不健康の自由
- カテゴリ:ココロとカラダ
- 2024/07/04 02:22:41
長く生きることと、自分が誰だけわかっていることとどっちが大事なのかな
少なくとも今、2099年の地球では自分自身でいることのほうが重視されているみたい。
心や脳の病やそこからくる妄想は発想は機械学習では賄えない分野だった。
もう大昔、数理計算モデルはコンピューターにも再現可能だけどもヒューリスティクスは難しいなんて言っていたけれども今は平凡な人間のエラー程度はランダムな関数の入力で再現可能になっている。だから魂の自由は、人しか持てない個性は病だけになっている
...というお告げのような夢を見た。
寝る前に垂れ流して値落ちした映画パプリカは、殺した男を追いかけたら自分だったみたいな古典的でステレオタイプな妄想が映像をちょうど垂れ流していた。
病が個性になるか想像してみる。少なくともパプリカに見る言葉のサラダや笑顔で投身する人々は全部以前何処かで見た何かであって想像の枠内にあるようび思われた。言葉があるかぎり妄想は構造に支配されると言いたいが、言葉がなければそもそも妄想なんてない。古典的議論。
私の病気を見つけることは生きる意味になるでしょうか。恋でなく愛でなく仕事でなく家族でなく芸術でなく「病まうこと」は意味になるのでしょうか
私もいつかの私に夢に降臨してあげよう。ノルンみたいに...なんてだめだ。神話こそパターン認識みたいだ。
私なんてどこにもないのかもね。匿名的細胞。がん細胞。
私は日向ぼっこして猫みたいに伸びをして幸福に眠ることにした
日記広場から参りました真夜中に申し訳ないです。
とても深いお話に引き込まれて読んでしまいました。