Nicotto Town



7/9 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/07/09
キラキラ
集めた場所 個数
自然広場 3
神社広場 4

4択  「横浜


キラキラ  「自然広場」旧 ホームセンター

     「神社広場」本殿 

4択  神奈川で好きな場所は? → 横浜



港の近くって異国情緒満載だったりするが、それは船でしか他国民が海外に行けなかった時代が長かったからだ。

飛行機が軍や国の運営ではなく商用で使われだしたのは1926年のアメリカ。
まだ100年経っていない。

一応それまで国が運営する貨物を運ぶ航空機があったのだが、軍務から退いたパイロットが、プロペラ式の軍用機で運ぶものだった。
英国・フランスの航空機はの機体は木製骨組みに布を貼ったもの。
ドイツやオランダの機体は片持翼による単葉機(主翼が一枚の)。
それでも世界で飛行機を作れるのは珍しく世界中に輸出された。

商用航空を促進するため、商務省内の航空課に就任した局長は「地方空港がないコミュニティにはエアメールが届かないぞ!」や「商用航空はヒーロー崇拝に触発され、ヒーローの上に築かれた最初の産業である」などと・・よくわからない事を色々な新聞に寄稿していた。
さすがアメリカ!
「これで貴方もヒーローだ!」
で動く国民!!
まぁ色々疲れてしまってヒーロー願望も少し減っているらしいが・・・。

旅客機は1920年代からあったのだが当時の乗客は戦後処理(第1次世界大戦)を迅速に進めるための政治家、外交官、その他緊急目的でやむを得ず飛行機に命を預けることになった民間人、そして自らの命を賭けた冒険に大金を払う金持ちぐらい。
そう・・・・室内のんびり旅ではないので、乗客だってパイロットと同じように安全ヘルメットと風防眼鏡着用!
だって乗客むき出しだし!!

優雅な空の旅で国境を越えたい人は「飛行船」を利用していた。
ヒンデンブルグ号の全焼で危険なイメージのある飛行船だが、1909年から軍用・商用として欧州とアメリカでは使われていた。
1937年欧州→アメリカのヒンデンブルグ号爆発炎上により、当時爆発原因が不明で、飛行船に使用していた水素のせいだ!と噂が流布され飛行船が終わるようになってしまった。

それでも当時は飛行機よりも飛行船の方が安全であったのだ。
それにしても、飛行船も飛行機もものすっごおおおおおおく運賃は高かった!!!
一般人にはまーーーったく無関係な乗り物で、やはり海を超えるには船が主力だ。
運べる人数も段違いだ。

ヒンデンブルグ号が運んだのは乗員・乗客合わせて97名(うち35名死亡)。
1912年に沈んだタイタニックが乗せていたのは1513名(~1607名)で生還者は710名。
うん・・・・人数ダンチ!

港は昔は乗客が出港待ちのために泊まるホテルや食事処が多かっただろう。
海外に労働環境を求めて移動する人達はそんな豪華な食事なんてできなかったろうから、「出身国の人がやっている安い店」が必要になってくるだろうし、それが美味しければ日本人はいく。

そして港が飛行機の発達により旅行客がいなくなっても異国の食事処はそのまま残り続けた。
多くの国は異国の食堂にあまりいかないらしいが(特に昔は)、ここは日本!!!
横浜には美味しい異国の食堂がいっぱいーーーー!!
そういえば関西でいえば神戸も異人館(洋風)や中華街と、海外文化の食堂がいっぱいあるな。
神戸はパンもお菓子も西洋ものが有名だし!
そういうのは港が唯一の海外への出入り口だった名残なのだなー。

海のない奈良にそういったものがないのも納得であった!!!

アバター
2024/07/09 11:47
こんにちわ♪本日巡回訪問です。水やり+STPお届けです。今週もよろしくお願いします。今日も暑いですね〜
アバター
2024/07/09 08:20
同じくないよ。




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