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平安時代日記 その5 平安時代最強の怨霊登場


 学問の神、菅原道真は同時に、平安時代最強の怨霊である。
 そして、陰陽師の最強のライバルでもある。

音出ます 。クリック↓
http://youtu.be/jD4gCH9Azms
画像を小さくして読んでください。(音を聞きながらだと倍楽しめます!!)

 菅原道真の履歴書は今風に直せば、こんな感じである。

 菅原家は学者の家柄の名門。
 道真は26歳で東大大学院を修了、博士号を取得。33歳で東大教授。(当事は文章博士というのだ。)
専門は中国文学および歴史学。漢学の素養で固められた本物の学者さんです。


 42歳で香川県知事に転出。47歳で内閣官房長官に任じられる。50歳の時遣唐大使に任命されるが、遣唐使の中止を建議し、採用される。

 以後昇進を重ね、53歳で権大納言となり、政界のナンバー2を占める。[

 55歳で右大臣となるが、2年後大宰権帥に左遷され、帰京することなく903年59歳で病死。

 道真の没後、皇太子の急逝・宮中への落雷・天候不順、疫病の流行などが続いた。

この平安前期の頃の人々にとって、最も怖いのは怨霊化した人間のたたりであり、ただの病気や事故やあらゆる災いも、怨霊の仕業と考えた。こうして、道真は平安時代最強の怨霊となった。
 
 

 彼の死後、神社を建てたり、最高の位を贈って、国を上げて、彼の霊を鎮魂する。北野天満宮や、大宰府天満宮はそういうとこですよ。 

 ところで、平安時代は藤原氏の時代とも言えるのは、誰でも知っていること。藤原氏は天皇の外戚という地位を利用し、摂関政治を進めて来た。この藤原氏を脅かしたライバル、天皇の外戚のチャンスのあったものが菅原氏(道真のみ)と源氏(幾人かいる。)である。
 藤原氏は、ライバルを蹴落として、藤原を守っていった。その過程で、怨霊と化したかってのライバル達を鎮魂することを真剣に考えた。

 
 
さて、ここからが問題だ。

 
第5問
 もし、あなたが人に怨みをかったら、それを逃れるためにどんなこ とをしますか。書き込みお願いします。

 回答例    藤原氏のように神社を立てる。




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