっぱなしの親代表な私としては、そう考えています。孤児を引き取るという事は、人間ができる最も素晴らしい事の一つであり、そうしている人は、間違いなく優秀な人間なんだと思う。そんな優秀な養い手に育てられたという人たちが、私はとても羨ましい。
こんな私みたいなのが、「ひきとりたい~そだてたい~」とか言っても育てられないのと一緒で、引き取られて育てられている人のほうが、凄いと思います。もしかしたら、変な肉親からの虐待とか、そういうどうしようもなく救いようの無い取返しのつかない事態も、孤児のほうが無いんじゃ?とか思いますけど。どうなんでしょう。
孤児だったやす子
芸人のやす子さんという人が、昔孤児院にいたという伝説を耳にして、孤児院にいた人って、肩身狭く生きてるのかと思いきや、あんなに大出世し、かわいくて、大人気で、全然孤児でも人として立派に育っているという事を証明している第一人者をやっていて、そういう理由もあって、なんだか本当にやす子さんの活躍というのは、私にとってとても好ましいものであります。というか、もしかしたらそういう人のほうが、「親ガチャ外れて可哀そう。絶対応援するからね負けるな!」と不遇をばねに、うなぎのぼりで出世できる要素があるような。そんな風に私には思えてなりません。もちろんそれは、私みたいな専業主婦の理想論で、社会はそんなに甘くないかもしれません。そんな甘くない世の中だからこそ、やす子さんが活躍すればするほど、「ああ!頑張っている!やっぱり孤児でも孤児院にいたとしても、子供時代がどうであれ、人気でたり稼げたり、やればできる人はいる!」というような、希望の星、まさに輝かしい希望の星として素敵な存在として、応援したくなるような気がします。もしこれで、やす子さんがいつか、悪どいスキャンダルが発覚した日には、「ああ、やっぱり家庭環境が悪い人は…」ってなっちゃって本当に絶望しかなくなるので、やす子さんには絶対に間違った道にはすすんで欲しくないな~~と、どちらかといえば優秀な遺伝子ではない家系のタイプの私は、やす子さんを低レベルな場所から見上げて拝んでいるのだった。頑張って…負けないで…絶対変な人にならないで…と、一体私は、なんでこんなにも必死に応援しなければいけない気分になっているのか。まあ、理由は別に、まったくわからないってわけじゃなく、確固とした理由が存在するからなんだけど。