Nicotto Town



7/10 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/07/10
キラキラ
集めた場所 個数
展望広場 4
ヒツジ学園 10

4択  「家


キラキラ  「展望広場」すすきの中

     「ヒツジ学園」手前の道 左端 

4択  今欲しいものは? → 家



この前、七夕だった。
奈良は晴れていたが、他の地域はどうだったのだろう?
この時期まだ梅雨で雨が多いのに、しとしと雨が少ない気がする。
梅雨だから、雨天は中止になる自宅の塗り替えは、中止になる日もなく終わったのだった。
お休みの日(土日)に雨が降ったが、作業日に降ることはなく、さくさくと進んだよ。
それから考えたら今年の梅雨はあまり降っていない?
米どころが大丈夫だったらいいのだが・・・

七夕の「牽牛と織姫」の話の初出は漢(前漢 紀元前206~8年、後漢25~220年)の時代の『文選』編纂された「古詩十九首」らしい。
晋(265~420年)の時代に記述されたと言われる『西京雑記』には、前漢(前漢 紀元前206~8年)の采女が七月七日に七針に糸を通すという乞巧奠(きこうでん)の風習が記されているが織姫についての記述ではないらしい。
南北朝時代(439~589年)の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれていて、『文選』の時には書かれていなかった7月7日との関連がわかるらしい。

もしかしてまったく関係なかった2つの話が合体した??

愚弟によると、元々日本では1月1日、2月2日、3月3日、4月4日、5月5日、6月6日、7月7日、8月8日、9月9日、10月10日、11月11日、12月12日を祀る風習があったらしい。
節日(せちにち)といい節目になる日で、なんか色々してたらしい。
大きいのが奇数にあたる1月3月~11月の日で宮中では色々な儀式が行われていた。
それが五節となる。

しかし奈良時代の仏教伝来で仏教に帰依する皇家の人が増え(神社TOPなのにな!!古来の神の末裔のなのに!)仏教由来の祭りや大陸由来の祀りが増えていく。
7月7日も奈良時代にはすでに七夕が伝来していて、雑令(ぞうりょう)によって節日に定められ相撲御覧、七夕の詩賦(しふ)、乞巧奠が行われていたと記述してあるそうだ。

乞巧奠は「宮中では、清涼殿の東の庭に敷いたむしろの上に机を4脚並べて果物などを供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺して、五色の糸をより合わせたもので針のあなを貫いた」ような祀りをしていたらしい。
まだここまでは「詩歌・裁縫・染織の上達を願う」という祈りであったらしい。
『平家物語』によれば、貴族の邸では願い事をカジの葉に書いて祀っていたそうだ。
しかしそれを竹にくくりつけたりはしていなかった。

短冊を竹にくくりつける風習は江戸時代に始まったもので、当然ながら世界にはみられず、大陸の風習とも離れたものになる。
しかし書く願い事は乞巧奠にちなんで「芸事」に限られていたそうだ。
大陸では竹に糸をくくりつけて「裁縫の上達を願う」風習はあったらしいので、日本は竹+願い事になったのか?

ふと思ったが牽牛にちなんだ願い事はしなかったのか?
織姫の機織りばっかだよ!
牛がすくすく育ちますように、とか祈らなかったのか?なんで?
美女と名高い織姫の方に皆の意識が持っていかれた?
それでも「美人になりますように」という祈りはないわけで・・・「努力すればなんとかなる」ものの上達を願う現実的なものであった。

現在のように「将来なりたいもの」や「世界平和」を願う日ではなかったのだった!!
まぁ江戸時代から長くたつから祭りも変化するな!
それでも七夕の祭りをアメリカに教えてあげたら短冊の願い事が「Money」で埋め尽くされるよりはマシか・・・・

アバター
2024/07/10 22:36
>もふもふさん
短冊ってそういうことか!!
なんで短冊??って調べていたんだけどはっきりした理由がみつからなくて「???」ってなってた!
もやもやがすっきり!
ありがとーーーーーー
アバター
2024/07/10 08:16
NHKの「チコちゃんに叱られる」でそれやっててた。
もともと女性たちが裁縫の上達を願う行事だったけど、当時の宮廷の男性たちが必要な芸事(和歌、漢詩など)の上達を願う要素が付け加わったって。
その当時歌を詠むときに書く材料が短冊だったから、願い事を短冊に書くようになったんだとか。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.