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かきくけこのブログ。


名古屋市科学館が面白い理由②

名古屋市科学館ってずっと同じ展示しているかと思ってたら、ちょっと変化しているものもあった。そういう風に少しづつ変化させながら、特別展示も変えながら科学への興味を引き出すような展示がしてあるんですね。凄いですね。


白は色の中で一番カラフル。

 白が一番カラフル…。と、自分で言っていて、「頭大丈夫か」と言われても仕方なさすぎる発言をしていると自覚している。
 科学館はノーベル賞の展示を、地下でしている。ここが最高に面白い。興味深い。ノーベル賞のことについて学べるなんてのも面白い。展示も面白い。ゲームもある。面白い。実験に参加できる。面白い。今回参加したのは、光、色の実験だった。

光の三原色
 光の三原色には赤緑青があるらしい。この光の三色が面白い。単色だと発色しているのに、色を全色三つ重ねると、光は真っ白の無色透明になるという。これこそ光だというんですよね。面白いですよね。無色透明の光こそ、最も色めいているのだ、カラフルなのだ。という点が。最高に面白いですね。虹は白に含まれているものだったんだなぁ~と感じました。白い光が全色を網羅しているのかというか。自分のカラーを持つとか言うけど、無色透明が一番色を包有しているという事かと、今まで、自分に似合うカラー白って言われて恥ずかしかったんですけど、白似合うって言われてもこれからは少し自信をもっていいのかなとか思いました。無色透明っていい色じゃないか!最高にカラフルで虹も含んでるなんて!と思いました。でもやっぱりさすがに自分は白!って言えないなぁ。事務職でもないし。白っていうか、無職透明っていう感じなのが私ですけどね。笑えない。

 虹がどうやってできるのか、科学館でもちょこちょこ展示されている。虹というのも不思議がいっぱいある現象ですよね。人間の不思議がいっぱいある。それが科学館。科学館にはそういう記述はないけど補足→虹は昼に大体見えるけれども、夜にもかかるそうで。月が明るい満月前後に見えるそうで。いやぁ月にも虹ってかかるんだな~と大発見ですね。光の中に虹が含まれているという点では、虹はほとんど光と同質なものなのかもしれません。満月のように夜に強く発光する場所があれば、そこには必然的に虹が出るのかもしれません。暗闇の中で行動する動物の世界とは全然違う世界にあるのが虹なのかもしれません。そして光というのは大昔では太陽光しかなかったけれど、現代では人工的に作り出した電力で作り出されていたりもする。つまり人口的な光の下か、月の下で、夜の虹はかかるという事なんだなと思いました。いやだからなんなのよ、って言われそうな今日の日記ですけども、なんだかこう、少し整理したくなったんですよね。科学館に行って。
 野生児の私は昼にかかる空の虹になじみがあるんですけども、現代の明るい夜にかかる虹は、もしかしたら昼間の虹よりも人や場所によっては昼の虹より頻繁に目撃されているものなのかもしれない。人工的な光でも虹が見えるならば、ほぼこの世界のどこにも虹は存在できているといえるから。光がそうであるように。虹と光は切っても切れないものなんだなと思いました。

海中で虹は見えない
 海の中では、虹は見えないそうで。そうなんだなぁと勉強になりました。浅せでは屈折した光が虹に見えるっぽいんですけども。虹って本当になんだか。知れば知るほど。

虹のでる角度
 虹は太陽から42度の角度であらわれるそうで。太陽の反対側に。面白すぎる。ほとんど光なのに、光の正反対に位置するなんて。しかもはすに構えているなんて。光であるのに光に足りない。光が、常に一緒に進むべきだった光が離れ離れになってしまって、ともにいられなくなって、虹になってしまうという事が。なんだか切ない。虹とは、さみしい色、なんだなと思えてきた。虹って。

虹をつくる水滴
 虹が光ではなく、虹になる原因としては、水滴があるそうで。光だったはずが、水滴によって分散されて虹になっちゃうんだと。水は光と光を離れ離れにする天才である。そして各々の個性を露出せざるを得なくなった光が、虹なのだなぁとしみじみ虹の出自にうなずいたりした。殆ど光というものと同質なのに、虹はあんなに美しくて綺麗で人をほれぼれさせる虹さんに、なんだか不思議を感じてしまう。

虹とニュートリノ
 虹はほぼ、光だから最初は無色透明。水による分散というものがなければ、ニュートリノのようにいるのかいないのか目視できない存在。だけど虹はひとたびそこに水で分散屈折されれば、人目をひいて鮮やかに魅了する。ニュートリノは絶対そんな事はなく、無色透明で物質ほぼ全透過という幽霊的存在。同じ無色透明に近い性質があるのに、かたや虹はあんなにも人に愛され、夢にうたわれ、人に慕われるなんて。同じ自然現象なのに、ニュートリノと虹で、人類の寵愛に雲泥の差がある。なんだかずるい。ほとんどニュートリノみたいに無色透明な光である姿も真実であるのに、いっぽうは水で目に見え、いっぽうはカミオカンデみたいな施設を作っても、目に見えないという事で、両者を比較することは間違っているのだろう。ニュートリノだって、エネルギー体として無限の可能性を秘めているかもしれないのに、虹みたいに美しいだけの存在が人に愛されるなんて。と、いじけたくなるこの私の異常な嫉妬心ってなんなのかしら。なんだか、幽霊みたいにいるかいないかわからないニュートリノという存在が、愛されたっていいじゃないかと思うんだけど、まぁ、当たり前に、目に見えないものはいない同じだし、目に見える姿が美しかったら、人は愛するに値すると思うのでしょう。なんだか、ニュートリノ推しとしてはすごく納得できない、と思うんですけど、ニュートリノ推しじゃない人からしたらなんてどうでもいい日記なんだろう。もうこんな日記読まないでくださ(笑)

見えないニュートリノ
 見えると大絶賛される虹と、永遠に人類に目視される事のない幽霊みたいなニュートリノ。そんな二人は比べられる存在という事は無い。どちらもあるがままにあるだけだ。なんだかそういう別世界の現象をひっぱりだしてああだこうだいうのはなんだか頭おかしい沙汰だ。だけど、虹のうまれる寂しさと、人に無視されるトリノの切なさが、なんだかどっか、すごく胸に悲しみとしてせまってくるのは、科学館に行ってきて大興奮した日だからだろうか。ニュートリノと、虹のように、光のように、人間のいつもすぐそばで、見えない姿で、存在しているものを、今日は考えて眠ろうと思う。

つづく




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