海
- カテゴリ:日記
- 2024/08/02 18:44:54
昨日の休み、海に行った。
といっても、泳いだわけじゃない。
知り合いに本を渡すことになり、待ち合わせが海のそばの駅だったのだ。
本を渡すついでにランチくらいしようかということになって、海岸の見えるレストランに入った。
彼女は未亡人で、数か月前に旦那さんをみとったばかりで、そのレストランも旦那さんと来ていたのだそうだ。
彼の話を聞いたり、本の話をしたりした。
レストランは若い子ばかりが働いていた。
大学生のバイトだろうか。
ランチの時間のちょっと前から入ったから、回転をよくしたかったのだろう。
空いた皿を即座に下げられてしまい、だけどほかの店に行くのは面倒で、ポテトフライとビールで粘ってしまった。
すぐそばまで来たのだからと、海岸に向かう。
海の家がたくさん建っているのに、中はガラガラ。
平日とはいえ、夏休みなのに。
暑すぎるのかな。
今年の暑さは異常だ。
靴と靴下を脱いで、足先を海に浸す。
足先だけのつもりだったのに、珍しく履いたスカートまでがっつり濡れた。
急に大きな波がザバーンと来て、もう少しで帰れなくなるかと思った。
近くにいた高校生らしき集団も、慌てて荷物を高い場所に移していた。
旦那さんは、休日によくサーフィンをしていたのだそうだ。
「こんな汚い海で、大丈夫なの?」とよく聞いたものだと、笑っていた彼女。
彼女は洗礼を受けて、聖書の勉強をしたいというので、父の本を運んだのだ。
父は熱心なキリスト教信者だったが、認知症が進んでほとんど活字が読めない。
ほかの本はかなり処分したけれど、キリスト教の本だけは捨てることができず、だけど古本屋に渡すこともできずに残っていた。
洗礼は、この海でしたのだそうだ。
本はまだあるので、秋にもう一度彼女に会える。
コメント、ありがとうございます^^
父は結構敬虔なクリスチャンで、もうずっと前から死んだら教会で式を挙げて、教会の合同墓に入ると決めているほどです。
私は一生洗礼を受けずに終わりそうですが、昔チベットやインドで「神様がいるってこういうことなのか」と強く思ったことがあるので、自分と異なる考えの方も、敬して遠ざくことにしています。
江戸時代だけでなく、第二次世界大戦のときも、キリスト教の牧師や熱心な信者がたくさん投獄されています。
父が若いころお世話になっていた牧師さんも、長いこと投獄されていたそうです。
今だって、例えばチベット人が中国にひどい宗教弾圧を受けていることは有名ですよね。
日本では信仰を持っているというと変わり者や変人扱いをされることも結構ありますし、よく駅前で宗教勧誘をしている、聖書を使った終末論の宗教と同一視されることもあるので(別物です)、よほどのことがない限り言わない方もいらっしゃいます。
お父様は敬虔なクリスチャンでいらしゃるのですね。
私の身の回りで、キリスト教へのご縁(?)と言うと、父が敬愛していた会社の上司の方がやはりクリスチャンでいらした事、そして、かなり薄っぺらいですが(笑)、私がかつて曾野 綾子さんの「時の止まった赤ん坊」という本を読んだことがある、くらいでしょうか。
私は日本人なので、というよりは、均してしまえば、ヌルい・まぁ恵まれた方に属する(と思われる)人生を送れてきたので、浅薄すぎる知識と考察でアレですが、キリスト教・イスラム教等の「砂漠で生まれた」一神教そしてその「神」を、不遜極まりますが私必要とし無かったのだと思います。
お父様は、あるいは必要とされたのかも、と拝察致します。
前述の父の元上司の方は、父ら部下には「結婚の時、相手(奥様)がクリスチャンだったので、私もキリスト教に・・・。」と言っていらしたのですが、お亡くなりになった後、奥様から「まぁ、逆ですよ、私が改宗させて頂いたんです。」とおっしゃったそうで、父やその方にお世話になった父の同僚の方達はビックリしたそうです。
奥様のユーモア(?)とも取れそうですが、その方が職場の近くの教会の一番の支援者でいらしたとその教会の司祭から伺ったとの事で、その線はなさそうだと、父は申しておりました。
「まんま墓場まで秘密を持っていかれた。」と父は嬉しそうに話していました、そして「その方は長崎県の五島列島の出身でいらして、戦時中、満蒙開拓団として大陸に渡られ敗戦と共に引き上げてこられたそうだが、奥様によると、故郷の地を踏むことは一度としてなかったそうだ、とも。
父と意見(推測)の一致したところは、「あの人(その方)は、隠れキリシタンの末裔でいらしたのかも。」でした。
さて、先場所の大相撲の中継を見ていたら、「湘南乃海」という力士さんが土俵に上がっていました。
「乃」だけで、いらっしゃるかもというハッタリをお書きしましたが、実在されたのですね、グリコさんはご存じだったのですね^^。